蕎麦屋は、蕎麦粉の歩留まりが良いというのもあって、古くから「他より、ちょっと美味しいだけ」で儲かる、上手に「経営する」とすぐにビルが建つと言われてきた。そのような背景から、脱サラで蕎麦屋を始める人も多かったが、今は、そんなちょっと美味しい蕎麦屋も危うい状況になりつつある。今、外食をする人が減っている。そのせいか、いつもの食堂で出される料理の品質、量共に劣化して、お客が離れ、悪循環が始まっている。当然、決断の早いオーナーは、とっくに店じまいをしている。昔のお店を訪れて閉店の看板を見ると、寂しい思いをする。「渋滞に巻きこまれ、間に合わなかった救急車の運転手の気分だ。自分一人の責任ではないが、とても残念に思って見送る」そんな情景だ。半年前あたりから、そのようなケースが徐々に増えて、取材に訪店しても、紹介しにくいお店が増えた。今後は、暫く次々と閉店が続くに違いない。我々が、僅かな違いを評価して「ひいきにしていたお店」ほど、そうなってしまいそうな感じを受ける。早いうちに「食べ残しがないよう」に訪れておくことにしたい。
ここは、神田の蕎麦屋のように、明るいうちから大工の頭領が、お酒をちびちびやっているようなお店ではない。たいがい、男女の二人ずれが訪れる。この街は若者で溢れ、エネルギッシュで、かん高い声で遊びまわるちびっ子もたくさんいる。店頭には山のように品物が並び、レジで順番を待つ人も多い。今もバブルの時代を髣髴とさせ、依然街全体が快進撃を続けているのだ。土日、祝日などは、幼い子供連れか、若い男女か、女性のグループか、・・・・他とは大きく違い、街中に、じじ、ばば、は目立たない存在なのである。いや、じじ、ばば、まで「お洒落に若返ってしまっている」のかもしれない、そんな高揚する雰囲気がある。
今、若者に蕎麦好きが増えている。しかも、うるさいやつが多い、いやいや、騒がしいのではない。彼女に向かって、「蕎麦はこうして食べるんだとか、蕎麦湯はこう使う、オーダーの順番はこうだ」とか、○○のお店は「そばつゆが辛口」、この店は「箸の材料が本物」と、聞く耳持たずとも、わざわざ小耳に挟んでくれて、妙に私までも楽しくなる。彼らは、我々の時代より、はるかに楽しみ方を心得ているのだ。実は、そんな作法や流儀よりも、本当はもっと大切なことがある。それは、その店の馴染みになる、つまり「頻繁に顔を出し、同じ席に座る」事である。これこそが、「職人との勝負」する基本ルールなのだ。たとえ、それが「もり蕎麦」1枚でも構わない。そして、お勘定は明るく「ご馳走さま~あ」と奥に向かって声をかけることだ。この、「職人にちょっとした緊張感と、大いなる喜びを与える」のが常連の責務といえる。通へば、通うほど、お店の方から大切にされるし、珍しい味の試作も出たり、小品の楽しみ方も教えてくれ、「由来」も伝授してくれる。これも、客の喜びの1つである。しかし、食べ方について尋ねると、「いいえぇ、お好きなように食べてください」と言われるだけであるが・・・。
先週、山から降りてきて、無性に蕎麦を食べたかった。山の中には「手打ち蕎麦」の看板が目立ち、妙に刺激を受けたからだ。でも、ありがちの味醂醤油の「そばつゆ」で落胆したくなかったので、誘われて寄る気分ではなかった。そこで、今、この店のいつもの席に座っている。
撮影は、F1に詰めたフイルムが余っていたので、これでまかなう。照明とフイルムのせいで、若干いつもと色味が違うが、お許しいただきたい。
では、こちら
http://www.nextftp.com/suyama/%E7%A0%82%E5%A0%B4/%E7%A0%82%E5%A0%B4.pdf