京王線の多摩川駅に隣接したフローラルガーデンでは、今、春の訪れを待っている。この寒々とした時期にこそ、しっかり準備しておかなければならないのであろう。スタッフは、あちこちで忙しそうに木々の手入れに余念がない。それでも、彼女達は礼儀正しく親切で、それが年間を通して、多くの観覧者が集まる雰囲気を作り出しているといえよう。
この庭園の最も特徴的なのは、セグメンテーションされた個別のテーマガーデンが全体として見事に融合しているところである。もちろん、そこには、それぞれコンセプトが引き立つように細部にまで手が加えられている。それによってテーマガーデンは特徴を浮き彫りにし、1つ1つが贅沢なほど盛りだくさんに、ちょっと異国を思わせるような雰囲気もあり、美的でモダンに構成されている。さらに、四季を通じて新たな発見も多い。
花を楽しむには、たくさんの品種がただ咲いていればよいというものではない。その周囲にある構図が美しく感じられるよう、自然の理にかなった形で配置されていなければならない。人は、まず全体の美しさに惹かれて興味がわき、そして、近くに寄り、細部に目をやる。その絞り込まれた範囲の中で、様々な感性が刺激されるのである。そして、その美しさの背景というか、裏づけとなる工夫話等を聴きながら、時間の経過に従う立体的な奥行き感をとらえる事が出来る。そんな意図が風景に滲み出ているのであろうか、ここでは、クローズアップはもとより、風景写真に拘るコアなカメラマンが多いようだ。それだけ、ガーデンデザインの企画意図が鮮明になっているということなのだろう。
今日も、ここまで50分ほど歩きながら写真の構成を 「何処にもない写真で迫らないと、他と同じじゃ、つまらんしな」と考えていた。電車で来るとあっという間で、そんなカメラを握ってから、短い時間では撮影イメージなんぞ浮かばない。どの写真も、現場に着く前にページ立てまでを含めたイメージが出来上がっていなければならない。現場では、長々と作業をしたくないからである。カメラを持ってうろうろする時間的余裕もない。そして現像後は、見出しを入れてページに仕上げてみる。それで、駄目だと思えば、また再じ場所へ足を運ぶわけである。この「また」というのが曲者で、いつしかそのまま忘れてしまい、時期外れになってしまうこともある。そうならないようにしたい。
さてと、やはり、この季節の象徴的な花といえば梅になる。ここにあるのは、蝋梅(ロウバイ)という樹で、蝋に似た質感の少し透けた花が咲く。その花びらに充満した高い薫りは、寒い時期に乾燥した冬風にさらされ少しずつ溶け出し、遠くからでも虫達を呼び寄せる。近くに寄るだけで、そんな芳しい薫を放っている。オードトワレや香水にも同様の薫りの商品があるくらいで、この薫りに引き寄せられるのは、虫達ばかりではないようだ。他の木々と同じ時期に同じ動きをしていたら、種の存続が難しくなるからだろう。虫達が少ない時期だからこそ、高い薫りが必要なのである。ここの蝋梅は、既に花を咲かせているものもあれば、まだつぼみなのに、ほのかな薫りを放っているものもある。
日本では、暖かさを実感する頃、一斉にぱっと咲き、春風に乗って散る桜を、昔から「潔し」として好まれる傾向があるが、蝋梅のように、寒い時期にじっと我慢しながら花を咲かせ、薫りを放ち燐として立つ姿にこそ、美を感じるとする向きもある。 いずれにしても、私にはそんな感性の持ち合わせはないので、この場所でしか撮れない、生き生きとして積極的で力強い蝋梅を追求してみたい。「この季節、右肩上がりに冬空へ伸びて、日差しに輝くつぼみ」という感じでまとめてみた。 どうかな。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e3%83%95%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%ab%e3%82%ac%e3%83%bc%e3%83%87%e3%83%b3/%e3%83%95%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%ab%e3%82%ac%e3%83%bc%e3%83%87%e3%83%b32.pdf
フローラルガーデンの最新情報や四季の花々に興味のある方は、こちらのアンジェブログも参考にしてほしい。
http://ange329.exblog.jp/
2010/01/29
2010/01/26
不二家のミルキーロール
世の中には、背景を知らないと不可思議に思えることは多い。多摩川を越えたところの閑散とした不二家の店の前で 「ミルキークリームロールあります」 という看板を見かける事がある。写真もなければ、説明書きもなく、どのようなケーキなのかすら分からない。いつも、ウォーキングの途中、その店の前を通るが、想像だけは逞しいので、歩きながら「ミルキーを生クリームに溶かし込んだものか、生クリームをミルキー風に味付けしたもの」をスポンジで巻いてロールに仕上げた物だろうと、考えるわけだが、やや酸素不足が続いていることもあって、その詳細まで考えが及ばなかった。製造工程が分かれば、どのような味なのか、おおよそ連想ができるが、商品名からその原材料や製造方法を連想するのは難しい。しかし、このミルキーという言葉が使われている以上、間違いなくコンデンスミルクに近い材料が味の決め手になっていると推察される。元々、ミルキーはコンデンスミルク、クリーム、水あめ等から作られている。
コンデンスミルクといえば、古くは「鷲のマークの缶」を思い出す人もいるかもしれないが、大方は、イチゴにつけるあの赤いチューブをイメージされる。それは、「濃縮生乳に44%もの蔗糖を加えて練り上げた液状」のもので、必要なだけチューブから取り出して使用できるようになっている。また、この蔗糖を加えて練り上げたという工程を表して、「加糖練乳」または、単に「練乳」という呼び方もされてきた。チューブの中には、130g、あるいは時折増量と称して150gが入っており、100gあたりのカロリーは329Kcalである。これを、紅茶等に入れてミルク紅茶を作るには。10~12g程度を使用するので、計算上 32~40Kcal となる。ヨーグルト等を例にとると、「大塚食品の贅酪(低カロリー)」100gカップ容器で104Kcalである。つまり、我々ユーザーにとって、コンデンスミルクは原材料とみなす事も出来るため、甘さの容量を基準にすれば必ずしも高cal とは決め付けられない。
