2009/01/16

続デジタルカメラ17

 写真は、あくまでも個人的な理由によるが、撮影しておきたい衝動は、いつ襲ってくるか分からない。それは、まさに何か、「スイッチの入る」と言える状況なのかもしれない。それをお断りして、現場からの報告をしたいと思う。今夜は、あるお寺の前を通って、しげしげと見入ってしまい、その「霊験あらたか」な夕景を眺めながら、つい手を合わせてしまったのである。お寺の門前でこれほど驚いたのは、初めてである。 おっと、もちろん私は、宗教家ではない。

 そこに、透けて見える人が立っているぐらいのことなら、それも仕方ないことであり、よくある話なので驚くこともない。普通、お寺には、この世に未練を残したまま亡くなり、成仏できない霊魂が時々訪れて、住職に相談事をすることがある。納得するまで何度も訪れるようで、住職は、他人に見えない仕事に多忙である。そのようなことは、一般的に知られていないし、住職ごと実績として広く開示されることもない。住職は、門徒も「さまよえる霊魂」も分け隔てなく接し、慰め、悟りを開くように勧めるのである。夜半、家族団らんを過ごしている住職が、「今日も来られた」と厳しい顔で、席を立ち本堂に向かうときは、必ずそのような状況にあるという。もちろん、家族には客人の姿を見ることはできないが、住職には姿、声まで聞こえているのである。このようなことは、ごく普通のことで、大きなお寺には、昼夜を問わずもっと多くのさまよえる霊魂が訪れると言われている。

 このお寺は、そのような多忙な住職達が、かつて専門教育を受けた所で、全国の「浄土真宗」系のお寺の総本山である。今、その本山の東側にある阿弥陀堂門の前にいる。門の前には、「木札」と言うのだろうか、いくつかの重要な、通告すべき内容が記述されて立つ「木製の札」がある。よく時代劇などで、法令などを庶民に知らせるための告知板として登場するものの大型版である。当然昼間は、その墨で書かれた文字を読むことができ、このお寺の起源や系譜とか、今どのような催し物をしているとか、を参拝するものに知らしめるものである。

 その木札の「文字の部分」が「夜中にオレンジ色に光る」のを観たのは、生まれて初めてのことである。もっとも、この地にお住まいの方は、よくご承知のことと思う。私は、これを観て、ひどく驚いている。古い仕掛けを大切にし、その目的拡張のために新たな技術をさりげなく適用する「旧新が渾然一体となった姿」に感動し、この夜半も、りんとして輝きを放つ「木札」を眺め、このお寺の、生死の分け隔ての無い、広範囲で時空を超えた役割を感ぜずにはいられないのである。このお寺は、国宝や重要文化財を豊富に備え、当然「世界遺産」に登録されている。

 今日は、情緒的というか、報道的というか、もちろん、木札に書かれている内容はともかくとして、何とか、この情景を伝えたかったのである。このような写真は、写されたもの自体に興味はあっても、写真そのものの出来、不出来を問題にすることは無いので、コメントは控える。このシリーズはこちら。 (初めての方は、続デジタルカメラ3の本文を参照のこと)
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