2013/04/30

マルちゃん 冷し中華

  へー、ついにここまで?と、ヒットしそうもない新製品を眺めながら、かつての学友を思い出していた。彼は猫舌で、おまけに暑がり、そして神経質、とくるから、夏は「冷し中華」しか食べない。 もちろん、三食すべてではないが、少なくとも、昼間学食で他のメニューを食べる姿を見たことがなかった。そんな彼が40年後の今も生きているとは思えないが、意外にそのような隠れた「冷麺」好きがいるのをマルちゃんは忘れてはいなかったようだ。そんな希望的観測からか、あるいは他の正麺シリーズで儲かりすぎた背景からくる特別企画なのか、ついに、東洋水産㈱は特許製法「生麺うまいまま製法」を使った、挑戦的な第二の矢を放ったようだ。

  麺好きは、どのお店に入っても「麺は硬目でお願いします」と伝える。蕎麦屋も、イタリアン・パスタも同じである。そういう人達を見ていると、本来の麺の固さはどのくらいが流行なのか考えたり、自分でも少し判断に迷うことがある。さーて、冷し中華はどうすればよいのか、改めてこのパッケージをひっくり返してみる。すると1リットルのお湯で5分と「赤ベタ白抜き文字」で表記されている。いくらなんでも5分は長くねえ?と思いながら、マルちゃん正麺の太さを観ながら、とりあえず3分程度にしてみよう。茹で上がったら麺を水でさらし、笊でしばらく水を切る。付属の調味液は30g程度用意されている。袋の中に入っているのはこれだけである。どう見ても、きゅうり、錦糸卵、焼き豚、等を乗せると調味液は不足すると思われる程の少量である。

  しかし、実際は、中華のお店で出るような「冷し中華」の調味液より、かなり濃い状態のものが入っていた。もし、きゅうり、錦糸卵、焼き豚、などをたくさん乗せるならば、さらに醸造酢などを追加してみると良いかもしれない。それに、からしを溶き入れるのもよい。あるいは、冷たいのがよければ、氷を幾つか入れておいても良い。そういう自由度があり、個別の趣向に十分対応できる調味液の濃さに仕上げてある。かつて、このような即席の「冷し中華」が無かったかといえば、そんなことは無い。しかし、ゴマ味で出来た酢の物を食べているような食感で、温かくないから「冷しラーメン」と呼ぶ、といった感じであった。そういう限界を感じた時代からすれば、凄まじい進化を遂げたと言うほかない。

  お味は、さすがにマルちゃんだけのことはあり、どこかで食べたことがあるような印象があるものの、それがまた格別に美味しさを引き立てる。笊で麺を冷やす作業が面倒だという人もいるかもしれないが、自分なりの味の拡張方法つまり、酢を加えるとか、少し氷で薄めるとか、辛味噌を加えるなど、好きな組み合わせを見つけることで、きっと好きになれる筈である。これでまた数百億食を販売するマルちゃん正麺シリーズに貢献する製品が加わった。マルちゃん正麺の醤油、味噌、塩、豚骨、これらは、少々伝統的で親しみやすい感じを受けたが、この冷し中華は、かなり本格的で進歩的なお味と言えよう。これなら、「嘘だと思ったら食べてみてください」と自信を持って宣伝できるはずである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211272&app=WordPdf

2013/04/26

ディスクアレーのすすめ

  以前に、SUN A1000/D1000 というディスクアレー装置の話を書いたことがある。その後SUNのD2とかIBM EXP400 等も紹介した。ところが思った以上にそのページのアクセスも多く、おまけに、知り合いから聞かれることも度々なので、使い方について簡単に追加しておきたい。元々、ディスクアレー装置は幾つかのディスクユニットを組合せて、1つの論理ドライブを構成する。それは、OS上で1ドライブとして認識される。その優位性としては、小容量ドライブでも数を増やせば大容量になること、並列で動作するためアクセスレスポンスが極めて高く、ファイルをす早く書込んだり読出したりできる。また、データー量が最大容量に近づいてもレスポンスが低下しにくい、などが挙げられる。一方で、容量なら既に1ドライブ4TBもあるとか、あるいはスピード的には、同じデータにヒットするケースも多いことから64MBキャッシュ搭載で十分とか、投入コストも大差があるので価値観は様々である。しかし、一度でも大切なデータが呼出せなくなった経験があると、こまめにバックアップするとか、ディスクを幾つかに分けておくとか、意外に苦労することも多い。

  よく話に出るのが、写真や動画を撮影して保存するときの話である。取材した画像ファイルはかけがえの無い素材で、撮影のためのコストと時間は随分と掛かったものである。その保存について様々の要素を1つ々覗くと、そこは、ある程度容量のあるストリーミングデータであること、また、素材と編集後、あるいは静止画ならRAWファイルからJPEGなど変換作業を多用するため、やはり、全体のデーター量としては、撮影時より増える傾向がある。したがって、その管理にこそ障害の発生の少ない仕組みが望まれてきた。そこには、ファイルを大切に扱いながら、作業効率をアップしたい願望が含まれているのである。ならば、自分の設計思想とコストを掛けて、幾つかのディスクを用意し、多少無駄があったとしてもRAIDで構成しておきたい。RAIDとは、Redundant Arrays of Independent Disks の略語で=1つのドライブを冗長化された幾つかの並列ユニットで構成するという意味で、末尾に番号を付加し、ディスクアレーの使い方の種類を指す。