さて、今日の話題は甘い物が苦手な人には、とてつもなく苦痛かもしれないが、紹介するのは、私が昨日まで無頓着であったにもかかわらず、銀座などの都会だけで空前のヒットを飛ばし続けているという「不二家のミルキークリームロール」である。川向こうの不二家のお店に看板が出ていた理由は、ここにあるらしい。全国販売における水平展開を狙ったもののようだ。それでも、やはり数奇屋橋店の行列に並んで購入する。この手の商品は、売れている店で買わないといけない。本来ならば、出来上がった物をすぐに戴くのが一番美味しい。そう思ってか、並んでいるおっさんは私だけではない、子供さんのお土産に買って帰るのであろうか、無理やり約束させられたのであろうか、サラリーマン風のおっさんも数人いる。いざ順番が来ると、色々他のケーキなどに目移りがして気になるものである。ショウケースの中からよく似たものを指差し、数寄屋橋店にしかないという、「カットミルキーロール」を手に入れた。何のことはないミルキーロールをカットして、生クリームをトッピングしてあるだけのように見えるが、こちらは、普通のミルキークリームロールに比べ厳選素材で作ってあるとのことである(体積価格は2倍以上)。ついでに、生キャラメルのような生ミルキーも手提げに入れてもらった。家に帰って早速食べ比べと行きたいところだが、ちょっと楽しみな反面、良く考えてみると誕生日検診(30日)があるので、それが終わるまで一寸サンプル程度の試食に留めることにしたい。賞味期限は1日程度で、正確な評価にはその期限内に食べなければならない。2つを比べると、数寄屋橋店のカットミルキーロールの方が甘味がスーッと消え素材が純粋な感じで、上品な仕上げになっている。モダンで大人向けといったところ。一方、ミルキークリームロールの方は、甘味は抑えてあるが粘り強い感じで、懐かしい味に仕上げてある。こちらの方が昔のミルキー風である。赤い箱の生ミルキーも上品で爽やかな感じの仕上げである。補足しておくと、自慢するつもりはないが、私は珈琲、紅茶には欠かさない、筋金入りのコンデンスミルク愛好家である。勿論、そうでなければミルキーの類は購入しない。
PDFの写真では、巨大なミルキーのように包装をされているのが、いわゆる好評の「ミルキークリームロール」で、断面は手前にあるカットミルキーロール(数寄屋橋店オリジナル)と同じで、上に載せられたトッピングを取り除いた状態になる。ということで、ロールといっても、六時屋のタルトのような渦巻き状の断面ではなく、太巻き状のもので、内部の具が全てミルキークリームになっていると思ってもらってよい。殆どが生クリームのせいか、柔らかすぎてカッティングにも慎重になる。 撮影の際にも、カットミルキーロールは柔らかく、室内の温度で既に溶けそうで、手で触ると「おおっ、まずい」といった感じで、何処までも柔らかく、室温によっては、食べるタイミングを逃すと、箸にもフォークにも引っかからなくなりそうだ。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e8%8f%93%e5%ad%90%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%ad%e9%a1%9e/%e4%b8%8d%e4%ba%8c%e5%ae%b6.pdf
コンデンスミルクといえば、古くは「鷲のマークの缶」を思い出す人もいるかもしれないが、大方は、イチゴにつけるあの赤いチューブをイメージされる。それは、「濃縮生乳に44%もの蔗糖を加えて練り上げた液状」のもので、必要なだけチューブから取り出して使用できるようになっている。また、この蔗糖を加えて練り上げたという工程を表して、「加糖練乳」または、単に「練乳」という呼び方もされてきた。チューブの中には、130g、あるいは時折増量と称して150gが入っており、100gあたりのカロリーは329Kcalである。これを、紅茶等に入れてミルク紅茶を作るには。10~12g程度を使用するので、計算上 32~40Kcal となる。ヨーグルト等を例にとると、「大塚食品の贅酪(低カロリー)」100gカップ容器で104Kcalである。つまり、我々ユーザーにとって、コンデンスミルクは原材料とみなす事も出来るため、甘さの容量を基準にすれば必ずしも高cal とは決め付けられない。
さて、今日の話題は甘い物が苦手な人には、とてつもなく苦痛かもしれないが、紹介するのは、私が昨日まで無頓着であったにもかかわらず、銀座などの都会だけで空前のヒットを飛ばし続けているという「不二家のミルキークリームロール」である。川向こうの不二家のお店に看板が出ていた理由は、ここにあるらしい。全国販売における水平展開を狙ったもののようだ。それでも、やはり数奇屋橋店の行列に並んで購入する。この手の商品は、売れている店で買わないといけない。本来ならば、出来上がった物をすぐに戴くのが一番美味しい。そう思ってか、並んでいるおっさんは私だけではない、子供さんのお土産に買って帰るのであろうか、無理やり約束させられたのであろうか、サラリーマン風のおっさんも数人いる。いざ順番が来ると、色々他のケーキなどに目移りがして気になるものである。ショウケースの中からよく似たものを指差し、数寄屋橋店にしかないという、「カットミルキーロール」を手に入れた。何のことはないミルキーロールをカットして、生クリームをトッピングしてあるだけのように見えるが、こちらは、普通のミルキークリームロールに比べ厳選素材で作ってあるとのことである(体積価格は2倍以上)。ついでに、生キャラメルのような生ミルキーも手提げに入れてもらった。家に帰って早速食べ比べと行きたいところだが、ちょっと楽しみな反面、良く考えてみると誕生日検診(30日)があるので、それが終わるまで一寸サンプル程度の試食に留めることにしたい。賞味期限は1日程度で、正確な評価にはその期限内に食べなければならない。2つを比べると、数寄屋橋店のカットミルキーロールの方が甘味がスーッと消え素材が純粋な感じで、上品な仕上げになっている。モダンで大人向けといったところ。一方、ミルキークリームロールの方は、甘味は抑えてあるが粘り強い感じで、懐かしい味に仕上げてある。こちらの方が昔のミルキー風である。赤い箱の生ミルキーも上品で爽やかな感じの仕上げである。補足しておくと、自慢するつもりはないが、私は珈琲、紅茶には欠かさない、筋金入りのコンデンスミルク愛好家である。勿論、そうでなければミルキーの類は購入しない。
PDFの写真では、巨大なミルキーのように包装をされているのが、いわゆる好評の「ミルキークリームロール」で、断面は手前にあるカットミルキーロール(数寄屋橋店オリジナル)と同じで、上に載せられたトッピングを取り除いた状態になる。ということで、ロールといっても、六時屋のタルトのような渦巻き状の断面ではなく、太巻き状のもので、内部の具が全てミルキークリームになっていると思ってもらってよい。殆どが生クリームのせいか、柔らかすぎてカッティングにも慎重になる。 撮影の際にも、カットミルキーロールは柔らかく、室内の温度で既に溶けそうで、手で触ると「おおっ、まずい」といった感じで、何処までも柔らかく、室温によっては、食べるタイミングを逃すと、箸にもフォークにも引っかからなくなりそうだ。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e8%8f%93%e5%ad%90%e3%82%b1%e3%83%bc%e3%82%ad%e9%a1%9e/%e4%b8%8d%e4%ba%8c%e5%ae%b6.pdf
2010/01/22
神代植物園5
今の時期は、神代植物園も閑散としている。園内の木々は葉が落ちて丸裸になってしまった。大地には直接太陽が注ぎ、落ち葉を暖めている。その積もった落ち葉の下では、バクテリアがこつこつと葉を分解して、再び木々はそれを養分として蓄え春に備えている。今日もそんな枯葉を踏みしめながら歩く。朝一番で入ると、冷たく硬くなった落ち葉は、それでもサクッ、サクッと生き生きした音を発てる。水溜りに足を取られない様にして路なき直線を進む。今日は、温室のベコニア群を撮影に来た。
