2008/12/13

続デジタルカメラ11

 優秀なトレーナーは、アスリートに実際よりも程遠いトレーニング・メニューを実行させる事がある。何の役に立つのか分からないが、無心にそれをこなすことで、知らず知らずのうちに目的にあった体になるらしい。そして、実践では良い成績を収めるのである。本人は自分に才能があるのではないかと、有頂天になるが、トレーニングを怠ると、やはり簡単な事が出来なくなる。そして、再びトレーナーと対話する。そこで、やっとその練習の意味が分かり、納得をする。「わかった、なるほど、そうだったのか」と。ブルースリーの話ではないが、基本が想定外のところにあるトレーニングは、いくらでもあるようだ。もちろん、写真撮影も例外ではない。

 たとえ、どんなにとっさの思いつきでも、被写体とも言うべき「空間」をどのように写し取るか、それを瞬間的に要素分析するのがカメラの操作とそのフレームワークである。こんな、頭では分かっていそうな簡単なことが、いざとなったとき出来ないのは、基本を忘れている証拠ともいえ、大いに反省をしなければならない。

 書籍をいくら紐解いても、取扱説明書を難度読み返しても、書かれていない事がたくさんある。そんな時、子供の頃を思い出し、虫眼鏡で色々な物体を見るトレーニングをするとよい。時間のあるとき、様々な被写体をそれで覗くのである。カメラのファインダーをいつも覗き込んでいると、「たいした写真も撮らないのに、カメラばかり触っている」と回りから批判されるが、虫眼鏡だと、「父さんも、年とったんだなあ」と思われるくらいですむ。時には、太陽光で何かを焦がす事があるかもしれないが、それもトレーニングの1つと心得よ。じっくり、その中に写ったものを観察し、実物と比較してほしい。

 そのうち、少しづつ分かってくる事がある。そして、答えを自分で見つけた時、再びカメラを手にし実践してみるとよい。基本とは、「ゆるぎないもの」でなければならない。そのためには、原理原則が分かりやすく、単純な構造体を手にして経験を積むのが一番だ。それは、「お散歩カメラ」だけにとどまらず、35mm、6×6、4×5 まで、すべて共通して使える「普遍の理屈がそこにある」ことに気づく。

 このトレーニングは、運動能力を鍛えるのではないので、シャッターを切った回数や、山に登って写真を撮った回数等には全く関係は無いし、生まれ持った感性とも程遠い内容である。すべての自然現象には理由があり、そのルールを理解して、カメラに応用させた者だけが味わえる基本撮影技術がそこにあるのだ。

 今日は、訳の分からない「偉そうな能書き」だけに終始してしまった。電車を降りる時、いつも、「ちょっといい感じ」と思っていた。地元の駅は照れくさいがシャッターを切ってみた。場所は京王線の柴崎駅である。
このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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