  おおよそ、ディスクアレー装置に使われる筐体には、電源ユニットおよびSCSIインターフェイス等が2個ずつ挿入されており、1式障害に見舞われても運用を継続することができ、それによるディスクの破損もない。さらに稼働中に新しい電源ユニットと交換ができる構造になっている。これをホットスワップという。一方のディスク収容口は12本(SUN)~14本(IBM)を備える。この中にディスクを挿入し、その幾つかを組合せてRAIDを構成する。一般的に知られているのは、RAID1としてのミラーリングで、同じディスクを2本並列に動作させ、片方が壊れても片方が生き残るという極めて分かりやすい仕組みである。1本壊れるとインジケータが知らせ、壊れたディスクを抜いて新しいディスクを挿入すると自分でミラーを再構成する。あるいは、3本ディスクを挿入して1本をホットスペアに設定しておくと、1本壊れると自動的に3本目のディスクが再構成を始める。全ての操作が稼動中に行える点が優れている。この仕掛けは、OSのブートドライブで広く使われている。

  次に一般的なのはRAID5で、最小でも3本のディスクが必要になる。まずファイルを一定のサイズごと分割して、それらにパリティを加えて、全ディスクに決められた順番で書き込む。ディスクはすべて同期運転しているので、あたかも1台のディスクのように回転している。データーを前処理するのはRAIDコントローラで、このコントローラはデーター処理に十分な高速で処理するように設計されている。一方呼び出したデーターは、誤りがないか調べて(誤りがあれば再度読取る、パリティーを検査など)再び、元のファイルに戻す作業を行う。これら一連の作業によってディスクが故障しても、それ以外の稼動中のディスクのデーターとパリティから、元のデータを再生成して状態を回復できる。さらに、こちらでもホットスペアディスクに設定しておくと、1本壊れると自動的にそれを仲間に加えて再構成を始める(必要なディスク4本)。ディスク2本が同時に壊れても、2本のホットスペアで修復できるRAID6もある(必要なディスク6本)。RAID5以上はディスクの数が多ければ、再構築の為のスピード低下を小さく出来る。障害発生をメールで受け取った時は、現場へ行き稼働中に壊れたディスクを1.マネージャ・ソフト上で取り外し、2.実際のユニットを正常品と稼動中に交換する。3.正常品をマネージャ・ソフト上で確認し、ホットスペアに設定する。これだけでよい。これで運用を継続できるので安心といえる。

  近年、SATAなどディスクの価格が低下しているので、データーの増加に沿ってディスクの新設をするという考え方もある。12本挿入できるスロットを最初は1/2の6本で使い、RAID5+ホットスペアで構成する。例えば80GBを6本使用し320GBの論理ドライブAとして設定する。数年後に、160GBを6本用意して640GBの論理ドライブBとして設定する。論理ドライブAのデーターを論理ドライブBにコピーし論理ドライブAを全て取り除く。将来そこに320GBを6本用意して1.28TBの論理ドライブAAを設定する。次に論理ドライブBは、将来そこに640GBを6本用意して2.56TBの論理ドライブBBを設定する。このように、順次容量を増やしながら最後は、6個の空きスロットをいくつか追加のホットスペアにして活用する。ディスクは6年程度経過すると壊れやすくなるため使用期間を限定しておく方が良い。また、電源ユニットやSCSIインターフェイスは、保守部品で取り寄せても製造打ち切り後5年程度しか在庫されていないので、製造打ち切り後は、速やかに購入しておく。少なくとも、それで稼動中はデーター損失の心配なしで運用継続できる。

 写真は、現在使用中のEXP-300の筐体の様子。今では、これよりも更に安価に構築できるはずである。ここでは、10年前にU320のディスク36GB 15Krpmを6本RAID5EE+1HSそして146GB 10Krpm5本使いRAID5EEを設定したもの。15年前は36GB 10Krpmを14本使い、11本でRAID5EEを設定し、3本をHSに設定していたが、1本もディスク障害は発生しなかった。その後、2つの論理ドライブにして使う事にして、左側は15Krpmを使用してパフォーマンスを改善した。前処理、編集、ファイル変換などの作業は左側で行い、完成したら右へ移動。これによって、「ファイルを整理して不要なものを削除、重要なものを残す」という手順を踏むことにする。この作業つまり、常にある程度「整理すること」が重要なのである。一方、右のディスクのデーターが160GB程度になると、Ultrium(200GB)へデーターを移動させる。経験的に、160GBは1区画分として最適といえる。まだUltriumへは3本程度しかバックアップしていないが、おおよそ二重に残す(50%はディスクとテープの両方に残る)部分があるが160GB程度で約3年分である。これでもまだ、別のサーバー2台にも頻繁に使用するデータ(約200GB)は残っているので、最初はディスクを大目に用意したくなるが、増加していく量は意外に少ない。しかも、10年経過したら必要ないと考えるので、それでも残したいものは、DVDやブルーレイに残すのが良いと考えている。
参考例
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211264&app=WordPdf

補足:ディスクの容量は、大きすぎるとディスク寿命が先に来る。それは、使わず破棄する無駄が多くあるということ。個人が使う容量が年間どの程度なのかを把握してストレージを構築すべきである。デイスクの寿命が5年と固定化されているので、それを基準に、安全性に費やす費用、バックアップ容量、リカバリー時間などを検討してアレイを組む様にしたい。

補足:LTO=Ultriumを使ったバックアップは、あくまでディスクが破損したときの為であり、通常呼び出して使うことはないが、万が一を考えてテープに余裕を残して保管しておきたい。