温室に入ると、サングラスが水蒸気を吸着して白濁する。ああっと言う間に全く見えなくなった。これだと、カメラのレンズも曇るに違いない。しばらく進むと、温室の暖かさがどこからともなくじわーと体に伝わってきた。暑いぜ。温室の正面左から入り、ぐるーっと回りながら2階にあるガラス張りのオープンテラスまで行き、そこで上着を脱ぎながら、カメラの為に時間を調整するが、ここは、目の前に広大なバラ園の様子や、温室へ入ってくる人々を眼下に観察する事が出来る。ぼやぼやしていると人影が増えてきた。それでも、今日は1ショット(1/125秒)撮影だけなので、さほど慌てる必要は無い。もし駄目なら、また日を改めればよい。と最初は大らかに構える。上着をたたみ、カメラを右手に持ってベコニア花壇へ向かう。
ドアが開くとそこには、すでに年配の写真愛好家が接写レンズで花の撮影を始めていた。かなり熟練で、動きに無駄はない。しばらくその入り口(写真では右上)に佇むが、数分もしないうちに、次から次へと人が入ってきた。人の流れは、様々な人間模様を描く。ベコニアに限りなく顔を近づけた思えば、笑顔になり、あちこちで近づいたり離れたり、目には見えない秩序の中で、人はそれぞれ軌跡を残して通り過ぎる。ある人は色彩に驚き、ある人はその数に驚き、ある人はそれを写真に収め、そしてまたある人は、花と同化するために一緒に写り込む。そんな、いつまで経っても終わりそうも無い人の流れに呆然とする。
このままだと撮影するチャンスは来ない。仕方なく1度家へ帰ることにした。お昼を食べてくつろぎ、3時過ぎに再び出かけたのである。今度のチャンスは、閉館真際しかない。16時で入場終了だが、退園限度の17時頃までは撮影できる。その時間から人は減る筈だ、と足早にイメージする。それでも、望遠マクロで接写していた年配の人も、一輪一輪コンパクトデジカメで撮影していた人も、大変な根気が必要に違いない。私も、その場所を撮影練習に使う、あるいは画像をブログに残すという動機がなければ、わざわざ、写真なんか撮らないだろう。文章で描写した方が、まだ伝えやすいこともある。
だから、この場でなければ撮影できない特徴を写真に織り込みたい。本来伝えたいことは、殺風景な誰もいない写真でもなく、その場の観覧者のリアクションなのかもしれないと思うようになっていた。そのくらい、誰しもこの色鮮やかなベコニアを見て反応する。このような寒々とした季節だからこそなのだろう。つい我を忘れて大声を発してしまったばあちゃんの集団、若き日の情熱を思い出した年配の2人連れ、丹念に1本づつ生命の尊さを確認していた車椅子のご婦人、入るなり呆然とため息をついた女子カメラマン、ファインダーを覗きもせず、一眼レフカメラを無造作に花々に向けて連写するオヤジなど、人が意表を突かれた様に興奮をしながら、美意識をその場で組み立てたり、創作意欲を滲ませたり、生命力を肌で感じたり、色彩感度を広げたり、偶然にたくさんの宝物を見つけたように反応する様子、など、人々が、その場と空間をその人なりに受け入れて楽しもうとする素直な姿を観ながら、自分もそうしてみたい、あるいは、もっと自分も素直になりたいと思うのである。
その意に逆らうように、人影のないこの空間を撮影するために時をひたすら待つこと、その行為自体の空しさというか一種の寂しさが、撮影する動機を希薄にしてしまう。気を取り直し、空気がよどみ始めた16時半頃、やっとシャッターを切った。どうにもこうにも昼間なのに寂しい写真になってしまったが、それに比べ、ベコニアの色はいつも変わらず生命力に溢れている。カメラを左手に持ちかえながら、今度は自分が観覧者となって1つ1つじっくり鑑賞する。なるほど、これだけの数のベコニアが元気に咲いている姿を公開できるのは、きっと、それ自体も手間のかかる作業なのだろう。その裏づけとも取れる場所が、この写真の左側のフロアにはある。関係者以外立ち入り禁止の札のかかった、おおよそ、ここの約2倍の広さのベコニア園である。そこで、綺麗に咲いているものだけが、こちらの花壇に移動展示されているようだ。なるほど、何でも人を楽しませるには、それなりの背景が必要なのである。そう思うと、早々単純に素直にはなれなかった。
今日は、本来伝えたい空間を伝えきれない写真になってしまった。温室内の人気のある場所の1つなので、神代植物園へ来園される場合は、お見逃しなく。と補足する程度かな。
ここのベコニアのクローズアップは、「続デジタルカメラ20」の比較画像21で紹介済み。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e7%a5%9e%e4%bb%a3%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%85%ac%e5%9c%92/%e7%a5%9e%e4%bb%a3%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%9c%925.pdf
温室に入ると、サングラスが水蒸気を吸着して白濁する。ああっと言う間に全く見えなくなった。これだと、カメラのレンズも曇るに違いない。しばらく進むと、温室の暖かさがどこからともなくじわーと体に伝わってきた。暑いぜ。温室の正面左から入り、ぐるーっと回りながら2階にあるガラス張りのオープンテラスまで行き、そこで上着を脱ぎながら、カメラの為に時間を調整するが、ここは、目の前に広大なバラ園の様子や、温室へ入ってくる人々を眼下に観察する事が出来る。ぼやぼやしていると人影が増えてきた。それでも、今日は1ショット(1/125秒)撮影だけなので、さほど慌てる必要は無い。もし駄目なら、また日を改めればよい。と最初は大らかに構える。上着をたたみ、カメラを右手に持ってベコニア花壇へ向かう。
ドアが開くとそこには、すでに年配の写真愛好家が接写レンズで花の撮影を始めていた。かなり熟練で、動きに無駄はない。しばらくその入り口(写真では右上)に佇むが、数分もしないうちに、次から次へと人が入ってきた。人の流れは、様々な人間模様を描く。ベコニアに限りなく顔を近づけた思えば、笑顔になり、あちこちで近づいたり離れたり、目には見えない秩序の中で、人はそれぞれ軌跡を残して通り過ぎる。ある人は色彩に驚き、ある人はその数に驚き、ある人はそれを写真に収め、そしてまたある人は、花と同化するために一緒に写り込む。そんな、いつまで経っても終わりそうも無い人の流れに呆然とする。
このままだと撮影するチャンスは来ない。仕方なく1度家へ帰ることにした。お昼を食べてくつろぎ、3時過ぎに再び出かけたのである。今度のチャンスは、閉館真際しかない。16時で入場終了だが、退園限度の17時頃までは撮影できる。その時間から人は減る筈だ、と足早にイメージする。それでも、望遠マクロで接写していた年配の人も、一輪一輪コンパクトデジカメで撮影していた人も、大変な根気が必要に違いない。私も、その場所を撮影練習に使う、あるいは画像をブログに残すという動機がなければ、わざわざ、写真なんか撮らないだろう。文章で描写した方が、まだ伝えやすいこともある。
