体の細胞は年齢と共に古くなり、筋肉や皮下脂肪は永久に重力によって大地に引っ張られている。それによって、我々の外的風貌は年輪を増していく。一方、心の中は、いくら社会の荒波に揉まれ、会社で叩かれ、サンドバックのようにボロボロになっていても、健全性は保たれ、幼い時に培われた正義感や、大切な家族を守らなければならないという気持ちは、少しも変わらない。それどころか歳を重ねると、一層倫理観も増し、周囲への感謝の気持ちにも深みが現れる。そして、それが何気ない行動にも表面化し、日常のTVドラマでさえも感銘を受けやすくなったり、ちょっとした気配りにも、ありがたいなと思ったり、時折、古い友人や家族の喜ぶ顔を見たい、とも思うようになるらしい。
今日もウォーキングの後、高島屋デパートの虎屋のまえに座り込み、今買ったばかりの「弥栄という小倉最中(210円)」をほおばっていた。それにしても濃いお茶が欲しいな、スポーツドリンクでは最中とは合わないし食べた気にならなや、と思っていると、目の前を肩を上下させず、すーっと横切る初老の紳士を見かけた。かつての上司を思わせる身のこなしに、つい目線で追尾してしまったのである。その紳士は、ケーキ屋の前で立ち止まり、少し考えながらケーキを指差して迷っている様子だった。私とは違い、決して甘い物に慣れている体型ではない。やや筋張った厳格な感じの人のようにお見受けした。その指先の動きと、時たま腕を組む姿は、あたかも会社で部下に指示を与えている様子を髣髴とさせ、かつての上司とそっくりである。 ちなみに、「部長何を買うんすか?」「うぅっ、観てりゃ分かるよ」といった感じである。
店員さんは、接客のため、ショーケースの外に出てきた。紳士は、変わらぬ気取った様子で、「一日40個限定だって?、どうやって食べんのかな」と口を開いた。一方店員さんは、鋭い口調にやや困惑気味に、はい、側面にミシンの線が入っておりますので、下まで降ろしていただくと、回りの紙が外せます。あとは、お好みのサイズに切り分けてお召し上がりいただけます。と、実物を手に取り、持ち上げてナイフの角度に手を使って説明をしている。年の功はさすがに理解が早い、「あっそう、面白そうだね、年寄り二人だけど、戴いていこうかな」と顔を少し緩めた。ご自宅までどの位のお時間でございますか?「そうだね、1時間くらいかな」といいながら、こんなデパートでお菓子を買うなんて、ここ数年、自分には無かったことなんだ、でも、何とか今その大仕事を成し遂げた、といった安堵した様子で、ちょっと照れくさそうに財布から代金を取り出した。丁寧に包装されたそのケーキを、「ありがと」と、右手を一寸上げながら受け取り、大切そうに抱えて人ごみへすーと消えていった。
きっと奥様は、エースコックのような体型の愛情溢れる優しい方に違いない。あの紳士は、ただただ、その喜ぶ顔を見たいだけなのである。
いくつになっても、オヤジの家族を大切にする気持ちに変わりは無い。しかし、会社の一方的な理屈で縛られている身には、徐々にそれを上手く表現できなくなる。そして、会社の責任が重くなるにしたがって、それが顕著になってくる。これは、家族との隔たりを増すことになっても、近づけるようには作用しない。さらに、年々少しずつ周囲の仲間も減るので孤立感も増す。意固地にもなり、先行き家族や社会からも見放されるような錯覚を覚える。実は、錯覚ではない。これが、傍から観ると歳を重ねるたびに厳格というか頑固になった、あるいは我慢強くなったように見えるのだ。しかし、本人は、それなりに自己矛盾を抱えていることに気づいている。
その重荷にも似た課題を解決するのに苦しむわけだが、まずは形から入るというか、行動から改善しようと思うのである。本質的には、「思考構造の抜本改革」を必要とされるが、今まで気がつかなかったことは、やはり見当がつかないのである。かといって、今更無理をして調子よくすると、何か悪い事でもしているのではないかと不審に思われるし、優しく気を使うようになると弱気に見えて、長くないのではないかと心配される。やはり、自然体に戻り、徐々に徐々に家族の事を考える時間を持ち、家族の話題を増やすしかない。そして、ある日、昔のように何か「手みあげ」を持って帰ることを思い出すのである。これが、子供達がいた昔の家族団らんの中で、みんなが一番喜んでくれ、自分の存在価値を唯一認識できる時間だったからである。その一寸誇らしく、愛情の押し売りにも似た優越感をもう一度実感してみたくなるのかもしれない。しかし、この程度の小銭で信頼関係を修復できるとも考えていない。