2013/04/23

麺の力 坦々麺

  市場のニーズに応えたと言うか、待ちに待ったと言うべきか、サッポロ一番から「麺の力シリーズの坦々麺」が出た。この坦々麺の即席化としては、漠然と他の即席袋麺より、レベルの高い商品が要求されているような気がする。本当に今の「麺の力」シリーズの麺で、そのような人達を引き付ける事が出来るのであろうか。元々、坦々麺好きの人は、辛口、刺激、濃厚、といった、本格的な「四川風辛味汁そば」を愛する人達が多いからである。そこには、ひき肉を熟成豆板醤や甜麺醤を加えて炒めた肉味噌に加えて、ねりごまの風味、そして、細麺でもきっちり歯ごたえのある麺、さらに青梗菜といったところが渾然一体となって、坦々麺の美味しさを引き出している、これが坦々麺の人気の秘密なのである。

  この本格的な「四川風辛味汁そば」を、即席袋麺ですり変える技術はやはり難度の高いことである。その中でも対応しにくいのが肉味噌と青梗菜がある。仮にも、この2つをあらかじめ別途用意すれば、それはそれとしてそこそこ美味しくいただけるかもしれないが、それには手間と時間が必要だし、具材が余りしばらくは、坦々麺の日々が続いてしまいそうだ。だから、思いつけばすぐ食べられる坦々麺というのは、ドラが鳴って中華のメロディーが流れてくるような、本格的な中華のお店にしかないのである。しかも、そういったお店の中でも、自分の好みに合った坦々麺を出してくれるお店は、経験上も数少ない。「メニューには無いけれど、注文があればお作りしますよ」という店もあったり、「坦々麺は止めたんですよ」という店もある。そうやって、微妙な汁そばメニューの逸品になっているのである。

  つまり、坦々麺がお好きな方は、自分好みの坦々麺を提供してくれるお店を既に確保していて、時々その本格的な坦々麺を口にしているのである。一方で、麺好きだけれど、なんとなく醤油、味噌、塩、豚骨などの即席袋ラーメンには飽きた、という人達にとってはバリエーションを広げる商品となる。しかも、この「麺の力シリーズの坦々麺」なら興味深い商品といえる。パッケージを開けて、そこに収められてあるものだけで作る人もいれば、それでは物足りなく、やっぱり肉味噌ぐらい別途調理して用意したいと思う人もいる筈だ。はたまた、まったく本格的な坦々麺を意識せず、即席袋麺の新しい一品として、自由気ままに好きなトッピングとの組合せで戴きたいというニーズもあるに違いない。そう考えると、敷居は十分に低く、逆にパッケージの中にあるものに、何を加えると美味しく戴けるか、気分によって自由に選択するのだろう。

  実際に坦々麺の袋を明けて作ってみるとわかるが、ゴマの香りが濃厚さを演出し、次に山椒の香りが押し寄せてくる。これ自体でもシンプルで食欲をそそるほど美味しそうな印象がある。いろいろなものをトッピングすると、味がボケる恐れがあるので、何か1つか2つぐらい、濃厚な具とさっぱりとした物が添えられると良い。今日は、「サッポロ一番の坦々麺の具」とブロッコリーを載せてみた。麺をすすりながら、感じることは、「スープの粘りが強すぎる」ように感じる。何かドロとした食感はあるものの、本来ならばそれが肉味噌の崩れ端の集まりであったり、ゴマの繊維であったりするのだが、その食感とはまるっきり異なり、あえて増粘を加えたような違和感を伴う。ここは、むしろ粘性を高めるような小細工をしないほうが、最後までさっぱりとして良いと思う。
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2013/04/19

イオンウォータ

   白い犬がちょろちょろ動き回るCMがある。AUかドコモか知らないが、区別が付かないくらい騒がしい。しかも、その制作費も放映料も、通話料に上乗せされていて電話代の一部になっていると思うと、どこか嫌悪感さえ覚える。そんな、これ見よがしなCMが多い時代に、画面を眺めながらも、しばらくは全く気が付かず、何度か見ているうちに、これ何のCM?と、ちょっとだけ興味を持つようになる。これが本来のあるべきCMの姿なのかもしれない。そのCMの爽やかな、ちょっと冷たいくらいの印象が残る「イオンウォータ」とは何だろう。そんな、知らず知らずのうちに人の心を引き付ける魅力は何処にあるのだろうか。そこには、一種の潜在的な健康志向であったり、みずみずしい若さ溢れる体を護りたい気持ちであったり、本来、人が備えている本能にも似た願望が、自然にそのCMを魅力的に見せているのである。

  そういった自ら発する気持ちは、お店での購買意欲をそそる要素にもなる。それは、「イオン」と言う言葉に差別化要素が隠されているからだ。そのイオンとは、電荷を帯びた特殊な作用を持つ原子という、難解なれど純粋で優しい性質を思わせる。つまり、自然な形で体に染込んで行くことが、とても印象が良いのである。「厚生労働省の認定 特定保険用食品」などいう、ちょっと「うさん臭い響き」とは明らかに異なるわけで、冷蔵庫を開けて手に取る時は、レベルの違う「ハイセンスな水分で構成されたボディー」を期待しているといっても過言ではない。つまり、「イオンウォータ」とは、長い実績のポカリスエットをさらに浄化したイメージのネーミングになっているのである。勿論、イオンという言葉からプラズマなどを連想できれば、更に底知れないパワーを感じるかもしれない。

  ポカリスエットは、実に33年もの長い期間地道に 「信頼できる清涼飲料水」としての実績を固ためてきた。我々の世代に限らず、人生を共に歩んできたと言う人も少なくない筈だ。さらに、多くの先輩方も、このポカリスエットによって崩れかけた体調を戻すのに役立っていることを知っている。それは、体内の水分量をすばやく適正に戻す機能が優れているからに他ならないが、それが、「人の体にとって凄く重要な機能」であるということも、時間をかけて教えてくれたのである。そして、今、再び6年という長い研究期間と試行錯誤を繰り返し、時代の変化に追従する新たなイオンウォータとして登場したのである。