だから、この場でなければ撮影できない特徴を写真に織り込みたい。本来伝えたいことは、殺風景な誰もいない写真でもなく、その場の観覧者のリアクションなのかもしれないと思うようになっていた。そのくらい、誰しもこの色鮮やかなベコニアを見て反応する。このような寒々とした季節だからこそなのだろう。つい我を忘れて大声を発してしまったばあちゃんの集団、若き日の情熱を思い出した年配の2人連れ、丹念に1本づつ生命の尊さを確認していた車椅子のご婦人、入るなり呆然とため息をついた女子カメラマン、ファインダーを覗きもせず、一眼レフカメラを無造作に花々に向けて連写するオヤジなど、人が意表を突かれた様に興奮をしながら、美意識をその場で組み立てたり、創作意欲を滲ませたり、生命力を肌で感じたり、色彩感度を広げたり、偶然にたくさんの宝物を見つけたように反応する様子、など、人々が、その場と空間をその人なりに受け入れて楽しもうとする素直な姿を観ながら、自分もそうしてみたい、あるいは、もっと自分も素直になりたいと思うのである。
その意に逆らうように、人影のないこの空間を撮影するために時をひたすら待つこと、その行為自体の空しさというか一種の寂しさが、撮影する動機を希薄にしてしまう。気を取り直し、空気がよどみ始めた16時半頃、やっとシャッターを切った。どうにもこうにも昼間なのに寂しい写真になってしまったが、それに比べ、ベコニアの色はいつも変わらず生命力に溢れている。カメラを左手に持ちかえながら、今度は自分が観覧者となって1つ1つじっくり鑑賞する。なるほど、これだけの数のベコニアが元気に咲いている姿を公開できるのは、きっと、それ自体も手間のかかる作業なのだろう。その裏づけとも取れる場所が、この写真の左側のフロアにはある。関係者以外立ち入り禁止の札のかかった、おおよそ、ここの約2倍の広さのベコニア園である。そこで、綺麗に咲いているものだけが、こちらの花壇に移動展示されているようだ。なるほど、何でも人を楽しませるには、それなりの背景が必要なのである。そう思うと、早々単純に素直にはなれなかった。
今日は、本来伝えたい空間を伝えきれない写真になってしまった。温室内の人気のある場所の1つなので、神代植物園へ来園される場合は、お見逃しなく。と補足する程度かな。
ここのベコニアのクローズアップは、「続デジタルカメラ20」の比較画像21で紹介済み。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e7%a5%9e%e4%bb%a3%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%85%ac%e5%9c%92/%e7%a5%9e%e4%bb%a3%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%9c%925.pdf
2010/01/19
オーディオマニア10
単なる「大人のCD紹介」の続きになってしまって、つまらない印象を持たれるかもしれないが、最近のオーディオマニアは、65~75歳位の年配の人が多いらしい。この世代の人たちは、我々とは違ってお金持ちが多いのだと聞いた事がある。確かに、音楽を楽しむ時間を忘れて仕事に没頭し、子育てに追われた時代が終わって、時間的余裕ができたのかもしれない。そう言う人たちは、かつて夢を追いかけた時期があり、途中半ばでの中断を余儀なくされていたようだ。人生の第四コーナーを回って、これからは自ら楽しみたいと実感したとき、残された時間の中で夢の実現の為に、僅かな埋蔵金を叩いてでも手に入れたいものがある、ということなのかもしれない。もっとも、オーディオに限ったことでもなく、かつて「喜びとした記憶と、それに情熱を傾けた時間」が大いに影響しているようだ。 それにしても、今のオーディオ装置に新たな進化を求めるのは、古代遺跡にロマンを求めるようなもので、昔のような興奮を覚える技術的要素はあるはずも無い。そこで、かつて憧れた舶来ブランドに心を寄せ、高額商品を受け入れることになるらしい。
さて、CDに保存されている音質は、近年明らかに向上してきた。CDが出た当初に比べ、録音装置やミキシング、あるいは音響処理装置などの性能向上によって、音作りに対する考え方も変わってきているし、録音技術自体も少しづつ変貌を遂げてきたといえる。既に音楽はインターネットからダウンロードする時代かもしれないが、そこに差別化を求めるというか、CDの音質が大幅に改善されているのである。だから、オーディオ装置を少々アップグレードするよりも、それなりに新たなCDを探す方が、よほど優れたサウンドに巡り合う確率は高くなり、C/Pの良い楽しみ方が出来るのではないかと考えるわけである。
どのような装置でも新たな「良い録音のCD」を再生すると、もっとも稀にしかないが、オーディオ装置は見違えるほど元気になる。恐らく、ちょっと大き目のベニア合板にロクハンを付けただけのスピーカでも同じ振る舞いをするに違いない。そのくらい、CDの音質が与える影響は大きく、オーディオ装置や部屋の良し悪しなどは、取るに足らない事だったかと錯覚を覚えることすらある。確かに、かつて無響室でスピーカーユニットをJIS箱に取り付けて計測していた頃は、2nd歪は許容しても、3rd歪は許せなかったし、ピストン領域を外れた分割振動領域までも再生帯域として扱うには抵抗感もあった。実測データーを見ながら、JBLの芯のある音は、3rd歪だとも言い切った頃もある。インパルス応答の累積スペクトラムを聴感と相関を取ろうとしたこともある。でも、それは「無理に特性と音質を結び付けようとした」愚かな行為であったのかもしれない。そして、当時それらは、録音されているレコードの音質の貧弱さに対して、無理に再生装置の物理特性や理屈を振り回して「こじつけ」をしていただけのように思えるのである。
さて、言い訳がましい反省を長々と書いた上で、今日の本題になるわけだが、前々回、高橋真梨子「NO REASON」 を聴いて、彼女の歌いっぷりのみならず、その音作りにも魅力を感じて、既発売になっている他のCDを聴いてみたくなったのである。少し古いが 「紗」~エッセンシャル~ と the best -new edition- を買ってみた。曲名の詳細はPDFをご覧戴きたいが、「紗」はなかなかの優秀録音なのである。まず最初に何といっても音作りが優れている。カラッと抜けの良いパルシブな重低音に特徴があり、かつて、スタジオのモニター室側で聴いているような、空気感、直線性、分解能、スピード感ともに申し分のない低音を聴かせてくれる。それよりも、個性的なアレンジが大変興味深く、聴き応えがあり文句なく楽しい。各楽器の演奏パートにもきめ細かい工夫が見られ明快で美しい音作りなのである。どこを取っても熟練の領域に達して、「レコーディング・チームが一丸となって細部まで拘りぬいた」と思わせるほど、枯れた大人に納得されるアルバムに仕上がっていると思える。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%aa%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%82%a2/%e9%ab%98%e6%a9%8b%e7%9c%9f%e6%a2%a8%e5%ad%902%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%83%90%e3%83%a0.pdf
