セントジェイムス劇場を出て、タイムズスクエアを歩き、群衆から揉みくちゃにされながら注目を浴びるシーンのCMが話題になって、なぜパンツ一丁なのか不思議に思う人も少なくない(その経緯は作品の中で楽しんでほしい)。その様子から 「バードマン」というより、「パンツマン」の印象がピッタリかもしれない。しかし、このシーンが「予期せぬ奇跡」を巻き起こすことから、タイトルに副題として付け加えられている。
そして、その「無知」とは、ツイッターやフェイスブックを知らないパパ(=リーガン:パンツマンのこと)を責める娘(=サム)から見た「パパの様子」なのである。ならば、バードマンって?と続くかもしれないが、バードマンとは、架空のスーパーヒーローだった「バットマン」を捩ったようだ。何故なら、1989年に公開されたバットマン(マイケル・キートン)を演じていたリーガン(=マイケル・キートン)のその後を描いているからだ。そりゃー、かつてのヒーローがパンツ一丁でタイムズスクエアを歩けば、群衆は「バットマンだ!」って喜んで叫ぶだろうし、ツイッターやフェイスブックで即話題になり、拡散するに違いない。
公式サイトはこちら http://www.foxmovies-jp.com/birdman/
バードマンで一度スターとして君臨したリーガンも、4作目を断って以来長い間オファーのない日々を過ごしながら、少々卑屈になっていた。そんな境遇から抜け出すため、自ら演出、主演するブロードウエイの舞台(格調高い)に立ち、それを踏み台にして再起しようと企てた。そんな計画を進める中、様々な不運が付きまとう。冒頭から共演者が舞台で怪我をしてしまい、代役を探すが、その代役(=マイク)は有名かつ有能だが、演出を貶したり、台詞の言い回しまで古臭いと非難する。さらに4倍のギャラを要求するなど手に負えない。そして、付き人の自分の娘(=サム)も言いたい事をはっきり言うマリファナ常習者、決定的なのは、舞台の評価を決定付ける「評論家タビサが史上最悪の批評」を載せると脅す、そして、追い討ちをかけるように、かつての自分自身(=バードマン)からも駄目出しを食らってしまう。そんなトラブルが続いていた。
映像は、ステディーカム(撮影者の動きに滑らかに追従できるカメラの支持機構)付きによる1カット(切り替え、編集が無い)風の撮影になっていて、狭い劇場の通路を縦横無尽に駆け巡る。1カットのロング・ショット撮影では、俳優に秒刻みのスケジュールが割り当てられ、それを精密に演じることで、カメラは我々観客の視線であったり、ある時は、リーガンを含めた俳優たちの目線を追って撮影が進められていく。バックには、リズムを刻むドラムが流れて、あたかもそれが時計のように、淡々と時を刻む。まるでカメラとドラムのセッションのようだ。その連続によって日程(4日間)の区切りまでも見事に再現している(勿論その演奏中のドラムの前を通り、リアルタイムで演奏していることを裏付けている)。このあたりは、極めて技巧的で観る者を「うーむ、凄い」と唸らせる。作品全体の音楽のセンスも最高だ。そこが、同じ業界で仕事をする人にとって驚きにも似た感動を呼んだに違いない。余計なことだが、CMの背後に流れている曲も素晴らしい。
ここに参考にできる特別映像がある
https://www.youtube.com/watch?v=lau3bJB05P8
印象に残るのは、役者が役者を演じているところで、あまりにもそれが自然に観れてしまうのだが、自分が演じる役が意に反する役でも、それを何度々も演じ切ることで、どこまでが自分なのか、あるいは、それが自分自身の一部になってしまうのではないか、そこで役者としての自分に満足できるのか、そんな言葉に出来ない矛盾やストレスを抱えていて、その環境に見舞われながらでも、抜け出す方法は、より高見を目指すしか無い。一方、そんな苦悩とは裏腹に、とかくファンは分りやすい作品(低俗性)を好む。この作品には、そんな役者の苦悩を再現しながら、ファンが好む低俗性が同居している(捻りの舞台)ところは目が離せない。映画は芸術の顔をした売り物だけど、評価はそれに全て集約される。かつて大スターに祭り上げられたヒーローが再起をかけようとする時、考えもしなかった低俗性の濃い事件が起こる。それが冒頭で説明したCMのシーンで、これを観た人の心を鷲づかみにして作品に引き込み、あなたにも「小さなバードマンがいる」と背後から囁やくのだ。そうすると、タイムズスクエアをパンツ一丁で歩いて、ファンから揉みくちゃにされても、それも「ファンの愛」ならば、忘れ去られるより、「はるかにありがたい」と言う意味が理解できるに違いない。そして、結局彼はコメディーから抜け出せなかったのである。
映画ファンなら、観れば分るだろ的な構成なので、一般人にはやや説明不足。そこに、映画や演劇に特化した幅広い知識と奥深い教養を要求する作品であることは間違いない。それが1つや2つではないところに、観るものを迷わせてしまう要因がある。つまり、面白く感じるシーンでは、その捻りを痺れるくらい楽しめるが、それが理解できないシーンでは「何が?どゆこと?」となってしまうのである。もっと!面白さを満喫したいと思うのは私だけではないはずだ。しかも、それらは「業界の裏に潜む人間模様」を皮肉たっぷりに表現していることから、「ある程度社会に揉まれてきた人」でないと、その捻り自体も面白く感じることは出来ない。そこが、ハリウッドにまつわる業界人に「超うけた」にもかかわらず、我々一般のファンからすると、「うーむ、そんなに面白い?」と疑問を持たれた背景である。ただ、少々歳を重ねた人には共感を呼ぶようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=sCulv1Nf2iA