  従来のポカリスエットとは、電解質濃度に数値的な大きな違いはないが、イオンウォータの方は、甘さがずっと抑えられて「すっきりしたのど越しに」変化を遂げている。これによって、飲みやすくなったと感じる人も少なくないはずだ。まさに、「現代の若者が好む清涼感を追求した」印象を受ける。また、それほど冷やさなくても飲み易いのも快適だ。我々のような古い世代は、運動した後は、もう少し甘い方が飲み易いかとも思うが、そういう人は、従来のポカリスエットを選択すればよい。また、2種あれば使い分けも可能である。PDFの写真に並べて比較しているように、ラベルの裏からの反射で内部が分かりにくいが、イオンウォータの方が従来のポカリスエットよりわずかに白濁感が減少している。
ではこちら
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2013/04/16

ディスカバリー10

  何か刺激というか、きっかけがないと、大脳に収められた記憶はどんどん薄れていく。それは、アクセスのない記憶領域は大脳にとって邪魔だから、記憶を自動的に圧縮してコンパクトな輪郭だけにして、最後には、それが概念として化石のように残るのである。それは自動的とはいいながら、圧縮する時には、それなりの自覚症状があることがわかっている。最後の「あがき」なのかもしれないが、時折、古い仲間と話をしたくなったり、古いものを探し始めたりするのがその兆候といえる。途切れ途切れの輪郭だけになった記憶を復元するために、あえて、そのような行為に浸りながら、現在でも通用する知識として整理し、再び保管するのである。それは、これからも大量に使われることを想定して準備された空スペースが、どういうわけか、ある時から使われなくなったからに他ならない。

  われわれのような、何かにつけて黎明期を過ごした者は、身の回りの機器の、特に性能向上に対する興味は高いものがあった。その頃は、技術も文化も加速度的に進むと考えられ、留まるところを知らなかったのである。それが最も身近に感じらたものの1つに、家庭用VTRがある。もちろん、それを牽引したのが映像メーカーだが、それを裏で支えたのが異常なほど執着を持った映像マニアで、彼らが果たした役割は大きかった。映像マニアが出したリクエストをメーカーの映像技術が次々と具体化していったのである。もちろん、映像マニアはメーカーの社内にも溢れていたが、その新技術を次々と具体化できた背景には、さまざまな仕掛けがあった。その1つに、一般ユーザーを映像マニアに洗脳し導くことである。さまざまな映像技術をマニアに刷り込み、マーケットニーズが潜在的な商品企画を支持しているかのように仕向けていったのである。当時は、我々も刷り込まれたり、刷り込んだりしている筈なのに、情けないが、今では、どんな商品があったかさえ「うる覚え」になってしまった。

  映像機器が無くなったわけではないのに、技術はデジタルやハイビジョンと益々高度になり、古い記憶はずっと遠い存在になってしまった。そうなると、それにまつわる一切の記憶がなくなったとしても、まったく困ることも無く、例えば、歴史的にベータとVHSがあったぐらいの事を覚えておけば不自由は無いのだが、一方で、当時保存してあったテープが数多く見つかったりすると、どうしても古いことを思い出そうとしてしまう。そこで初めて、記憶が途切れ途切れになって、繋がらなくなっていることに気が付くのである。そして、冒頭で説明した「刺激とかきっかけ」を探すことになる。おかげで、大先輩から電話で色々聞かれる羽目になったのである。

   今日は、その時に説明した要約を列挙してみることにする。どうゆうわけか、いつもVHS系については話が湧いてこない。大半は、ベーター方式についてである。当時のベーター方式VTRには、業務用と家庭用が区別されていて、業務用としては学校教育用とか企業社内用で、いわゆる家庭用と区別されていた。下の写真は、1978年ぐらいに登場したベーターⅠ方式の代表格の業務用VTR SLO-383で、Umaticと同等の完全電子編集機である。このシリーズには、他にもSLO-330、340、332、などがラインナップされていた。


 当時の完全編集機とは、業務用といえども、放送局用のUmatic BVU-200A等とほぼ同等の機能を備えていた。業務用としての編集機能を簡単にまとめると、エディッティング・コントローラ(ここでは、RM-440)を介して、まず、テープ・フォーマット上の記録跡をきれいに消去するフライングイレースヘッドを搭載していること、これによってテープ上を精密に書き直すインサート編集が可能になる。そのためには、信号供給側、信号編集側の2台のVTRのテープ走行を少し巻き戻して、編集ポイントで同じ速度で通過するプリロール調走機能、信号系ではカラー信号の分離、合成を極力避けて信号劣化を極小に抑えるFMダビング端子の装備する必要がある。信号編集側では、画面の切れ目で切り替えるブランキングスイッチャー、カラーフレーミングを守るフレーミングサーボ、等を搭載するとか、かなり規模の大きな仕掛けが必要であった。

  その代わり、家庭用のようなTVチューナや、VHFの変調出力は備えていない。このSLOシリーズなど業務用のβⅠは、EDV などのβⅠs とは、互換性にいくつか問題がある。

 一方の家庭用としての頂点を極めたのが、大きく帯域幅を伸ばしたEDベータ方式のEDV-9000である。そちらはこのPDFにて
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211235&app=WordPdf