さて、CDに保存されている音質は、近年明らかに向上してきた。CDが出た当初に比べ、録音装置やミキシング、あるいは音響処理装置などの性能向上によって、音作りに対する考え方も変わってきているし、録音技術自体も少しづつ変貌を遂げてきたといえる。既に音楽はインターネットからダウンロードする時代かもしれないが、そこに差別化を求めるというか、CDの音質が大幅に改善されているのである。だから、オーディオ装置を少々アップグレードするよりも、それなりに新たなCDを探す方が、よほど優れたサウンドに巡り合う確率は高くなり、C/Pの良い楽しみ方が出来るのではないかと考えるわけである。
どのような装置でも新たな「良い録音のCD」を再生すると、もっとも稀にしかないが、オーディオ装置は見違えるほど元気になる。恐らく、ちょっと大き目のベニア合板にロクハンを付けただけのスピーカでも同じ振る舞いをするに違いない。そのくらい、CDの音質が与える影響は大きく、オーディオ装置や部屋の良し悪しなどは、取るに足らない事だったかと錯覚を覚えることすらある。確かに、かつて無響室でスピーカーユニットをJIS箱に取り付けて計測していた頃は、2nd歪は許容しても、3rd歪は許せなかったし、ピストン領域を外れた分割振動領域までも再生帯域として扱うには抵抗感もあった。実測データーを見ながら、JBLの芯のある音は、3rd歪だとも言い切った頃もある。インパルス応答の累積スペクトラムを聴感と相関を取ろうとしたこともある。でも、それは「無理に特性と音質を結び付けようとした」愚かな行為であったのかもしれない。そして、当時それらは、録音されているレコードの音質の貧弱さに対して、無理に再生装置の物理特性や理屈を振り回して「こじつけ」をしていただけのように思えるのである。
さて、言い訳がましい反省を長々と書いた上で、今日の本題になるわけだが、前々回、高橋真梨子「NO REASON」 を聴いて、彼女の歌いっぷりのみならず、その音作りにも魅力を感じて、既発売になっている他のCDを聴いてみたくなったのである。少し古いが 「紗」~エッセンシャル~ と the best -new edition- を買ってみた。曲名の詳細はPDFをご覧戴きたいが、「紗」はなかなかの優秀録音なのである。まず最初に何といっても音作りが優れている。カラッと抜けの良いパルシブな重低音に特徴があり、かつて、スタジオのモニター室側で聴いているような、空気感、直線性、分解能、スピード感ともに申し分のない低音を聴かせてくれる。それよりも、個性的なアレンジが大変興味深く、聴き応えがあり文句なく楽しい。各楽器の演奏パートにもきめ細かい工夫が見られ明快で美しい音作りなのである。どこを取っても熟練の領域に達して、「レコーディング・チームが一丸となって細部まで拘りぬいた」と思わせるほど、枯れた大人に納得されるアルバムに仕上がっていると思える。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%aa%e3%83%9e%e3%83%8b%e3%82%a2/%e9%ab%98%e6%a9%8b%e7%9c%9f%e6%a2%a8%e5%ad%902%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%83%90%e3%83%a0.pdf
2010/01/15
弁当シリーズ 駅弁
どこまでも新幹線の車窓は真っ暗で、ただひたすら眠るしかなかった。金曜日で疲れているはずなのに、寝ても、寝ても一向に着かなかった。19時頃東京を出発するひかりは、広島まで大方5時間かかる。やり残して来た仕事を思い出しながら、新大阪までは周囲に人も多いので気がまぎれるのだが、新大阪を過ぎてからは、すっかり考えることもなく人もまばらで、何処か自分だけがこのスピードによる揺れと騒音の中で、暗闇に向かって突進しているかのような恐怖感を感じていた。それは、父の病状を自分に写し取ったような感覚で、広島に近づけば近づくほど息苦しさを増してくる。それから逃れるように、父との記憶を思い出す。ここ数ヶ月、いつも、同じ駅で何度も何度も同じ情景を思い出し、目頭を熱くした。岡山は、人生の分岐点でもあった。西に帰るか、東へ進むか。父は東へ進む事を勧めた。
23時45分広島駅につくと、自分の足音だけがカツ、カツと響くような、だだっ広い構内を改札まで歩く。外に出ると横断歩道の前を大きなトラックが行きかっている。地響きのような大きな音を発てて横切るトラックの風が冷たかった。寒さをこらえ病院へ急ぐ。院内はナースセンターの他は真っ暗で、一人白衣を上からまとい、手を消毒して病室に入る。カーテンの外から父の寝顔を覗き、側にあるピッ、ピッ、ピッ、ピッと音をたてながら進む心電計の波形を眺める。点滴の先などをチェックし、医者でもないのに、「よし」と自分に言い聞かせる。ついに、こんな貧弱な腕になってしまったのか。そして、その腕に向かってつぶやくように小さく「帰ったで」と声をかけ、部屋をでた。同じフロアの端にある談話室の長いすに座って一服していると、看護士さんが毛布を持ってきてくれる。いつもそれに包まってその場で縛睡した。朝は、いつしか母と弟がやってきて私を起こす。母は私に向かって「今日は、息子が帰って来とるけえ、元気そうじゃった」と、あたかも父と話してきたかのように、いつも私を労ってくれる。自分にも、いつか、このような時が来ると、分かってはいたものの、それでも家族がここまで落ち込んで行く様子を目の前にすると、まだ準備が出来ていないのに、後ろから背中を押されるような感覚になる。そんな俺でも、近くに息子(1号と2号が揃う)がいることで親は安心するらしい。母は機嫌よくしている。でも、その機嫌もいずれ時間の中に少しづつ溶け出し、「また来週帰ってきんさいよ」と力強く、昔の厳しい母に戻ってしまう。
翌日、後ろ髪を引かれる様に混雑した広島駅の新幹線乗り場まで戻る。1階には、牡蠣飯弁当とか、あなご飯とか広島名物のお弁当が並んでいるが、目もくれずエスカレーターでホームに上がる。私にはそれより食べたいものがある。それが、岡山名物「祭りずし」なのである。私がまだ中学時代、高松の官舎にみんなで住んでいた頃、ある時、父が土産に買って来てくれたのがきっかけで、その後は、それが大好きになった。当時、まだ宇高連絡船があったので、船の上でまず「天ぷらうどん」を食べて、岡山駅で乗り換えに「祭りずし」を買って、山陽本線で食べるというのが、実家の呉に帰る時の退屈な時間を過ごす楽しみになっていた(当時も食意地だけは自慢であった)。それ以来、岡山を通るたびに買う癖がついている。新幹線は、停車時間が短いため、いつも一足早いひかりで広島から岡山まで行き、「祭りずし」を買って、後続の指定券のあるひかりに乗り継ぐ。病院にいる間は大して空腹感もないのに、岡山が近づくと無性に腹が減ってくる。そして、これを食べながら、若き日の父を思い出す。父の言葉1つ1つを思い出し、何度もかみ締め、その意図を自分に言い聞かせる。そうやって、その時期、少しづつ大人になっていったような気がする(少し遅かった)。それで、見舞いのための帰省はやっと完結していたのである。そんな父がいなくなってからは、時速300Kmで走るのぞみになって、岡山駅のホームでうろうろすることもなくなった。
