2008/08/31

オーディオマニア1

 秋の夜長を、音楽に浸るオーディオマニアも相変わらず少なくないという。1度ハマるとこれも写真と同様、なかなか抜け出せない世界である。とはいっても、今なおHi-Fiを追求しているわけでもなく、時たま火を入れる程度に、相変わらず古いCDをかけて満足するのが現状かもしれない。便利なことに、音楽は溜め聴きが成り立つので、1度聞いたらしばらくは聞かなくても頭に残っている。牛の胃のように、時たま大脳から呼び出し、メロディーを口ずさんで満足することもある。 先日も、電車を待っているとホームの上で 「ホルストの惑星(木星)」 を口ずさんでいる若者がいた。鼻歌というより、壮大な感じを自らが力を込めて唸っているようにも聴こえてきた。無理もない、それは、テレビで4社CMに使われているからだ。しかし、残念ながらその4社の名前をあげることは出来ないだろうが、頭にはメロディーが残っていて、いつでも呼び出せるのだ。

 一方、テレビの番組では、昭和の歌謡曲を扱うケースが多い。これは、昔の流行歌を聴いて、楽しかったことや、苦しかったことを一緒に連れて呼び出すのに効果がある。司会者の導入ナレーションなどによって、それに関連する連鎖記憶を一挙に呼び出し、懐かしい想いに浸るのだ。時折、涙腺が緩んだままの人は、涙を伴う、でも涙を流した後にすっきり爽快感を味わうことも出来ると言われている。

 また、古い馴染みのあるヒット曲を、別の人が独自のアレンジでカバーし、再びヒットするというケースもある。歌唱力の差、声質、アレンジの妙味など、それらを駆使して大脳を刺激し、既に存在しているマーケットを喚起する。その手口によって既に累計300万枚売れたCDがあるという。そこで、今回そのCDを紹介しようと思う。ちょっと、オーディオマニアから離れた話題になってしまったが、BGMや気分転換、オーディオ装置のチェックにどうだろう。このCDの場合、人の声がウーファーにかぶらないか、パルシブな重低音は再現できているか、中音と高音のユニットのクロスオーバーがずれていないか等、チェックしてほしい。もちろん、趣味に合わない人は、レコード屋さんへ行って別のジャンルから選んでほしい。あくまでも、これはオーディオマニアへの刺激剤として受け取ってほしいのだ。
では、こちら
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2008/08/29

コーヒー

 この惑星には、コーヒー好きが多い。はるか、「昔アラブの偉いお坊さんが教えた」とも、聞いたことがある。そのお坊さんは、きっと「違いの分かる男」だったのだろう。ならば、京都には、たくさんのお寺があり、ここには、「違いの分かる住職」が多いのではないかと推察できる。また、屁理屈を!と思われるかもしれないが、実はそうらしい。ほとんどの住職の朝食は、な、な、なんとコーヒーとパンだと言う。住職とは、あらゆる面で最高のサービス業でなければならない。本職だけではなく、幅広い知識と教養を備え、法要の後の講和や、相談事などにも生かされる。人としての生き方や道徳感を、巧みな論理で説得する技術は比類がない。そのために、経文や古書を紐とき、毎日の修行で感性を極限まで高め、生と死の狭間を極めるのである。経験のないことを、あたかも見てきたかのように説明できるのは、その成果といえる。庶民は歳を重ねると、殺伐とした世間に落胆し、霊験新たかな世界を渇望する。その期待に応えていくのも住職の仕事なのだ。そのような、「苦しみ、悩み、迷い」の多い仕事には、考える時間はとても重要だ。そして、コーヒーはそれに必要不可欠な大脳刺激剤だったのである。右隣も寺、左隣も寺、と寺が密集した町では、このマーケットは大きい。京都にコーヒー店の老舗が多い理由も納得できよう。

 ということで、今日はこちら。濃くて美味しいコーヒーを楽しみながら、ゆったりとした時間と空間の中で、仕事をよく整理してみるのも良いのではないだろうか。
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%80%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%80%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC.pdf