2013/04/12

時代を追う 2

   世の中は株高で、億単位の利益を上げた人までいると言う。おまけに都内の一部の土地も値上がりが進んでいるようで、一財産築けそうだと、笑いが止まらない人もいると聞く。政府と日銀でインフレにしようとしているのだから、少なくともこれから2年間は、「給料もボーナスも上がってウハウハ」と言った状況になるはずだ。今でもそんな先が見えなければ、店じまいをしたほうが良い。生誕60周年記念を迎えるような男達が集まると、ゴルフかそんな話ばかりである。仙人のような生活を楽しんでいる私には程遠い話だが、色々世間の情報を集めるのには良いチャンスになっている。ただ、このくらいの年齢の人は、直接自分の事より天下国家の話しが好きだ。歳を重ねると何故そうなるのだろうか。答えは簡単である。過去の実績に頼って生きている→新たなチャレンジが無い→考えるのが面倒→結果的にテレビの受け売り。会社へ出ても時間を過ごすだけ、ま、仕事も過去の経験でしか考えられなく、若い人に敵わなくなるのである。結局、天下国家の話なら誰とでも共通の話題になるし、普段からテレビを見ない人に向かって、無責任な事を言ってもバレずに「偉そうに振舞える」からだ。そんな、暇つぶしの何物でもないのである。

  どこから仕入れてくるのか分からないが、幾つか気になる話があった。その1つに、NHKが批判を浴びているという話である。そんなの、興味ないし、ふーん、どうでもいいじゃんと思っていたのだが、ある日、WEBの株価チャートの「掲示板への書込み」にまでNHKに対する批判を見付けてしまった。へー、と思い出しながらインターネットを叩いてみると、多くの人がNHKに激怒していることがわかった。少々過激だが「NHKを解体すべき」と訴えているようだ。その理由は、いちいち枚挙に遑がない程ある、それぞれは誰が見ても納得できる内容のようだ。しかし、私には「実体験が伴わないので、眉唾のように感じる・・・」ところもあって、「NHKはどうしたんだろうね」 ということで、幾つかWEBの記事を真剣に読むことで、少しづつ実情が顕になってきた。ちょっと「変態チック」な印象さえ感じることもある。また、プロパガンダに関しては、昔のように、もっと上手にやってこそ「NHKらしく国民を騙せる」のに、最近は、どれもNHK職員の未熟さが露呈しているように思える。まるで、かつての社会保険庁と同じで、組織が腐敗して臭気が漂っているようだ。

  一番多く目立った内容は、「国民から受信料を徴収しておきながら公平な報道がなされない・・・」と不満を漏らしていることだが、その考えは少し誤解といえる。受信料は「番組や放送内容」に対して支払っているわけではない。あくまで「電波を受信する」ための基本料金である。インターネットに例えれば、接続料と同じである。だからこそ「受信料」となっているのであって、「アニマルプラネットとか、ヒストリーチャンネル」のように番組の内容を買っているわけではないことを認識すべきである。やはり「番組を購入する」なら内容をよく精査したうえで契約しなければならない。

  この受信契約が生まれた背景は、昭和25年(私が生まれる3年前)にさかのぼる。GHQが日本政府に要求して 1.電波管理委員会設置法、2.電波法、3.放送法を作らせた。それによって、NHKは山岳や渓谷の地域においても、「電波を一定の電界強度で全国に提供できる仕組みを作り出す義務を負わされた」のである。裏を返せば「GHQのプロパガンダを全国隅々まで徹底するために」利用されたのである。皮肉にも、その国民負担が受信料なのである。お上に弱い日本人は、電波の届きにくい地域でも、遠くの映像(テレのビジョン)がお茶の間で見れる喜びが受信契約を促す、ことになったのだろう。その恩恵からか、われわれ生誕60周年記念を迎えるような者は、「米国のプロパガンダ」に洗脳されて「自虐史観持つ無気力」なおっさんに成長したわけである。

  その受信契約に関しては、電波の届きにくい地域でケーブルテレビ会社が別に有線を敷設して見れるようにした場合は、ケーブル会社と契約することはあっても、基本的にNHKと受信契約することはできない。現在は契約に曖昧な部分が残されたままだが、それらを明瞭会計にするには、受信料と番組視聴料は別々にしなければならない。番組視聴料は番組にスクランブルを掛けて非契約者が視聴できないようにすべきである。当然受信料は地域によって異なるが、必要とされる全放送局(ケーブルテレビ会社にも等しく)に分配されるべきである。そうなれば、むしろ受信料は税金で負担し、番組視聴料のみをNHKや番組制作会社と契約するのが良い。それが正しい選択権ではないだろうか。それは放送内容に健全な競争を生み、優れた文化の創造に貢献するはずである。

  次に、多いのが番組内容についてのようだ。これは、「放送法」で規定されていて、どの放送事業者も同じ原則に従う義務がある。概略を示すと、原則1は、「全国民が良質の放送」を享受しうるよう配慮すること。2.放送の社会的影響力から見て「放送の公正中立を守り」放送内容の充実を図ること。3.放送に携わるものの職責を明確にして、放送の「健全な民主主義への発達」への寄与を図ること。が示されている。もちろん、NHKもこれらを建前として例外ではない。それに対し、インターネット上の不満は、大半がNHKに集中していて、NHKの番組は、この放送法から外れると指摘するケースが多い。それは、事実を大きくねじ曲げて報道している例、番組の取材と編集方法に問題がある例、天皇家を愚弄しているのではないか検証されていないなど、公共的な放送事業者として不適切とする意見は多い。あと、いつものことだが職員の「変態不祥事」が多いとか、職員の給料が高すぎる(1,760万円)というのもある。そうなると、番組自体にお金を払っていると信じている視聴者は、「疑問を持ったり、納得できない」と怒るわけである。

