あんこ餅という言葉の響きには、昭和の良き思い出がいっぱい詰まっている。もちろん、一口であんこ餅といっても家庭ごと様々に食べられてきたが、造り方は手間の掛かるものだった。私が小学生の頃は、原材料のもち米、小豆、三温糖などより良い物を母と祖母が市内を回って調達し、丁寧に前加工して漉し餡、粒餡の2種を準備する。餅は、朝からみんな役割を分担しながら、もち米を蒸して石臼に入れて杵で捏ねながらつきはじめる。おおむねどこのお宅でも母が「合いの手」を担当する。父が「杵をつく」が、杵が石臼から離れている間に、合いの手が張り付いたもち米を臼から剥がし、形を丸く整える。そんな危ない関係がしばらく続き、粘りのある餅が出来上がる。それを、祖母があんこを丸く整形しながら餅で包むのである。もちろん、同時にあんこの無いもちも沢山作られる。そうやって、家族、あるいは親戚などが集まって、みんなで力を合せて作るところが良き思い出となっている。
出来立てのあんこ餅は、たいへん美味しいので1つはそのままいただくが、当時からそれがもっと美味しく食べられる時期があることを知っていた。それは、時間が経って表面が硬くなる頃である。そこで、練炭火鉢に網を張ってあんこ餅を炙る。しばらく炙っていると、どこからとも無く割れて、中から柔らかい餅が顔を出す。その柔らかい餅が膨らむ時にあんこを伴い、とても美味しそうに見える。大方火が通って餡子成分の甘い汁が垂れ落ちそうになると、あんこ餅を茶碗に入れて、上からお茶を掛ける。餅の固い部分もお茶によって柔らかくなるので、食べやすいし、中から餡子が溶け出して、粒餡だとぜんざい風に、漉し餡だとしるこ風になる。
父のこのような食べ方を始めて見た時から、そうやって食べるのが大人の食べ方だと思っていた。また、お茶を入れる時のことを考えて、あんこ餅の餡子は大きめに作るよう祖母に頼んだこともある。そんな時「あんたは美味しいものをよう知っとるね」と言われたものだ。今ならもっと美味しいものが沢山あるが、当時としては、それほど美味しいものだったのである。そういう食べ方の出来るあんこ餅をここ50年ぐらい食べていないが、それでも懐かしがることはあっても、同じようなあんこ餅を食べる機会に恵まれることは無い。社会全体として、今では食べたいとも思ってはいけないかのように、あんこ餅に対して、世間一般が拒絶しているようにも思えるのである。あんこ餅は、和菓子屋などで見かけることはあるが、今では、自ら作れるとは思えない。
今日は、そんな自分にオーブントースターで焼くだけのあんこ餅を買ってきた。3種類のあんこ餅(小倉あん、黒ゴマもち、抹茶もち)が発売されていて、一人こっそりといただけるように、一種類小さく4枚入りになっている。自宅で作っていたような大きな餡子が入った餅ではないので、しるこ風には出来ないが美味しく戴ける。この小さな形そのものも、なかなか好感できる要素で、もう1枚行ってみようかなというのが3回まで続けられるのである。そうやって、膨れ上がった腹と相談できるところが絶妙にいい感じなのである。
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