2008/08/24

ハンバーグ

 一本道を歩いていたら、思ってもみないところに足を取られて、次々とつまづいて、ついに、ひっくり返ってしまったような、何か不甲斐なさに落ち込んでいる人も少なくないだろう。だから警告したじゃないか、JAPANの前に個人の名前をつけるのは「不吉」だって。

 それにしても、女子サッカーは楽しませてもらった。エースコックのようなパワフルなお姉さん連中を翻弄させる、正確なパス回しやサイド攻撃、気持ちよさそうにゲームを進める「なでしこJAPAN」は、すこぶる好感の持てるチームだ。チーム全員の軽快さが画面を通して伝わってくる。いつの間に、こんなに上手になったのだろう、いや、下手な男子を応援しすぎていたせいかもしれない。ゴールが決まるとつい、画面に向かって力を込めて拍手してしまった人も少なくないと思う。体格、体重や身長の劣るチームが、歴史あるハンバーグ・チームに堂々と互角のゲームを展開した時間である。熱意のある選手を多く抱えた監督は、ゲーム中、自分のチームに口出しすらできなかったようにも映る、テレビは、その一部始終を余すことなく伝えてきた。「なでしこJAPAN」は、自分達の能力を自らの足で証明したのだ。メンバーはベスト4入りをもっと誇りにすべきだ。そして、次もぜひ頑張ってほしい。 こんどこそメダルを賭けて。

 一方の、男子サッカーは「2チームとも監督が悪い」と、駅前の八百屋のおっさん、京王線の中の青色の若者達、街中の歯科医の先生、はたまた近所のサッカー少年のお母さん方まで話している。無理もない、能力のない者がやれる仕事ではないからだ。サッカーはフィールドの中で、考えながら動いて、実力がつくものだし、チームで相手を崩すスポーツだ。まず、かつて、それが出来なかった者に監督をやる資格はない。また、ゲーム中の監督の仕事は少ないにもかかわらず、その僅かな仕事をまともにやれない者は、チームの邪魔をしているのと同じで、本来なら監督を最初から辞退すべきだ。ゲーム終了後、「完敗だった、選手が一番分かっていると思う」とか「申し訳ない」としか言えないのでは、選手は、そんな監督に選ばれるた事を「恥だ」と思ったほうが良い。能力のない監督に選ばれても、自分に能力がないことを証明するだけに終わってしまうからだ。

 サッカー少年のお母さん方は、将来の息子の事を、そこまで心配しているのだ。「あんた、どうよ!監督はもっと優秀じゃなきゃ」「監督こそオーバーエイジよね~」「顔が駄目よね!悪いわよ」 「あの、前のオシまれた人・・・・ええとお~」「前の監督、良かったわよね」 と言った具合だ。さすが、やはり母は「恐るべし、鋭い見通し」である。息子のためにハンバーグの食材を買いに来た、お母さん方の会話を、うなずきながら、なるほど、はっきり言うなあ・・・・と聞くしかなかったのである。
 ということで、そんな色々心配かけた母さんを思い出すために、今日はハンバーグのお店を紹介しよう。 それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%8F/%E5%8D%83%E7%9F%B3.pdf

2008/08/21

カレー粉末

 日本にも「うこん」という食材がある。インドが原産で高温多湿環境下の、熱帯・亜熱帯に分布するショウガ科の多年草植物で、根茎を加工したものである。女性には、「美人になる食材」といわれ、お酒飲みには、「二日酔いに効果ある」とか、テレビでもCMが流れている。また、まこんぶと混合した「我神散」という胃腸薬(粉末)にも長い間使われている。随分健康的で愛想の良い食材植物と言えよう。しかし、それをお湯で薄めて飲もうとしても、刺激性があり、苦くて吐きそうになるが、体によいと言われると、何とか我慢できる程度の代物である。

