映像は、写真にしろTVにしろ、広い意味で、諸先輩方からの暗黙の指導によって成り立っている。これらの技を上手に取り入れて、より優れたものを目指す人も多い筈だ。一方、徹底した現場主義で自分の経験のみ信用し、それによって画像哲学を確固たるものにする人もいる。また、光の原理やレンズの持つ性質を研究しながら理屈のみで自分のスタイルを確立している人も少なくない。このように、映像表現は、様々なアプローチ方法があってしかるべきである。
ここで紹介している 「お散歩カメラ」も、それなりに市民権を得て、魅力ある写真を公開している人も少なくない。ご本人にとっては、恐らく、なんでもない写真なのだろうが、「あっぱれ!」と関心する例も多く、その鋭利な刺激は心地よい。しかし、カメラのグレードの高いコーナーに、そのような優れた例が見当たらないとは皮肉である。
今までの画像比較は、2種カメラの標準設定の比較だったが、今回は、もう少し積極的に画像を作るという視点で微調整をしてみた。かつてのカメラファンは、フイルムを交換することで、フイルム・メーカー独自の色調、分光感度やコントラスト、あるいはガンマを選択できることから、フイルムによって様々な個性を画像に反映してきた。また、そのような小細工によって、実物よりも、よりインパクトの強い画像を志向してきたともいえよう。この背景に潜んでいるものは、カメラ本体やレンズなどの機材の持つ限界であるとか、あるいは、自分の感性に自ら飽きるという、創作活動自体の限界を早々と感じてしまうためでもある。それは、道具自体に自分の能力以上のものを期待している依頼心からくるもので、技術や感覚を研ぎ澄ます前に、機材に責任転嫁をしているといってもよい。もっとも、その安易な要求が、カメラメーカーを育ててきたという歴史的背景も否定できないが、所詮、身近な風景や自然など、実在するものに向かい、ただシャッターを切ってリアリティーを追求するだけの写真では、早々と結論が出てしまう。
今日は、そんな伝達情報の少ない情景の「勝手な切取型」の写真である。お散歩カメラでは、少々荷が重いフレームではあるが、意外に、その場の雰囲気に負けてシャッターを切ってしまった。こだわりがあるわけではないが、「このカメラで、どの程度いけるのかな」とちょっと興味があったのだ。これを見て、「お散歩カメラ」の画質の限界と、その使い方次第の可能性を確認してほしい。 場所は京王線の高幡不動尊である(やはり、美味しいお店は無くなっていた)。
このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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