今、この「祭りずし」を目の前にして、45年前、30年前、15年前と、長い年月に触れるような気がするのである。今日は、弁当の話のはずが、むかし、むかしの桃太郎の様な話というか、恥ずかしい話を持ち出して、個人的な思い出をつらつらと書いてしまったが、この話の主役とも言える岡山名物「祭りずし(税込み1,000円)」を紹介したい。瀬戸内海の海の幸をバラ寿司(ちらし寿司ともいう)に仕上げた弁当で、瀬戸内海に面した駅の弁当らしく、「さっぱりとして美味しい弁当」になっている。私の知る限り45年間変わらない味付けである。随分遠い味付けだと思われるかもしれないが、新宿の京王デパートで開かれている「駅弁大会」で買い求めた。このような、全国の様々な駅弁が、所狭しと製造・即売されているので、どれか、人それぞれ懐かしく、思い出深い弁当を手にしてもらえると思う。19日(火曜日)まで開催中。
ではこちら
http://cid-cfbf77db9040165a.skydrive.live.com/self.aspx/.Documents/%e5%bc%81%e5%bd%93/%e7%a5%ad%e3%82%8a%e3%81%9a%e3%81%97.pdf
23時45分広島駅につくと、自分の足音だけがカツ、カツと響くような、だだっ広い構内を改札まで歩く。外に出ると横断歩道の前を大きなトラックが行きかっている。地響きのような大きな音を発てて横切るトラックの風が冷たかった。寒さをこらえ病院へ急ぐ。院内はナースセンターの他は真っ暗で、一人白衣を上からまとい、手を消毒して病室に入る。カーテンの外から父の寝顔を覗き、側にあるピッ、ピッ、ピッ、ピッと音をたてながら進む心電計の波形を眺める。点滴の先などをチェックし、医者でもないのに、「よし」と自分に言い聞かせる。ついに、こんな貧弱な腕になってしまったのか。そして、その腕に向かってつぶやくように小さく「帰ったで」と声をかけ、部屋をでた。同じフロアの端にある談話室の長いすに座って一服していると、看護士さんが毛布を持ってきてくれる。いつもそれに包まってその場で縛睡した。朝は、いつしか母と弟がやってきて私を起こす。母は私に向かって「今日は、息子が帰って来とるけえ、元気そうじゃった」と、あたかも父と話してきたかのように、いつも私を労ってくれる。自分にも、いつか、このような時が来ると、分かってはいたものの、それでも家族がここまで落ち込んで行く様子を目の前にすると、まだ準備が出来ていないのに、後ろから背中を押されるような感覚になる。そんな俺でも、近くに息子(1号と2号が揃う)がいることで親は安心するらしい。母は機嫌よくしている。でも、その機嫌もいずれ時間の中に少しづつ溶け出し、「また来週帰ってきんさいよ」と力強く、昔の厳しい母に戻ってしまう。
翌日、後ろ髪を引かれる様に混雑した広島駅の新幹線乗り場まで戻る。1階には、牡蠣飯弁当とか、あなご飯とか広島名物のお弁当が並んでいるが、目もくれずエスカレーターでホームに上がる。私にはそれより食べたいものがある。それが、岡山名物「祭りずし」なのである。私がまだ中学時代、高松の官舎にみんなで住んでいた頃、ある時、父が土産に買って来てくれたのがきっかけで、その後は、それが大好きになった。当時、まだ宇高連絡船があったので、船の上でまず「天ぷらうどん」を食べて、岡山駅で乗り換えに「祭りずし」を買って、山陽本線で食べるというのが、実家の呉に帰る時の退屈な時間を過ごす楽しみになっていた(当時も食意地だけは自慢であった)。それ以来、岡山を通るたびに買う癖がついている。新幹線は、停車時間が短いため、いつも一足早いひかりで広島から岡山まで行き、「祭りずし」を買って、後続の指定券のあるひかりに乗り継ぐ。病院にいる間は大して空腹感もないのに、岡山が近づくと無性に腹が減ってくる。そして、これを食べながら、若き日の父を思い出す。父の言葉1つ1つを思い出し、何度もかみ締め、その意図を自分に言い聞かせる。そうやって、その時期、少しづつ大人になっていったような気がする(少し遅かった)。それで、見舞いのための帰省はやっと完結していたのである。そんな父がいなくなってからは、時速300Kmで走るのぞみになって、岡山駅のホームでうろうろすることもなくなった。
今、この「祭りずし」を目の前にして、45年前、30年前、15年前と、長い年月に触れるような気がするのである。今日は、弁当の話のはずが、むかし、むかしの桃太郎の様な話というか、恥ずかしい話を持ち出して、個人的な思い出をつらつらと書いてしまったが、この話の主役とも言える岡山名物「祭りずし(税込み1,000円)」を紹介したい。瀬戸内海の海の幸をバラ寿司(ちらし寿司ともいう)に仕上げた弁当で、瀬戸内海に面した駅の弁当らしく、「さっぱりとして美味しい弁当」になっている。私の知る限り45年間変わらない味付けである。随分遠い味付けだと思われるかもしれないが、新宿の京王デパートで開かれている「駅弁大会」で買い求めた。このような、全国の様々な駅弁が、所狭しと製造・即売されているので、どれか、人それぞれ懐かしく、思い出深い弁当を手にしてもらえると思う。19日(火曜日)まで開催中。
ではこちら
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2010/01/12
深大寺蕎麦4
そろそろ、深大寺の混雑も少し緩和したかなと思い、初詣に出掛ける。それでもまだ本堂への参拝客は境内にごった返している。門前の下にも、入場制限のため、横に十数人並んだ行列が100m先のバス乗り場まで続いて、これでは、参拝もままならずお手上げ状態である。そこに行儀よく並んでいる人は、年配の人が殆んどで、やはり信仰心は年齢を重ねると、徐々に真剣になるようだ。まあ、私の場合は平素から信心深く参拝を重ねているので、今年もよい年にしてもらえるに違いないと、やや自信過剰なほど確信を持っているわけで、自慢にも似た修験者の目線で、あたかも修行不足の行列がごとく眺めるのであった。遠くから、本堂や元三大師堂の方角に向かい手を合わせ、開山堂に上がり年始の参拝をした。おみくじは中吉であった。
開山堂から降りてくると、すでにたっぷりお昼過ぎなのに一向に蕎麦屋の行列も減る様子は無い。何処の蕎麦屋も等しく行列が長い。このような日は、蕎麦の麺だけ買って帰る事にする。歩きながら、蕎麦の上に何をのせようかと考えていると、つい去年書いた原稿を思い出す。蕎麦は好きでも、やはり、自分で何か手間をかけてまで食べたいと思う人は、案外少ないようで、前回の「深大寺蕎麦3」では、ぐじゃぐじゃした押し付けがましい解説よりも、実は「子連れ狼」風と付け加えた写真の方が評判が良かった。確かに、調布の人にとっては、食べたい衝動にかられれば、すぐに行動すればよい。写真を見ながら、ああそうだ一休庵に行こう、ということになったのかもしれない。
