2009/10/30

プリザーブドフラワー

 先日、家内の誕生日に知り合いから白い箱が着いた。いまどき誕生日だからといって、そのために贈り物を届けてくれる気持ちがありがたい。なのに、しばらく玄関に放置されていた。まるで、電話帳を受け取った時のように、受け取った姿のまま床に置いてある状態が続いたのである。白い箱は透明の窓があり、中味が見えるので開けてみるほどでもなく、覗いてみると、小さなバラが顔を並べ、「苦しいから開けてくれよ」と叫んでいるように見える。その後、2日経過しても、本人は忙しそうにして、開けてみようとしないので、尋ねてみると「知ってる、開けてみたら」と冷たい反応であった。間に「そんなに興味があるなら」という言葉が割愛してあるので、全く興味が無いわけではない。本人としては、少し時間的余裕が出来てからじっくりと開けてみたいと思っているのかもしれないが、それだけではなさそうにも見える。花が好きな割には不可解である。

 それにしても、知人から何か頂戴する気分はとても嬉しいが、贈り物には、贈り主の社会性を伴うセンスが盛り込まれるし、人なりの価値観も反映される。また、受け取った側としては、何はともあれ気持ちが嬉しい筈である。さらに、自分が全く知らない物が入っていた時には、「まあ、凄い」と感動する場合もある。まれに、がっかりすることもある。たとえ、自分宛ではないにしても、日々この箱に興味がつのるのは自然である。

 さすがに生花のように見えるので、何日も放置できない。開けずに枯れてしまっても本人はがっかりするだろうし、それが1番困る。枯れてしまったときの事を想定して、写真でも撮っておこうと思った。そして、4日目には、意を決して開けてみることにしたのである。ダンボールは見た目より堅牢に出来ていた。中味は、ハート型の鉢の上に小さな花がいくつか並んだ姿をしていた。恐る恐るセロファンの袋を開くと、むせ返るような薫りが広がった。「おーっ」と言う感じである。その薫りがやや人工的なのでそういう反応になってしまったが、赤紫と桃色の球体から薫りが出ているようだ。どうも、小型のバラは丁度、生花と造花の中間的存在で、どちらかと言えば、表現としては少々息苦しさを伴うが、生花のミイラ処理というか即身仏のような作りではないだろうか。小さいので、置き場所をとらず可愛い感じで、まとまりも良い。加えて、存在感だけは一流の雰囲気を漂わせている。

  人は、誰でも小さな物を可愛がる本能があるが、それをくすぐってくれそうだ。それにしても、製造工程を想像しなければ、なかなか意表を突くお洒落な贈り物と言えそうだ。箱の中には、メッセージカードと説明書が同梱されていた。これは、生花加工品=プリザーブドフラワーと言うらしい。

 説明書には、生花加工品なので、水をあげる必要が無く、逆に水をかけると色落ちの心配があるという。また、特殊染料を使っているため、色落ち、色移りの心配があり、親油性があるため、プラスチックやニスなどと直接触れると溶ける恐れがあると書いてあった。写真を撮っても写らないとは書いてなかったので撮影してみることにした。撮影中に、薫りに包まれていると、ふと、家内が開けて見なかった理由が分かりそうな気分になってきた。この商品を既に知っていたに違いない。 私もバジルとミニトマトを育てているので、葉の色が少し悪いだけでも気になる事がある。生き物を大切にする気持ちの普遍性は高い。それが、贈り主との間で、素直に割り切れる気持ちになれなかったのではないだろうか。そんな感覚が頭をよぎったのである。

 今回は、多少芸風の違う写真のように思われるかもしれないが、やはり実体を反映してか、ことのほか、生命力の乏しい画像になっている。
ではこちら
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