今までに、いくつか深大寺周辺を写真で紹介してきた。1.門前のもみじ風景、2.粗碾蕎麦と松本清張、3.桜並木が続く野川沿いに深大寺へ、4.深大寺本堂概観、といったところだ。これからも、まだ続くことになりそうだ。深大寺の寺名の根源でもある、「深沙大王(じんじゃだいおう)」という「水の神様」を象徴している場所を探し求め、今日は再び深大寺に戻ることにする。
確かに、深大寺周辺にはいくつかの沼にも似た小池が散在しており、鯉なども放されている。それらを単独で眺めていても、水が湧き上がっている様子は見当たらない。そこで、門前から西へ「道脇の水路」の上流へ向かって歩く。「元祖鴨田家」の先には、亀島弁才天池、道路の反対側には「甘味あめや」とか、蕎麦の「一休庵」、さらに「青木屋」の前を通り、先へ行くと「深沙大王堂」に出る。このあたりに、その水源らしき池があっても良いはずだが、それらしい場所は見当たらなかった。水かさが増す雨降りの翌日にでも再び足を運ぶことにしたい。そんな日は、きっと水音が聞こえてくるに違いない。諦めて、再び方向を山の手にとり、深沙大王堂の裏から延命観音の前を通り、深大寺の乾門をくぐり「元三大師堂」に戻る。それにしても、あの道の脇を流れる豊富な水は、いったい何処から流れて来るのであろうか。 うーむ、そんなことは、分からなくてもよい、高いところから低いところへ流れるに決まっているし、この土地柄からして、染み出る水源はいつか突き止められる。とりあえず、また探すということにしよう。
そこで、もし、仮にではあるが、自分がこの土地に社寺仏閣を建てるとしたら、どのように立案するのだろう。そう考えれば、また別の答えが見出せるかもしれない、と、智慧を巡らせる。三鷹と調布の大地の境目ともいえるこの場所は、絶壁のような急斜面が目立つ。寺は、その斜面を背後に抱く事が望ましいし、湧き水が出ている象徴的な場所も、条件の1つになる筈である。その湧き水が人を潤し、邪悪なものを流し去り霊験新たかといえる場所こそが、信仰の中心になるのが望ましい筈である。そういう視点で深大寺全体のロケーションを眺めると、どう見ても、ここの元三大師堂のある一段高いこの位置こそが、最初の創建物にふさわしい場所といえそうな気になってくる。現在では、背後に神代植物園への道が開かれているが、きっと昔は、修練者の獣道だったに違いない。推理の根拠として、開山堂というのが元三大師堂の背後にあることからも、 妙に現実味がある。
そんな、自分なりの勝手な空想を思い巡らしながら階段を下る。本堂を横目にしながらふと思い出す。以前から、納得のいかない事が1つある。実は、バスを降りた参拝客は、山門に向かって深大寺に至る。その正面には本堂が位置している。この参拝客が進み、拝む方角は「鬼門」に当たるのである。それは、この元三大師堂と本堂が山門を軸として、おおよそ30~40度角度をつけて建てられていることからしても、それを意識していると思われる。実際それを示唆するように石畳も角度をつけて敷いてある。実は、前回の「本堂概観の写真」でも、僅かに正面からオフセットした位置から撮影してあるのは、その鬼門を外したかったからに他ならない。 もしその推察どおりだとすれば、深大寺は、わざわざ鬼門線上に山門と本堂を建て「邪悪な者の出入り」をこの場所で封鎖し、その先にある調布市を守ってくれているのかもしれない。そう考えると、一挙に見透しが良くなり、すっきりするのである。
そうならば、調布の市民としては、たいへん「ありがたいお寺」と言えそうだ。昔の偉い住職の「社会の営みと庶民を邪悪から守る願い」が込められているのかもしれないが、それを知るすべは無い。だから、我々庶民としては、深大寺を美味しい蕎麦の頂ける場所という風に考えても良いし、ウォーキングの目的地としても良い、また、森林浴のできる神聖な場所と考えても良い、時たま訪れて、昔から変わらないこの場所を慈しんでも良い。勿論、写真撮影の対象としてもよいのである。信仰の対象は、実は理由なんぞ何でも良く、庶民が無邪気に楽しんで「愛されるべき場所」であれば良いし、そのために強い力で「守られた場所」とも思えるのである。ただ、「そんな崇高な住職の願い」に感謝を忘れないようにしたいものだ。
ということで、今日の写真は、湧き水のある場所で、深大寺本堂と元三大師堂の30~40度開いた狭間にある「五大尊池」である。 上に見えるのが本堂と元三大師堂を結ぶ廊下である。住職は、ここを通って行き来するようだ。
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