何故、何度も意味不明な作業を繰り返すのか、幼い頃から不思議に思っていた。母は、小豆の赤い色が溶け出した湯を何度も捨てる。子供心に、これは、きっと出来上がった「ぜんざい」が赤飯のように、赤くならないようにするためだと思っていた。ところが、実はこの作業、小豆の「あく=渋味」をとる行為で、普通3~4回は行われる。この時、しっかりと笊で水気を取るので「切る」といい、合わせて「渋切り」と言うそうだ。よく、野菜などを炊くと細かい泡が固まって残ってしまう事があり、それを「あく」というが、その「あく=渋味」は丁寧に採るようにと指導される。しかし、この「あく」も野菜のエキスだと思って、少し残す方がよいという考えもある。
さて、この小豆では、皮と実の間の部分に「渋」として、サポニンや、赤い色素成分であるアントシアニンが含まれている。したがって、「渋切り」を繰り返すことで、それらの成分は流れて無くなり、同時に小豆くささも無くなっていく。その方が、あんこもぜんざいも「上品な仕上がり」になると言われていて、昔から、祖母は母へそのように「うるさく」指導していたわけである。ところが、サポニンは炎症を鎮める作用や、便通をよくする効果、あるいは血行を促す働きがあるといわれているし、アントシアニンはブルーベリーなどに含まれ、目の疲労回復、抗酸化作用などの働きがあると言われている。それなら、渋切りを1~2回にして、健康に良い「ぜんざい」にしたらどうかと考える。
丹波の小豆は大きい。だから大納言と呼ばれてきた。煮ても型崩れが少なく、それだけ皮も厚い。したがって、十分炊き上がっていても、僅かな豆の風味と食感が良いのが特徴だ。皮が厚いのは、昼夜の寒暖の差が大きな地形で育つためとされる。それが、小豆のみならず、様々な種類で「丹波の豆」は優れていると言われてきた由縁である。しかし、それだけ煮上げるのに火力と手間が掛かることから、老舗のように専門の職人が小豆の案配を見ながら大切に炊き上げる。炊き上がると、ぜんざいには独自の甘みを加える一方、餡は、まず、粒の綺麗なものをより分け、さらに型崩れしたものを潰し、布等で裏ごしして漉し餡にし、粒小豆と合わせて甘みを加える。これを小倉風とも言い、漉し餡の方はとても手間がかかるが、この滑らかさの食感は素晴らしい。
さて、以前、ぜんざいを紹介したのは、随分前のことだが、今日は、伊勢丹で「美味しいぜんざい」を買ってきた。ここで言う「美味しい」とは、小豆に僅かな風味と食感を残しながら、職人ならではの仕事を思わせるところだ。さすが大納言で、一粒の大きさもさることながら、型崩れが少なく、わずかにとろみ加え、通常の製造工程とは違う食感を得ている。砂糖の絶対量を抑えながら甘味をより引き立てるには絶好の技といえる。口解けも素晴らしく、豆の風味を残す美味しさはうれしさがこみ上げる。和の趣を感じながら、幼いころを思い出せる風味と大納言の食感に満足。まあ、お好きな人にはたまらない「ぜんざい」だと思う。
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