さて、長い行列が印象に残ったせいか、今日は、「とろろ蕎麦」のイメージが重なる。自然薯は蕎麦の消化を助け、胃腸の調子を改善する。年配の人たちが好みそうである。その他、正月に食べすぎた人にも効果的なはずだ。自然薯は摩り下ろした物と、細切りにした物を適度に組合わせて使うと美味しいし、椀に載せた時も綺麗だ。また、スーパーの「とろろのパック」を使う場合は、早めに別の容器に出して、冷蔵庫で少し水分を飛ばしながら時々攪拌し、すこしづつ濃度を上げておいたほうが美味しいし、食べ応えも増す。一流の蕎麦屋へ行くと、とろろが蕎麦つゆに溶かし込んであることが多い。「あれは少々しょっぱくていけねえ」。努々真似などしないように。さて、自然薯の処理ができれば半分以上は出来たような物だ。次は、いつものように、あらかじめ花鰹と乾燥椎茸を一晩アルカリイオン水に浸し、出汁を作っておいたものを使う。これは、味噌汁などにも使うので、毎日準備されてあるはず。それに濃い口醤油と日本酒、味醂等を加えて、好みの味に調整しながら煮沸し「蕎麦つゆ」を作る。蕎麦の麺は普段より茹る時間を短くし、ぬめりを取るために早めに水洗し、よく水を切り、椀にいれて熱い蕎麦つゆを加える。これで再び蕎麦は加熱されるわけである。蕎麦つゆの上にとろろを広げて、最後に中央にわさびを添えて出来上がりとなる。
簡単そうに思えても、そんな手間のかかる事なんぞしたくない方は、やはり食べに行ってもらうしかないわけで、前回同様、再び深大寺の周囲にあるお店の紹介をしておこうと思う。ただし、お店に行かれる場合は、とりあえず胃腸の制御モードを初期設定の「天せいろ」に変更しておいた方がよい。とろろ蕎麦は、お店によってはお品書きに無いこともあるからで、そこで、天せいろにセットしておけば、どこのお店でも安心して暖簾をくぐれるというわけだ。今の時期は、参拝帰りでゆったり過ごす客人も多いので、希望するお店には入れないかもしれないし、夕暮れ時は、蕎麦自体がなくなることもある。
ここで、写真を用意するわけだが、やはり、深大寺のこんな人ごみの中での撮影は、面倒な事が多い。ならば、我が「深大寺蕎麦修行列伝」の豊富なライブラリーの中から、選び出したスナップ写真を見ていただこうと思う。お断りしておくが、あくまでも深大寺にある蕎麦屋のイメージ写真の1例である(実在するお店なので、行けばもちろん蕎麦を堪能していただける)。今日の写真は、夕暮れの「雀のお宿」を撮影したもので、蕎麦屋というより、宿屋を思わせる雰囲気である。これもコダクローム64で撮影しているので、当時のフイルム調の懐かしさも満喫してもらえると思う。ここで言うフイルム調とは、「そりゃー、このあたりは、武蔵野ゆうて、深大寺には昔から竹林を残してあってのう、雀がぎょうさんおったんじゃ、雀は、竹林をねぐらにしとるで、竹林を雀のお宿ちゅうとったんじゃー」という話が聞こえそうな、「日本むかし話」風といったところかな。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21478&app=WordPdf
開山堂から降りてくると、すでにたっぷりお昼過ぎなのに一向に蕎麦屋の行列も減る様子は無い。何処の蕎麦屋も等しく行列が長い。このような日は、蕎麦の麺だけ買って帰る事にする。歩きながら、蕎麦の上に何をのせようかと考えていると、つい去年書いた原稿を思い出す。蕎麦は好きでも、やはり、自分で何か手間をかけてまで食べたいと思う人は、案外少ないようで、前回の「深大寺蕎麦3」では、ぐじゃぐじゃした押し付けがましい解説よりも、実は「子連れ狼」風と付け加えた写真の方が評判が良かった。確かに、調布の人にとっては、食べたい衝動にかられれば、すぐに行動すればよい。写真を見ながら、ああそうだ一休庵に行こう、ということになったのかもしれない。
さて、長い行列が印象に残ったせいか、今日は、「とろろ蕎麦」のイメージが重なる。自然薯は蕎麦の消化を助け、胃腸の調子を改善する。年配の人たちが好みそうである。その他、正月に食べすぎた人にも効果的なはずだ。自然薯は摩り下ろした物と、細切りにした物を適度に組合わせて使うと美味しいし、椀に載せた時も綺麗だ。また、スーパーの「とろろのパック」を使う場合は、早めに別の容器に出して、冷蔵庫で少し水分を飛ばしながら時々攪拌し、すこしづつ濃度を上げておいたほうが美味しいし、食べ応えも増す。一流の蕎麦屋へ行くと、とろろが蕎麦つゆに溶かし込んであることが多い。「あれは少々しょっぱくていけねえ」。努々真似などしないように。さて、自然薯の処理ができれば半分以上は出来たような物だ。次は、いつものように、あらかじめ花鰹と乾燥椎茸を一晩アルカリイオン水に浸し、出汁を作っておいたものを使う。これは、味噌汁などにも使うので、毎日準備されてあるはず。それに濃い口醤油と日本酒、味醂等を加えて、好みの味に調整しながら煮沸し「蕎麦つゆ」を作る。蕎麦の麺は普段より茹る時間を短くし、ぬめりを取るために早めに水洗し、よく水を切り、椀にいれて熱い蕎麦つゆを加える。これで再び蕎麦は加熱されるわけである。蕎麦つゆの上にとろろを広げて、最後に中央にわさびを添えて出来上がりとなる。
簡単そうに思えても、そんな手間のかかる事なんぞしたくない方は、やはり食べに行ってもらうしかないわけで、前回同様、再び深大寺の周囲にあるお店の紹介をしておこうと思う。ただし、お店に行かれる場合は、とりあえず胃腸の制御モードを初期設定の「天せいろ」に変更しておいた方がよい。とろろ蕎麦は、お店によってはお品書きに無いこともあるからで、そこで、天せいろにセットしておけば、どこのお店でも安心して暖簾をくぐれるというわけだ。今の時期は、参拝帰りでゆったり過ごす客人も多いので、希望するお店には入れないかもしれないし、夕暮れ時は、蕎麦自体がなくなることもある。
ここで、写真を用意するわけだが、やはり、深大寺のこんな人ごみの中での撮影は、面倒な事が多い。ならば、我が「深大寺蕎麦修行列伝」の豊富なライブラリーの中から、選び出したスナップ写真を見ていただこうと思う。お断りしておくが、あくまでも深大寺にある蕎麦屋のイメージ写真の1例である(実在するお店なので、行けばもちろん蕎麦を堪能していただける)。今日の写真は、夕暮れの「雀のお宿」を撮影したもので、蕎麦屋というより、宿屋を思わせる雰囲気である。これもコダクローム64で撮影しているので、当時のフイルム調の懐かしさも満喫してもらえると思う。ここで言うフイルム調とは、「そりゃー、このあたりは、武蔵野ゆうて、深大寺には昔から竹林を残してあってのう、雀がぎょうさんおったんじゃ、雀は、竹林をねぐらにしとるで、竹林を雀のお宿ちゅうとったんじゃー」という話が聞こえそうな、「日本むかし話」風といったところかな。
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2010/01/08
輸入菓子2
年中活気のあるお店はどこかと聞かれると、海外から輸入されるお菓子を置いてあるお店と答えるに違いない。そこは、いつも女性でいっぱいだ。所狭しと置かれた、珍しい色彩や形状、横文字で書かれた呼び込み文章、その1つ1つの商品に込められたデザイン性というか、色の組み合わせや色彩感覚は日本にはないものである。それが、そこはかとなく味覚のロマンをいざなうのである。商品1つ1つに新たな魅力を発見し、いったいこれはどんな美味しさを秘めているのだろうか、また、素材からして文句なく「美味い筈だ」と、勝手に想像しながら、今日も「目新しい美味しさを追求したい」という気分で、子供達のみならず大人までもその店へ引き込まれてしまうのだ。円高傾向も手伝って、店員さんも価格に自信を持って接客している。