   しかし、これがカレーに使われると俄然威力を発揮する。日本のカレーは英国式のシチュー風ボテボテ・カレーでウコンの占める割合は極端に少ないので分かりにくいが、サラサラのインド式カレーでは、うこんはターメリックと呼はれ、その他のスパイスと共に大量に使われて、その効能は配合比率によって家族の健康管理にも応用されると言われている。

   世界中に排出されているインドの優秀な人材は、みんなそのような環境で育っている筈だ。最近は、その効能を売りにしたインド人経営のカレー店も増えている。その様なお店では、日本での店舗代、光熱費、人件費、肉類の価格などによって、いくらスパイスが容易に入手できたとしても、優れた品質の安価なカレーは提供されにくい。一方、カレースパイスは、デパートでも多くの種類が販売されているが、揃えると案外高価になる。また、専門的な知識を持ってすれば、それらスパイスは漢方薬屋ですべて入手可能だが、ブレンドなどが難しいとされている。

 と言うこともあり、今日は「カレー粉末」を紹介しよう。カレーは最も単純なメニューでもあり、普段の製作には、英国式カレールーを使うことも少なくない。しかし、このカレー粉末を使って、体に優しくスパイシーで油成分の少ない、カロリー低めのカレーを楽しんでもらいたい。もちろん、英国式カレールーとの併用で食べやすく仕上げるのも良い。材料には、ジャガイモに変えて大根とか、さっぱりセロリなどを組み合わせてみると面白い。牛肉、シーフード等食材の選択は自由。いずれも、スパイスが薫り高く楽しめる。 特に、最近の研究で、中高年にはうってつけの食材になった。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB.pdf

2008/08/16

神田シリーズ5

 テレビの解説者が「ちょっと今の判定はおかしいですねー」とか「あのタックルは怪我をさせますね、まずいですよ」などと言っているにもかかわらず、審判は注意もせず絶対的な権威を持って平然と裁いている。審判の判定品質がゲームの品格を決定付けると言っても過言ではない。

 1:1でも、複数対複数でも勝ち負けを決定するスポーツは、そのくらい審判の役割は大きい。参加チームの世界ランキングがあるならば、審判自体の「評価システム」を公表すべきだし、「世界ランキング」を付けるべきだ。現在は様々な角度からテレビカメラがゲーム進行を追いかけている。審判の「誤審や見落とし」をいくらでも検証できる。また、数名の審判で行うとしても、それぞれの審判の責任を明確化すべきだ・・・・と日本人は審判にとても厳しい。

 それは、日本の選手は「正々堂々と戦う」ことに美学を持っているし、日本古来の審判は、自ら責任を取る究極の姿「腹を切る」と言う概念を持ち合わせていたからだ(勿論今はない)。つまり、審判は 「もし間違った判定をした場合は、腹を切ってお詫びをする」 その覚悟をもって審判は「判定に責任」を持っていたし、その覚悟のある審判の下でなら、選手も「命がけの勝負」が出来るという、極めて明確な論理だ。

 日本の国技でもある大相撲は、審判=立行司はそのために「短刀」をいつもさしているし、判定に文句を付ける「物言い」という立場の人もいる。正に高い次元でガラス張りの「勝敗追求システム」が機能しているのだ。

 ということで、今日は予想外の話になったと思うけれど、その「大相撲の名立行司」として歴史にその名を残す、「第二十二代 木村庄之助」にあやかった「軍配扇形最中」の紹介である。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%BA%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9/%E5%BA%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9.pdf

2008/08/14

神田シリーズ4

 老舗が老舗として誇りを持っているのは、やはり一流として認められたという事実があることに他なりません。その分かり易い例として、「宮内庁御用達」に拝命されたと言う事実もその1つではないでしょうか。