  そんなことより、もっと不審に思ったのは、NHKの内部に「中国中央テレビ」の日本支局があるという話である。もちろん、聞き捨てならない。多少NHKが好き勝手な事をしようと、係わり合いはないが、中国共産党の放送局を「内部に隠し持つ」のは、NHKの放送は「中国共産党」のプロパガンダの一環としても機能していると見るべきである。番組にもPRC化が進んでいることなのか。また、国民に伝えない情報も中国共産党に漏れていると思ったほうが良い。米国と同様に中国共産党も、今まで、あるいはこれからも「日本人に自虐史観を植えつける工作を行ってきた」わけで、NHKが益々「日本国民を虐める番組を作って喜んでいる」と批判されても仕方ない。これで、おおよそ批判の中味が納得できた。結局、過去の「日本人の潔さ」に付け込んだ「コミンテルン」の手口に、今やNHKとしても身動きとれない関係になっているのかもしれないが、これが、「受信料を徴収して、国民を欺く番組を制作している背景」なのだと推測される。天皇家を愚弄すると言われる理由も納得できる。放送法の「健全な民主主義への発達」という趣旨を著しく逸脱する行為である。これによって、放送法の原則が2つも崩壊してしまい、結局残ったのは、中味は考えず、見てくれの「画質の向上」だけだったのだろう。

  同じことは、朝日、毎日の新聞、共同通信のようなマスコミはもとより、教育現場や、政治の世界、そのほかコミンテルンの影響力が及ぶ組織まで、何処にでも存在している。だからこそ、そういう精神的な攻撃に耐えるように、自分の意思で過去の事例を正確に見極めて、整理して結論を導こうと努力してこそ、これからの社会、また「世界で通用するレベルの見識を持つ事」が出来るのではないだろうか。人から言われたり、国内の新聞やテレビだけを鵜呑みにしてはいけない。世界的な番組や、書籍、インターネット等から優れた素材を厳選し、時には友人、年配者とディスカッションしながら「自分のイデオロギー」を構築していくべきである。最後に、考えてもらいたい1つ具体例を示す。そのYouTubeにアップされていた国会中継をNHKが著作権を理由に強制削除させたという話である。後で再び他からアップされたが、内容は「元 文部科学大臣 中山成彬議員の質問」なので、議員のホームページからも覗く事ができる。恐らくその中の38分以降の内容がNHKとしては不本意であったようだ。一方、その日の午前中の辻本議員の質問は YouTube に残されたままだったそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=O0qAnuFn2eE 
これには、続きの話が多く寄せられている。

中山成彬議員のホームページ
http://nakayamanariaki.com/

補足1:自虐史観=我々の祖先は、かつて周辺諸国に多大な迷惑をかけてきた悪い国民である。したがって、我々子孫もそれを自覚して、周辺諸国にこれからも頭を下げて生きていかなければならないという、自制と謝罪、更に指摘されれば、いつでも賠償金を支払う価値観。

補足2:「全国民が良質の放送」=放送関係者の殆どは、「良質の放送」とは、番組の内容よりむしろ「画面の大きさや解像度だ」と思っている。

補足3:コミンテルン=共産主義の国際工作組織。現在は解散したが、保守的勢力の拡大を抑え込もうとして、他国から資金を受けて国内で工作活動を続ける組織の総称として呼ばれている。

補足4:「放送の公正中立を守り」=立ち位置1つ、伝え方1つででいかようにもなる。報道関係には「公正中立」などありえない。

補足5:PRC:People's Republic of China=中華人民共和国(中国)の略。Made in China では、最近、商品が全く売れなくなっているので、Made in PRCと表記を変えて消費者を欺こうとしているらしい。

P.S. 安倍総理はフェイスブックで 「メキシコのような親日的な国との首脳会談は、NHKは放送しないので、フェイスブックでお知らせします・・・・」と書き込んでいる。総理の立場でも、かつてはNHKから不合理な思いをさせられたようだ。

2013/04/09

最近ハマッテいるもの1

  何か1つぐらい工夫するとか、手間を掛けるとか、大量に店頭に出さないとか、知恵を絞っていくと、独自の特徴として人気が出る商品というのがありそうだ。そして、「どうせ、そんなもの、こうやって作ってるんだろう?とか、あの食材を使ってるだけだろ?とか、昔は、こうやって作っていたとか」安易に考えてしまうのに、いつしか自分もそれにハマッてしまうこともある。現代社会では、いたるところに美味しいものが溢れているが、しかし、中でも今まで「知らなかったけれど美味しい」というものより、知っていたけれど、「ここのは格別に美味しい」というのが、それに引き寄せられる決め手になることがある。

  世の中には、海老カツバーガーなるものがある。ホクホク言いながら、「プリプリした海老のカツとタルタルソースやキャベツを挟み、少し甘く仕上げられたパン」と一緒に頬張る感じが結構美味しいと思っている。この海老カツには、小海老がたっぷりと入っていて、我々の年代だと多少贅沢感も味わえるのである。それは何故か!実は、それこそ長い経験による価値観が活かされるのである。まだ、親元にいた若い頃の話だが、お昼に「うどん」にしょうかね?といって母が仕度を始めると、決まって私の好きな「小海老のかき揚げ天ぷら」を作って、そのうどんに乗せてくれる。この、揚げたての「小海老のかき揚げ天ぷら」が入ることで、普通のうどんが高級うどんになるのである。まさに、好物の1つであった。

