TVの座談会の中で、たまに奇妙な言葉が横行する事がある。もちろん話の前後からニュアンスは十分理解できるので、それを「専門筋が使う言葉」としてそのまま鵜呑みにすることがある。さらに、多少なりとも気が引けるけど、その言葉の持つ「イメージを大切にすればよい」と納得しながら、「わかるから」とか「ま、面白いから」とか、自分なりの理由を付けて使ってみたりする。一度、その言葉を様々な場面で使ってしまうと、意識して修正をしない限り、時間経過と共に自己都合を拡張して、無意識に間違った使い方をする可能性があり危険である。しかし、正確な意味を知ると、案外つまらない内容だったりして、かえって意気消沈しまうこともある。
TVタックルでお馴染みの三宅先生は、よく「ポンスケ」と言う言葉を使われた。殆どは、話が「ポン」とすれ違わないように、「話をよく聴いて真意を知れ」と言うニュアンスが多分に含まれていたのである。そして後部の「スケ=助」というのは、侍の名前などによく使われているので、人のことを指すのであろう、と推察できるわけで「ポンスケ」は、意外にも知的で高慢な若者をさしているような気がしていた。豊富な知識を有し、熱意を込めて縦横無尽に反撃できるにもかかわらず、無駄な労力を使いたくないので、小馬鹿にした額面どおりの反応で三宅先生の話をはぐらかしたり、時代が違うとかで、腰を折ったりする曲者を指しているのである。まあ、せいぜい「ポンスケ」と言われないように、何事にも真剣に取り組み、大先輩の話は真摯に受け留めてほしいと思っていたのである。
実のところ三宅先生は、「ポンスケ」という言葉の持つ意味をもっと簡単に○○者とか説明をされていたのが、他に多用する人がいない限り、三宅先生の得意な口癖の一種と考えてよいと思っている。それによって更に解釈に親しみが深まったと言えよう。それが「おい君!私の話をとりあえず素直に聴け!」でないと承知しないぞ的な「威圧する意味の言葉」なのである。つまり、「せっかく学問をちゃんとしてきているのに!という敬意を払いながらも、なのに何故その様な結論に達するのか、おい君!君の考えに欠けている物はこういう考え方じゃないのか?」 これが長きに渡り日本の政治を眺めてきた「政治評論者としての見識だ!どうなんだ答えよ・・・」と渇を入れながらも、相手の反応に屈することなく、日本人的なイデオロギーを要求していると感じていたのである。
ここの「おい君!」に相当するのが「ポンスケ」なのである。逆に言えば、そのような使い方が適切なのだと思う。単なる口癖なら、安倍総理のように、「○○○・・・、そのことにおいてですね」という、やや「折り目正しい表現のようなニュアンスをかもし出し」ながら、全く意味も無く単に次の言葉への時間稼ぎ的な接続詞に使われているだけ、つまり「聴こえてる?」と同じように映るはずである。もう、「ポンスケ」を使いこなす三宅先生の姿を見ることは出来ないが、かつて先生が使われるたびにその共通点を模索・集約して完璧な解釈を組み立てようと試みているのに、WEBで検索してみると「ポンスケ」とは、何か「強い火力でポン」と変形したような菓子の事を指していることがわかった。三宅先生の言葉の解釈を拡張してきたにもかかわらず、想定外な側面を発見し、「まじかよ」と、やや残念な面持ちで、それでも何か関連した枝葉の解釈があるのかもしれないと想い、それを「食べてみたい」と興味を持ったのである。
それが今日紹介する「ポンスケ」という油菓子(袋に表記)である。果たして、美味しいのか?と外見からだけでは疑問をもたれるかもしれないが、意外にも「素朴で大変美味しい」のである。正直申し上げて「かっぱ海老せん」以上に次々と弾むお菓子なのだが、そこに三宅先生の「ポンスケ」と言う言葉との共通点を見出すことは出来そうもなかった。しかし、お菓子自体が「あまりにも、お安くて、それ以上に美味しい」ので、無心になって口に運ぶことで、日本の駄菓子の原点を探り当てたような気分である。これが、いわゆる日本人的イデオロギーの一端を担っているのかもしれないのである。
ではこちら
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