2015/04/16

懐中しるこ

 その昔、宮中に献じられた時に、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わり、あるじ感に入りて・・・」と包装紙に書かれた「鶴屋吉信 懐中しるこ」の登場になる。鶴屋吉信は、享和三年(1803年)創業の和菓子専門店で、京都御所、公家、有名社寺、茶道家元などの御用達として京菓子一筋の老舗として、広く知られている。京都和菓子という範疇に限られることから、既に馴染みは薄いかもしれないが、餡子、しるこ、となると、関東の和菓子屋とは歴然とした違いがあり、関西育ちの自分としては、それを欲しがる時は、どうしても鶴屋吉信の出店舗を探すことになる。

 その餡子やしるこの味の違いは、どこにあるかといえば、原理的には、原材料の三つの要素の違いでしかないが、小豆の灰汁の採り方に始まり、塩、砂糖類による歴史的な職人の微妙な味覚の違いに依存すると思ってよい。御所があった京都の歴史は長く、その経緯の中で洗練された甘味が成熟して行ったのである。それが、「かしこきところより、ことのほかお褒めの言葉 賜わる」といった味覚の違いとして表現されている。そんな僅かともいえる甘味の進化と、京都御所を頂点とした、和菓子の味覚の「美味しさの基準」が、広く庶民にまで広がっていった様子を想像してしまうのである。


 そんな大げさなものの言いようで脅す訳ではないが、餡子、汁粉といえば、関西の老舗としてどう考えても同社店舗を外すわけにはいかない。ここの品物は、手間の掛かる漉し餡や、きめ細かく仕上げられた汁粉は、喉越しまで違って感じられる。特に体に僅かな疲れを感じたり、甘みを口先で欲しがる時には、この優しい甘味が体によく溶け込んで染みるのである。勿論、老舗和菓子屋の商品だから高価と思われがちだが、四季を通じて和菓子を楽しみの1つとするならば、決してお高いものでもなく、むしろ、当時の京都の風情に想いを馳せる一品となるものと言えよう。

 懐中しることは、当時、花見や紅葉狩り、雪見など、旅に携帯して「即席のしるこ」を欲しがったことから考案されたとされているが、さすがに、椀に入れて熱湯注ぐことのみならず、水でもよければ、冷水を注ぐだけでも美味しい汁粉が出来上がる。むしろ当時の花見や紅葉狩りなどではそのほうが現実的であったに違いない。お湯を注ぐと、しばらくして半月の形をしたもち米の香ばしい麩焼きで包んだ漉し餡が溶け出す。どのような客人に出しても恥ずかしくない、いや自慢できる程の上品なお味が年中楽しめるのである。
 同社のホームページ http://www.turuya.co.jp/