  母が小海老の殻を1つづつ取り除き、身だけにしている姿を覗くと、すごく面倒に思えた。自分でも試してみたが、身が途中で切れたり、潰れたりし、その皮むきで、指先に器用さに加えて慣れが必要で、しかも結構手間のかかるものである。小海老自体は高いものではなかったが、非常に面倒なものだという印象があった。天ぷら専門店でも「小海老のかき揚げ」が出ると、ちょっぴり満足感が漂う食材なのである。神田に勤めるようになってからは、「神田まつや」の「天ぷらそば」をみて「海老でっけー」って思ったが、こういうのが江戸前らしい。蕎麦は美味しかったが、海老自体は大味でさほどでもない。もちろん老舗だから価格は高い。一方、先日、火事になった「神田藪そば」の方には、「天ぷらそば」としても、「小海老の天種」としても、何れも単品でメニューに用意されている。「小海老がこれだけしか入ってねーの」と、少々寂しいものがあるが 「手間が掛かるから」 などと納得し、うーむ、やっぱり美味しい。価格は老舗中の老舗価格であった。

   その後、更に20数年経て「海老カツバーガー」なるものが登場したわけで、その時は、こんなにたくさんプリプリの海老が入っていて、最初は意外にも安いと思った記憶がある。そして、いつしか「中身の海老カツ」だけをもっと別のソースで食べてみたいと、思うようになったのである。そして、つい最近、同じような海老カツ単品を「新宿小田急デパートの地下食品売り場のお店:ミートデリカカイゼル」で発見したというわけである。それからは、度々買い求めてきた。ただ、いつでも用意されているわけではない。金曜日だけの商品なのである。このお店は、海老カツ以外にもコロッケやメンチカツもあるので、お好きな方は、いくつか試してもらいたい。この会社は、海産物の取り扱い専門ではなくて「お肉専門の会社」なのである。

   この海老カツの特徴は、さほどちっちゃい海老ではなく、ちょっと小ぶりな海老が使われているようである。そして、その小ぶりな海老は、まっすぐ伸ばされて、6~7尾を一列に横に並べて形を整形して揚げてある。これに、中濃ソースと辛子を付けて頂くと、大変美味しいのである。メンチカツとか牛肉コロッケなどもそこそこ美味しいが、それは、このお店でなくても、どこでも用意されている。しかし、海老カツだけは、他に競合が見当たらない。お店に行くときは、ついつい枚数を重ねて買い求めるが、持ち帰ったらすぐに油とり紙を挟んでおく。時間と共に油が酸化を始めるからである。そうすることで、少し時間が稼げて、オーブンなどで暖めても美味しくいただけるというわけである。海老カツには、キューピーのタルタルソースをつけてくれるので、とりあえず、そこから試してもらいたい。それがこちら
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2013/04/05

ウル・オス

  一昨年頃だったか、テレビを見ながら、桑田桂祐くんも使っているならと、いつかは使ってみたいと思っていた。誰でも少なからず自分に関係あるCMには敏感に反応する。ウル・オスのCMもその範疇に入っていた。それは何故か?1つは、大塚製薬だからである。もう1つは、気付きにくい自ら発する臭と係わり合いがあるからだ。誰でも異臭を振りまいていないか気になるのである。それもこれも、知らず知らずの間に、世の中は進化し、おっさんの臭いにまでクレームをつけるようになったからである。例えば、我々の中学・高校時代は、殴られたり蹴られたりすることは無かったにしても、すぐ「はい、トラック5周!」とか言われて、「えー、先生まじすか~」なんて体罰も当たり前で、炎天下の練習での日焼け止めでさえ「男がそがいなもん、せんでもええわい」と言われたものである。しかし、今は違う。専門筋の情報によると「紫外線も強くなって、皮膚癌になりやすい環境」とか発表されているし、たとえ古い男性であっても、今は、少々気になる人が増えている。

  私が直面している課題は、今まで気にも留めていなかったのだが、冬場に足の皮膚が乾燥してヒリヒリすることだ。皮膚の表面を近づいてみると、粉を噴いて痒くなっている。そういうときに、クリームではなく清涼感のあるサラッとしたもので拭きたいと思うことがある。乾燥を抑えるからといって、ベトベトしすぎるのも好ではないし、臭いも好き嫌いがあるので、市販ではなかなか良い物が見当たらない。少しだけ薫って気分が爽快になり、痒い皮膚が消炎して、塗ってよかったと心が満たされるようなものが欲しいのである。男のメンテナンス系の商品は、お店に行ってサンプルくださいとも言いにくい環境にある。だからこそ、CMが気になり、薬局で扱われている商品でシンプルな名称と洗練されて分かりやすいデザインが好まれ、そしてよく知っているメーカーが信頼されるのである。

  今日紹介する商品は、肌をUL・OS 潤す、男性用のUL・オス、大塚製薬㈱の製品となっている。
どれも全くもって申し分ない仕様である。商品のコンセプトは機能別に用意されている。それらは、1.薬用スカルプシャンプー:→スカルプとは、人の頭皮を指し、薬用の頭皮専門のシャンプーである。2.薬用スキンウォッシュ:→こちらは全身を洗浄する洗剤である。もちろんこれでも頭を洗っても差し支えはない。よほど頭皮を痛めやすい人でなければ、こちら1本でいけそうだ。これら2つの商品は、薬用とは記載されているが、あくまで体に穏やかで優しい効能の「医薬部外品」扱いであることが強調されている。次に 3.スキンミルク:→肌にすーっと浸透してべと付かず、潤いが残る全身用乳液。これが乾燥した皮膚には良い。そして最後に、赤外線をカットする 4.毎日の紫外線対策として:→日焼け止めが用意されている。これからの季節には有効な商品といえそうだ。