 古くから良い品をそろえ、地道に商いを行い、さほど高くもなく、いつも品質が優れている。それでいて庶民から最も愛されてきた。という実績がその結果に結びつくのです。産地はどこだとか、どのような作り方をしているとか、それは確かに要素の1つではあっても、絶対的な基準とはいえません。現代風に言えば、それはまさにオブジェクト指向。結果的に品質が高いレベルで安定していればよいのです。しかし、そのこと自体が逆に難しいものもあります。むしろそのために、作り方も同じで、産地も同じでなければならない、また、誰が作ったかを問題にするケース、天候条件など様々な要素が考えられるのです。

 そのような、細かい神経を使う商いを支える実力が、さらに、「宮内庁御用達」の権威を向上させる原動力にもなっています。そのようなお店は、我々一般人が試しても、やはり水準が高いと思わせる何かがあります。

 それでは、その「宮内庁御用達」で、お気に入りの店を紹介します。神田で食事をしたら、最後はこちらで締めてください。私が勧めるのも変ですが、もちろん、気に入っていただければ、こちらに直行でも構いません。どちらかと言えば、女性にお勧めです。とても、美味しい一流果物店です。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E4%B8%87%E6%83%A3/%E4%B8%87%E6%83%A3.pdf

2008/08/09

神田シリーズ3

 江戸前とは、江戸の前の湾で取れる海産物を使った加工食品に使われてきたが、海外から多くの海産物が輸入されるようになった現在では、材料はともかく、加工または調理の仕方に残されている。関東と関西では加工工程の異なる鰻には特別に区別して使われる。一方、寿司の江戸前とは大阪押し寿司の「発展型」であるとされている。

 「神田の生まれだってねぇ、おぅ、食いねぇ、寿司食いねえ ... 」「おぅ、神田の生まれよぅ」 「そうだってねぇ、おぅ、寿司くいねぇ。」・・・ これは、江戸の話のような扱いをされているが大阪での話(押し寿司を勧められている)である。ここで、着目すべき点は、次郎長一家の石松の性格である。おだてに乗りやすく、人情味溢れ、喧嘩っぱやく、せっかちであること。・・・・これが「神田の生まれ」の特徴である。だから、押してしばらく放置する大阪押し寿司は、神田っ子のせっかちな性分には、合わなかったのではないだろうか。

   寿司飯に刺身をのせて、一口大にしてすぐに食べられる、これがよかったのである。せめて、刺身に、あらかじめ下味をつけることが、江戸前になった所以ではないだろうか。その典型が「づけ」として江戸前の特徴として残る。したがって、しっかり、下味の付いた江戸前寿司に醤油をつけるなんてことは、本来、「本筋」から外れることなのだ。 せっかち者に食べさせる江戸前寿司はファーストフードである。ぶらっと寿司屋に入り、片っ端から好きなものだけ注文し、食べ終わったら、そそくさと仕事に戻る、そんな、忙しい商売人の食べ物なのである。

 今日は、もっと「せっかち」で忙しい、食べながら仕事をするあなたのための一品を紹介しよう。大阪押し寿司の流れを継承し、もちろん、丁寧な職人の仕事が冴える「江戸前の味付け」だ。弁当にもなる。美味いよー。
それは、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E5%BF%97%E4%B9%83%E5%A4%9A%E5%AF%BF%E5%8F%B8/%E5%BF%97%E4%B9%83%E5%A4%9A%E5%AF%BF%E5%8F%B8.pdf

2008/08/05

夏の水分補給

 父は夏場に脳梗塞で倒れました。元々、トイレが近くなるからといって大量の水分を摂取することに消極的で、さらに、「水分不足を補う」ような知識もありませんでした。しかも頑固、「暑い夏は精神力で乗り切る」そんなタイプだったのです。医師からこの病気の「主たる原因=水分不足」を後から聞かされ、悔しい思いをしました。