今日もウォーキングの後、高島屋デパートの虎屋のまえに座り込み、今買ったばかりの「弥栄という小倉最中(210円)」をほおばっていた。それにしても濃いお茶が欲しいな、スポーツドリンクでは最中とは合わないし食べた気にならなや、と思っていると、目の前を肩を上下させず、すーっと横切る初老の紳士を見かけた。かつての上司を思わせる身のこなしに、つい目線で追尾してしまったのである。その紳士は、ケーキ屋の前で立ち止まり、少し考えながらケーキを指差して迷っている様子だった。私とは違い、決して甘い物に慣れている体型ではない。やや筋張った厳格な感じの人のようにお見受けした。その指先の動きと、時たま腕を組む姿は、あたかも会社で部下に指示を与えている様子を髣髴とさせ、かつての上司とそっくりである。 ちなみに、「部長何を買うんすか?」「うぅっ、観てりゃ分かるよ」といった感じである。
店員さんは、接客のため、ショーケースの外に出てきた。紳士は、変わらぬ気取った様子で、「一日40個限定だって?、どうやって食べんのかな」と口を開いた。一方店員さんは、鋭い口調にやや困惑気味に、はい、側面にミシンの線が入っておりますので、下まで降ろしていただくと、回りの紙が外せます。あとは、お好みのサイズに切り分けてお召し上がりいただけます。と、実物を手に取り、持ち上げてナイフの角度に手を使って説明をしている。年の功はさすがに理解が早い、「あっそう、面白そうだね、年寄り二人だけど、戴いていこうかな」と顔を少し緩めた。ご自宅までどの位のお時間でございますか?「そうだね、1時間くらいかな」といいながら、こんなデパートでお菓子を買うなんて、ここ数年、自分には無かったことなんだ、でも、何とか今その大仕事を成し遂げた、といった安堵した様子で、ちょっと照れくさそうに財布から代金を取り出した。丁寧に包装されたそのケーキを、「ありがと」と、右手を一寸上げながら受け取り、大切そうに抱えて人ごみへすーと消えていった。
きっと奥様は、エースコックのような体型の愛情溢れる優しい方に違いない。あの紳士は、ただただ、その喜ぶ顔を見たいだけなのである。
いくつになっても、オヤジの家族を大切にする気持ちに変わりは無い。しかし、会社の一方的な理屈で縛られている身には、徐々にそれを上手く表現できなくなる。そして、会社の責任が重くなるにしたがって、それが顕著になってくる。これは、家族との隔たりを増すことになっても、近づけるようには作用しない。さらに、年々少しずつ周囲の仲間も減るので孤立感も増す。意固地にもなり、先行き家族や社会からも見放されるような錯覚を覚える。実は、錯覚ではない。これが、傍から観ると歳を重ねるたびに厳格というか頑固になった、あるいは我慢強くなったように見えるのだ。しかし、本人は、それなりに自己矛盾を抱えていることに気づいている。
その重荷にも似た課題を解決するのに苦しむわけだが、まずは形から入るというか、行動から改善しようと思うのである。本質的には、「思考構造の抜本改革」を必要とされるが、今まで気がつかなかったことは、やはり見当がつかないのである。かといって、今更無理をして調子よくすると、何か悪い事でもしているのではないかと不審に思われるし、優しく気を使うようになると弱気に見えて、長くないのではないかと心配される。やはり、自然体に戻り、徐々に徐々に家族の事を考える時間を持ち、家族の話題を増やすしかない。そして、ある日、昔のように何か「手みあげ」を持って帰ることを思い出すのである。これが、子供達がいた昔の家族団らんの中で、みんなが一番喜んでくれ、自分の存在価値を唯一認識できる時間だったからである。その一寸誇らしく、愛情の押し売りにも似た優越感をもう一度実感してみたくなるのかもしれない。しかし、この程度の小銭で信頼関係を修復できるとも考えていない。
そんな、変われない世代の人たちが、少しづつでも「何か変わろうと努力している姿」は人として格好よいと思う。そこで、その気持ちにあやかり、私も同じ物を買って帰った。シホンケーキの中はふわふわで軽く、手持ちのナイフでは、どうしても上手くカットモデルを作れなかった。そこで、その柔らかさを表現するために、写真にもふわふわ感を出すようにした。 それにしても、これを、ちょっと触るだけで、どのようなナイフが有効なのか分からないような無神経では駄目なのだ。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21323&app=WordPdf
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