  既に使い始めて1ヶ月以上過ぎて、好感の持てる商品と実感しているわけだが、特に薬用スカルプシャンプーを使ったときのことである。おっと、この薫りはどこかで嗅いだ事があると思った。大昔のことになるが、「幼い頃、理髪店で使っていたシャンプーと同じ薫りだ」と思ったのである。何だか懐かしい。広島だったか、呉だったか、はっきり覚えてはいないけれど、小学校へ行く頃で、理髪店へは、父と一緒によく出かけた。父は理髪店でよく私を紹介するのに「うちのぼうずですわ」と話し、幼い私は、理髪店でそんな「危ない紹介の言葉」はないよなと、いつもひやひやしていた。その時の薫りである。ああ~懐かしい。嬉しいような、切ないような気分が通り過ぎていったのである。

  薬用スキンウォッシュは、比較検討してみた。まず、薬用スキンウォッシュを使った後、バスタオルで体を拭く、タオルはそのまま脱衣所に干す。翌日は従来の洗剤を使って同じ事をする。どちらもウォーキング後のシャワーである。2日後2つのタオルから放たれる臭いの違いを調べる。結果、薬用スキンウォッシュの方がはるかに清潔な感じを受けた。従来の洗剤の名称は公表できないが割りとポピュラーな商品である。これでは、落とせていない汚れや汗があったのかもしれないが、1日ハンデをつけていたのに「薬用スキンウォッシュ」の効果に感心した。これならお勧めできると思える。
ではこちら
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補足:ぼうず→てれを隠しながら、自分の子供で男の子である事を示唆した呼びかけかた。今は使われる事が少ないが、「おい、ぼうず」などと、男の子を呼ぶときに使われる事がある。

2013/04/02

広島風焼きそば


  こんなページを創作すると「焼きそばも、広島流が旨いんか?」と問いかけられそうだ。もちろん、今流行のB級グルメに登場するような斬新さは無いかもしれないが、監修に携わったお店は、昭和25年創業と言う、私の生まれる3年も前から「お好み焼きとか焼きそば」を一筋に提供しているので、それはそれなりに、いつも「美味しくて、安心感がある」のだと思う。一方で、そういう人気が63年も続き、おっと、これからも続くわけで、それもまた、まぎれもなく凄いお店ということである。つまり、とりもなおさず「それは、地元で愛されてきた」という証でもある。そういう事実を無視しているわけではないが、私を釘ずけにしたのは、美味しそうな「焼きそば」にあるわけではなく、実は、このパッケージの「当時を思わせる微細な風景デザイン」だったのである。このノスタルジーに、ひき込まれてしまったのである。

  このパッケージの風景デザインを見て、今でもこの辺りに懐かしさを感じる人達が、何人生き残っていらっしゃるかわからないが、「マルちゃん」の目の付けどころは、一体どこまで遡るのであろう。確か、私も4~5歳ぐらいの幼いころ、母の買い物に連れられて、何度かこの近くまで来た記憶がある。当時は目線が低いので、ここまで鮮明な感じの記憶はなかったが、このようなお店の形態「お店なのか屋台なのか」わからないような並びに、強い印象を残していたのである。高い場所から望んだとしたら、まさにこんな感じだったと思う。そういう一種の現実感までも浮き彫りにしていたのである。

  パッケージの話ばかりになってしまったが、それはさておき、広島で色々なお店で焼きそばを食べ比べてきたわけではないから、この製品が他の店に比べて美味しいに決まっているなんて断言出来るわけではないし、それを押しつける気持ちもない。長い間、その地域で愛されてきた背景が、「焼きそばの美味しさ」だけではないからだ。人は、なじみのおやじのいる店で、安心して、仲間と一緒に舌鼓を打ち、いつもかわらぬ会話が楽しいわけで、そこには、癒しにもなったソースの薫りが漂っていたからなのである。


  だから、美味しさを競い合うような豪華なグルメ志向には、そぐわないような気がする。それは、同じ時間を共有する、お客との関係であったり、近所の人達との仲間意識であったり、そういう関り合いを大切に、戦後を一緒に復興しながら共に生きてきたという事実が、みっちゃん総本店を盛り立ててきたのである。その歴史も微細な風景デザインに写し込まれていると思う。こういった、中高年を意識したパッケージ作りは、ある意味適度な哀愁を引きづり、世代の弱みと言うのか、そういう琴線に触れるような仕掛けによって「一層味わい深い焼きそばにしよう」としているのであろう。そんなきめ細かい「マルちゃんの企画力」を思い知らされたような気がする。

  さて、この焼きそばをここでどう扱えば良いか悩んでいた。これをどのように作ったら、「みっちゃん総本店」の雰囲気が再現できるのであろうか、ということである。やっぱり、強力な火力の鉄板の上で「焦がしソース」で食べる焼きそばは絶対に美味しいのである。ところが、このような、「蒸した麺を弱火のフライパンで作っていく」こと自体に少々無理があるような気がする。それでも、雰囲気だけでも楽しむには、それに近づけるしかない。そのために、まず、1食ごと強火ベースで丁寧に作るという事である。あらかじめ作業することとして、豚肉もしくはベーコンは強火で炒めて油をフライパンに移しておくこと、キャベツ等の野菜は電子レンジで十分加熱しておくこと、そして焼きの作業は、蒸し麺には水を加えず、麺をほぐす時だけ弱火にしてほぐしながら炒めること、そして、再び強火でフライパンの真ん中にスペースを作り、そこに液体ソースを入れ、ソースを少々焦がしながら麺を絡める。という手順を守ってほしい。そうすれば、多少なりともお店のイメージに近づくと思う。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211212&app=WordPdf

補足:パッケージの裏面には作り方が掲載されていて、それには、「麺を入れた後、その上に水50ml(1/4カップ)を加え、静かにほぐしながら水がなくなるまで炒める」とあるが、水を加えないほうがよい。