 だから、ご両親に同じような心配のある方、是非この夏場からでも、早速何か行動を起こしてほしいのです。ただ単に「水分を大量に摂取しろ」と伝えても、きっと、「分かった分かった」で終わってしまいます。それよりも「お前は元気か、仕事はどうだ?」などと余計な心配をさせてしまうのが落ちです。また、「あいつ、水を飲め、水を飲めって言ってたぞ!そんな、水ばっかり飲めないよな母さん」なんて会話で終わってしまいます。

 そこで、お盆には必ず帰省し、実践的な手本を見せる必要があるのです。ちゃんと説明をしながら、自分が飲んで見せるのです。同時に、「どのようなものを、なぜ、飲まなければならないか」をとくとくと説明するのです。「そのために帰ってきたんだ!」と強調も必要です。その熱意は、きっと伝わる筈です。そして、出掛ける前に必ず「母さんあれ・・」って習慣になれば完璧です。ほんの些細なことで、体の一部分が動かせなくなったら、様々な苦労があります。
 
  父の場合も、一般的な場合と同じで、食道と気管を自動で切り替える神経をやられてしまったのです。これが、どういうことになるか、少し考えるだけでお分かりだと思います。ちょっと、周りの人達が気をつけるだけで予防できるものは、出来る限り対処してあげてください。 もちろん、水分を摂る暇もないくらい忙しいあなたにも必要です。

 水分補給のために、手っ取りばやいのはこちら。最近水溶性粉末も出て、さらに使いやすくなりました。
http://www.nextftp.com/suyama/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF.pdf

2008/08/02

神田シリーズ2

 先代あるいは先々代の仕事に似せて仕事をすることを「仕事を似せる=仕似せ」という。暖簾(のれん)とは、冬場、隙間風が客にあたらないように目張りをして客を守ったことから「暖かい簾=暖簾」と書く。代々続く仕事の品質を継承し、客を大切にする店が「老舗」なのである。この現代で、難しいとされる仕事を継承していくためにはどうすればよいのか、難しくても「変えてはいけないものと、変えてもいいものとを、現在の価値観で冷静に見極める」ことが重要だ。たとえば、職人が作ったものと、同じものが協力会社で可能ならば、そのほうが良いかもしれない。しかし、協力会社が手抜きをした場合、自分で作り直せる技術は確保しておかなければならない。職人が駄目といえば、すべてが駄目なのだ。そんな時、「暖簾に傷がつく」という判断がなされる。結果的に、お客が僅かでも不快に思うことは許されない。職人も「うちの客は僅かな味の違いも見逃さない」という誇りを持っている。それは、過去ずっと優れた品質を継承してきた(客を満足させてきた)証でもあるのだ。

 最近は、「優れた食材を使っている=美味しい」 筈だという他力本願型の店も少なくない。店として「料理人の、考えや仕事へのこだわり、その裏付けとなる技術」の優位性を感じられないことはとても残念だ。だから「仕事を偽って=仕偽」というケースが出てくるのかもしれない。このような「すり替え」は、身近な様々な分野の商品でもありうる。それは、何をどう変えるか「現在の価値観で冷静に見極める」ことができなかった悲しい現実といえよう。そしてそれは、勿論、我々消費者にも責任がある。

 また、老舗を訪れるとき、過度に「味」に期待をするケースが多いが、お勘定をしてから、何気なく 「また来よう」 と思ったら、それは、もう十分老舗を味わっていたことになる。その何気なく見たもの、感じたものは、いずれ、「この店でないと駄目だ」に成長するはずである。 老舗で、味わうこと、感じること、そして、それを分析することは、本質を見抜く感覚を磨くことに繋がるのだ。

 と、自分で書いていても、能書き「たれ」マンを感じる。えっ 「たれ?」、そう、今日はタレを使った蕎麦のお店。本当は「タレではなくて、蕎麦つゆ」と言うが、どうにもタレのイメージが強い。

それはこちら、 (おっと、忘れないうちに付記しておこう。「神田まつや」では、お勘定をするのに奥に座っている女将の傍へ行き、自分が食べたものを申請して支払うことになっている。伝票はない。 )
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%84.pdf