2013/02/26

月世界

   我々は、幼い時から様々な月の姿を眺めてきて、深い親しみを持っている。実は、月と言うのは、我々人間を守っている巨人が持ったカンデラで、そのカンデラをこちらに向けると満月で、遠くに向けていると三日月になる・・・というようなおとぎ話だったり、月の裏にはUFOの基地があって、地球にどんどん宇宙人を送り込んでいる。それを迎撃するのがシャドウと言う組織で、それを率いる偉い人がストレイカー長官である・・・そんな話を信じていた年頃もあった。いずれにしても、月に寄せる気持ちは、人それぞれ歳相応に違うにしても何かあるに違いない。

  そんな月と言う言葉が引き金になって、再び偉そうに戴き物を紹介する事になった。自分で取材もせず、身銭も切らず、虫のいい話だと思われるかもしれないが、これからも当面は富山方面へ出向くこともないだろうし、折角お土産に戴いたので、食べるだけでは「一瞬の出来事」で終わってしまう心細さから、写真に撮ってページに追加しておきたいと思ったのである。富山と言うと、以前にも「薄氷」という銘菓を紹介したことがある。どちらかと言えば、今日の「月世界」は、あの「薄氷」と甘味が酷似していて、同じように扱われるかもしれない。確かに、甘味の原材料は同じなのだが、趣向が異なるお菓子と推察される。

  うーむ、それは、作法とも言うべき「歴史に裏打ちされた味わい方」に違いがある様にお見受けした。「お主、分かるか?」と問いかけられているような気分になってしまうのだが、何が「味わい方の違い」かと言えば、そのプロセスを洗い出すと納得できそうだ。やはり、お菓子には、どうしても「お茶とか、さ湯とか」、なにかその喉越しを助けるものが必要な時がある。もちろん、それには「一切の糖分」が含まれてはならず、あくまでも喉の通過を助ける程度でなければならない。そこに、お菓子に含まれる甘味が溶けだして、口の中にほのかに広がりを見せ、喉を甘味が通過して行く実感によって、幸せな気分も広がっていくというわけである。

  お菓子は、糖分と様々な混ぜ物とが織りなすハーモニーであるからして、例えば、そこに大納言や少納言の豆の香りと混然一体となった甘味が存在し、さらに、周囲にまぶした砂糖の粉末などもあって、そこへ、一緒に喉を通過する「抹茶の苦み」が加わって、非日常の口どけを味わうことが出来るのである。あくまでもそこには、段階的な味わいも存在し、大納言や少納言のように実体を噛み砕きながら、そこから広がっていく甘味を感じ取る「粉砕型の味わい方」と言えるものがある。一方で、今日の月世界のように、口の中で1つ1つがじわっと広がりを見せ、甘さが急激な変化をせず長続きがする、抑えた甘味を「潤いの中で味わう浸透型」といえるものである。この二つの両極端の間に、様々の作法が存在していたのである。

  甘味の作法や楽しみ方は様々だが、やはり、上品で、何処からか体自身が欲しがっているような甘さを感じさせてくれるのが、この「月世界」である。ここは宣伝文句から引用するが、「月世界は明治のなかばに創製され、独自の世界を形作ってきたお菓子で、じわっと静かに口の中で広がり、日本茶のみならずブラック珈琲にも良く合う」と記述されている。原材料は、和三盆糖、白双糖、鶏卵、寒天という凄く単純な原材料が用いられていて、技術的には和三盆の作りかた1つとっても難度は高く、筆舌に尽くしがたい貴重な甘味である。個人的な感受性を加えてみると、意外にも「個性のある甘さ」で、軽くてじわっと、静かに口の中で溶けて、刻々と変化する甘味がいつまでも続きそうな広がりをみせる。甘味自体も思ったより強いので、甘みに鈍感になった現代人にも好まれる。今日の写真の1包程度が1回分として丁度よい。くれぐれも慎重に楽しみたい。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211147&app=WordPdf

補足:著名なお菓子である。人生一度は口にしておきたい。ロンドン国際菓子博でグランプリを得るなど、国際的にも好評を得ているようだ。