先代あるいは先々代の仕事に似せて仕事をすることを「仕事を似せる=仕似せ」という。暖簾(のれん)とは、冬場、隙間風が客にあたらないように目張りをして客を守ったことから「暖かい簾=暖簾」と書く。代々続く仕事の品質を継承し、客を大切にする店が「老舗」なのである。この現代で、難しいとされる仕事を継承していくためにはどうすればよいのか、難しくても「変えてはいけないものと、変えてもいいものとを、現在の価値観で冷静に見極める」ことが重要だ。たとえば、職人が作ったものと、同じものが協力会社で可能ならば、そのほうが良いかもしれない。しかし、協力会社が手抜きをした場合、自分で作り直せる技術は確保しておかなければならない。職人が駄目といえば、すべてが駄目なのだ。そんな時、「暖簾に傷がつく」という判断がなされる。結果的に、お客が僅かでも不快に思うことは許されない。職人も「うちの客は僅かな味の違いも見逃さない」という誇りを持っている。それは、過去ずっと優れた品質を継承してきた(客を満足させてきた)証でもあるのだ。
最近は、「優れた食材を使っている=美味しい」 筈だという他力本願型の店も少なくない。店として「料理人の、考えや仕事へのこだわり、その裏付けとなる技術」の優位性を感じられないことはとても残念だ。だから「仕事を偽って=仕偽」というケースが出てくるのかもしれない。このような「すり替え」は、身近な様々な分野の商品でもありうる。それは、何をどう変えるか「現在の価値観で冷静に見極める」ことができなかった悲しい現実といえよう。そしてそれは、勿論、我々消費者にも責任がある。
また、老舗を訪れるとき、過度に「味」に期待をするケースが多いが、お勘定をしてから、何気なく 「また来よう」 と思ったら、それは、もう十分老舗を味わっていたことになる。その何気なく見たもの、感じたものは、いずれ、「この店でないと駄目だ」に成長するはずである。 老舗で、味わうこと、感じること、そして、それを分析することは、本質を見抜く感覚を磨くことに繋がるのだ。
と、自分で書いていても、能書き「たれ」マンを感じる。えっ 「たれ?」、そう、今日はタレを使った蕎麦のお店。本当は「タレではなくて、蕎麦つゆ」と言うが、どうにもタレのイメージが強い。
それはこちら、 (おっと、忘れないうちに付記しておこう。「神田まつや」では、お勘定をするのに奥に座っている女将の傍へ行き、自分が食べたものを申請して支払うことになっている。伝票はない。 )
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84.pdf