何か刺激というか、きっかけがないと、大脳に収められた記憶はどんどん薄れていく。それは、アクセスのない記憶領域は大脳にとって邪魔だから、記憶を自動的に圧縮してコンパクトな輪郭だけにして、最後には、それが概念として化石のように残るのである。それは自動的とはいいながら、圧縮する時には、それなりの自覚症状があることがわかっている。最後の「あがき」なのかもしれないが、時折、古い仲間と話をしたくなったり、古いものを探し始めたりするのがその兆候といえる。途切れ途切れの輪郭だけになった記憶を復元するために、あえて、そのような行為に浸りながら、現在でも通用する知識として整理し、再び保管するのである。それは、これからも大量に使われることを想定して準備された空スペースが、どういうわけか、ある時から使われなくなったからに他ならない。
われわれのような、何かにつけて黎明期を過ごした者は、身の回りの機器の、特に性能向上に対する興味は高いものがあった。その頃は、技術も文化も加速度的に進むと考えられ、留まるところを知らなかったのである。それが最も身近に感じらたものの1つに、家庭用VTRがある。もちろん、それを牽引したのが映像メーカーだが、それを裏で支えたのが異常なほど執着を持った映像マニアで、彼らが果たした役割は大きかった。映像マニアが出したリクエストをメーカーの映像技術が次々と具体化していったのである。もちろん、映像マニアはメーカーの社内にも溢れていたが、その新技術を次々と具体化できた背景には、さまざまな仕掛けがあった。その1つに、一般ユーザーを映像マニアに洗脳し導くことである。さまざまな映像技術をマニアに刷り込み、マーケットニーズが潜在的な商品企画を支持しているかのように仕向けていったのである。当時は、我々も刷り込まれたり、刷り込んだりしている筈なのに、情けないが、今では、どんな商品があったかさえ「うる覚え」になってしまった。
映像機器が無くなったわけではないのに、技術はデジタルやハイビジョンと益々高度になり、古い記憶はずっと遠い存在になってしまった。そうなると、それにまつわる一切の記憶がなくなったとしても、まったく困ることも無く、例えば、歴史的にベータとVHSがあったぐらいの事を覚えておけば不自由は無いのだが、一方で、当時保存してあったテープが数多く見つかったりすると、どうしても古いことを思い出そうとしてしまう。そこで初めて、記憶が途切れ途切れになって、繋がらなくなっていることに気が付くのである。そして、冒頭で説明した「刺激とかきっかけ」を探すことになる。おかげで、大先輩から電話で色々聞かれる羽目になったのである。
今日は、その時に説明した要約を列挙してみることにする。どうゆうわけか、いつもVHS系については話が湧いてこない。大半は、ベーター方式についてである。当時のベーター方式VTRには、業務用と家庭用が区別されていて、業務用としては学校教育用とか企業社内用で、いわゆる家庭用と区別されていた。下の写真は、1978年ぐらいに登場したベーターⅠ方式の代表格の業務用VTR SLO-383で、Umaticと同等の完全電子編集機である。このシリーズには、他にもSLO-330、340、332、などがラインナップされていた。
当時の完全編集機とは、業務用といえども、放送局用のUmatic BVU-200A等とほぼ同等の機能を備えていた。業務用としての編集機能を簡単にまとめると、エディッティング・コントローラ(ここでは、RM-440)を介して、まず、テープ・フォーマット上の記録跡をきれいに消去するフライングイレースヘッドを搭載していること、これによってテープ上を精密に書き直すインサート編集が可能になる。そのためには、信号供給側、信号編集側の2台のVTRのテープ走行を少し巻き戻して、編集ポイントで同じ速度で通過するプリロール調走機能、信号系ではカラー信号の分離、合成を極力避けて信号劣化を極小に抑えるFMダビング端子の装備する必要がある。信号編集側では、画面の切れ目で切り替えるブランキングスイッチャー、カラーフレーミングを守るフレーミングサーボ、等を搭載するとか、かなり規模の大きな仕掛けが必要であった。
その代わり、家庭用のようなTVチューナや、VHFの変調出力は備えていない。このSLOシリーズなど業務用のβⅠは、EDV などのβⅠs とは、互換性にいくつか問題がある。
一方の家庭用としての頂点を極めたのが、大きく帯域幅を伸ばしたEDベータ方式のEDV-9000である。そちらはこのPDFにて
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211235&app=WordPdf