2008/12/30

続デジタルカメラ13

 人は、その時の気分次第で目の前の風景の見え方が変わる時がある。それは滅多に訪れることはないが、そんなタイミングを「1つのきっかけ」にすることが、自分の「活力を蘇らせる」チャンスである。

 いつもの空間が、いつものように見えるのは自然なことかもしれないが、実は、視覚から入る情報を、大脳は大雑把にプロットし「同じ」であることを認識するだけで、処理を流している。つまり、過去のデーターと、いくつかのポイントで照合しているに過ぎないのである。そして、四季を通じて、春とか、秋とか、その異なった「差分」を素早く認識することで処理を終了するのである。それは、自分がそういう「流し処理」をしたい、あるいは、すばやく「片付けたい」と無意識に考えているからに他ならない。

 今日まで、毎日仕事が忙しく、最近は防衛本能のみで日々を過ごし、日常風景の中にある木々の変化など、全く気にも留めなかったのに、ある時、会社の将来性に先が見えたり、人間関係にキレてしまったり、なんとなく自分の中に空虚な実体が生まれたりするときがある。そんな時、過去の仕事を振り返りながら、ふと落ち着きを取り戻すと、周囲が新鮮に輝いて見えたりするのである。あるいは、定年を迎えてゆったりとした時間が出来て、書庫を整理しながら、ふと庭を覗くと、記憶とは違う別物に写ったりすることもある。

 つまり、落ち着いて物事を処理する気分になると、今まで気にもとめなかった現象に気づき易くなる。木々の生命力に驚いたり、雲の動きに感動したり、日差しがいつもより輝いて見える事がある。これは、人が人としての「本来の活力」を取り戻している証拠である。そして、「次の夢を持ちたい」と願う時期でもある。もし、今それを実感していたとしたら、自分の「絶対的な実力不足」を徐々に感じ始めなければならない。本来、最初にそのことに気が付かなければならないが、なかなか自己を否定できないのが現実だ。この「年齢に対する能力」の極端なアンバランスを実感してこそ、人間(=大脳を駆使する動物)なのである。

 多くの時間を過ごす会社は、人を育てる場所ではないし、自然に成長できる場所でもない。知らず知らずの間に、会社という集団心理に感染し、潜伏期間を過ごしているにすぎないし、恐ろしいほど世間との「能力差」を生みながら、帰属意識に自己満足してきたのである。だからこそ、今、大いに反省し、自分に不足しているものは何かを探し求め、埋めていくために良いチャンスになる。自分の欠落部分を補ったり、誤りを修正して、「自己をバージョンアップ」する時期に来たと言えるのだ。 今までの大脳処理と同じ様に、毎日安易な「パターンの流し処理」に慣れてしまい、これからも、それでよいと思ってはならないのである。

 またまた、偉そうな話になってしまったが、自分のために大脳を上手に使い、毎日注意深く過ごそう。今日は、普段は気にも留めない、通勤途中にありがちな路上風景の1シーンであるが、どちらの色が記憶色に近いか見比べてほしい。もし、同じような場所があったら、たまには近づいて実物をじっくり眺めてみてはどうか。 このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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