海外のお菓子、特にヨーロッパ系の商品は、そのパッケージの色使いやデザインに大きな魅力がある。日本のパッケージは見慣れているということもあるのだが、「色の組み合わせに感性をくすぐる事」がない。海外物に比べて色あせた感じを受ける。ヨーロッパの「豊かな感性を持つ子供達」が手にとるには、優れた色彩感覚が重要な要素なのである。人は歳を重ねるごとに色に対する感性を失っていく、微妙な色の違いを区別する事が難しくなるし、特に日本人は好きな色彩が、紺、グレーや黒っぽいものなどに収斂する。さらに古い人ほど目立たない色に安心感を持つているのであろうか、身にまとう物まで黒ずくめになってくる。ただ、例外として、全く意味は異なるかもしれないが、大阪近郊のおばちゃんは派手な色がお好みである。
さて、どんな輸入お菓子でも、そのお国柄とかメーカーにより美味しさに独自性が感じられる。それは長い年月を掛けて創られてきたものだし、様々な食品規制も満足させている。そんなお菓子は、時々我々を日常とは異なる世界へ引き込む事がある。テレビや映画では分からなかったお国柄の雰囲気までも伝わって来そうだ。その濃厚さで簡単にリッチな気分にしてくれることもあれば、甘さの中に少し塩分を含み懐かしい気分にしてくれるものもある。それが、ほんの一瞬かもしれないが直接的に「味覚、記憶、イマジネーションから文化の薫り」までを満足させるのである。そうやって、少しづつ原産国による美味しさの傾向の違いも、楽しめるようになるわけである。若いときには、メリハリの利いた分かりやすい甘さの舶来品を好きだったかもしれないが、歳を重ねるにつれ、徐々に日本のお菓子類の美味しさも分かってくることもあるだろうし、改めて好みの舶来菓子の魅力に引き込まれて行くこともあるだろう。そのお国柄の美味しさは、その根底に流れる歴史や文化を感じさせるわけで、そこに、一種の憧れにも似た満足感を呼び起こすのではないだろうか。
と常々感じているわけであるが、去年ウォンカのブリキのトラックで運ばれてきたチョコレートを食べて、そこそこ美味しいのに妙に心を惹かれてしまったのである。なぜかというと、全く関連性は無いのだが、オーストラリアのサッカーの「身体能力と力任せのゲーム運び」を観て、自分なりに、お菓子も大雑把なイメージが出来上がっていたのである。酷い先入観といわれれば、全くその通りなのだが、だいたい、「あのようなサッカーをやる国に微妙なきめ細かい商品作りは無理」と思っていたのである(負けた悔しさ)。そこで、チョコレートがこのようにいけてるなら、ビスケットやお菓子はどうなんかなと、興味をもったのである。あまり期待は出来ないが、高島屋のプラザ(旧ソニープラザ)で幾つか買ってみた。やはり大陸的というか、ヨーロッパ系に比べれば濃厚さはないが、ボリボリと健康的に食べるといった感じで悪くない。それも、市場の変化に追従しながらも、先を見越した食感を楽しんでいるわけで、オーストラリア文化を味覚で悟るわけである。もちろん低カロリーで女子にも安心して楽しめそうだ。なるほど、これなら、ひょっとして日本は3:1で負けても仕方が無いと一瞬思ってしまった。日本のお菓子は少し保守的で、変わらない事を良しとする向きがある。これは年配者にとっては安心感があって良いのだが、若い人には、食感さえも旧来のイメージを拭い去ることができないかもしれない。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21472&app=WordPdf
海外のお菓子、特にヨーロッパ系の商品は、そのパッケージの色使いやデザインに大きな魅力がある。日本のパッケージは見慣れているということもあるのだが、「色の組み合わせに感性をくすぐる事」がない。海外物に比べて色あせた感じを受ける。ヨーロッパの「豊かな感性を持つ子供達」が手にとるには、優れた色彩感覚が重要な要素なのである。人は歳を重ねるごとに色に対する感性を失っていく、微妙な色の違いを区別する事が難しくなるし、特に日本人は好きな色彩が、紺、グレーや黒っぽいものなどに収斂する。さらに古い人ほど目立たない色に安心感を持つているのであろうか、身にまとう物まで黒ずくめになってくる。ただ、例外として、全く意味は異なるかもしれないが、大阪近郊のおばちゃんは派手な色がお好みである。
さて、どんな輸入お菓子でも、そのお国柄とかメーカーにより美味しさに独自性が感じられる。それは長い年月を掛けて創られてきたものだし、様々な食品規制も満足させている。そんなお菓子は、時々我々を日常とは異なる世界へ引き込む事がある。テレビや映画では分からなかったお国柄の雰囲気までも伝わって来そうだ。その濃厚さで簡単にリッチな気分にしてくれることもあれば、甘さの中に少し塩分を含み懐かしい気分にしてくれるものもある。それが、ほんの一瞬かもしれないが直接的に「味覚、記憶、イマジネーションから文化の薫り」までを満足させるのである。そうやって、少しづつ原産国による美味しさの傾向の違いも、楽しめるようになるわけである。若いときには、メリハリの利いた分かりやすい甘さの舶来品を好きだったかもしれないが、歳を重ねるにつれ、徐々に日本のお菓子類の美味しさも分かってくることもあるだろうし、改めて好みの舶来菓子の魅力に引き込まれて行くこともあるだろう。そのお国柄の美味しさは、その根底に流れる歴史や文化を感じさせるわけで、そこに、一種の憧れにも似た満足感を呼び起こすのではないだろうか。
と常々感じているわけであるが、去年ウォンカのブリキのトラックで運ばれてきたチョコレートを食べて、そこそこ美味しいのに妙に心を惹かれてしまったのである。なぜかというと、全く関連性は無いのだが、オーストラリアのサッカーの「身体能力と力任せのゲーム運び」を観て、自分なりに、お菓子も大雑把なイメージが出来上がっていたのである。酷い先入観といわれれば、全くその通りなのだが、だいたい、「あのようなサッカーをやる国に微妙なきめ細かい商品作りは無理」と思っていたのである(負けた悔しさ)。そこで、チョコレートがこのようにいけてるなら、ビスケットやお菓子はどうなんかなと、興味をもったのである。あまり期待は出来ないが、高島屋のプラザ(旧ソニープラザ)で幾つか買ってみた。やはり大陸的というか、ヨーロッパ系に比べれば濃厚さはないが、ボリボリと健康的に食べるといった感じで悪くない。それも、市場の変化に追従しながらも、先を見越した食感を楽しんでいるわけで、オーストラリア文化を味覚で悟るわけである。もちろん低カロリーで女子にも安心して楽しめそうだ。なるほど、これなら、ひょっとして日本は3:1で負けても仕方が無いと一瞬思ってしまった。日本のお菓子は少し保守的で、変わらない事を良しとする向きがある。これは年配者にとっては安心感があって良いのだが、若い人には、食感さえも旧来のイメージを拭い去ることができないかもしれない。
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2010/01/05
おこわ鰻めし
お正月は、食べては寝て、食べては寝て、と極楽のような時間を過ごした人も少なくないと思う。ついついする事が無いからテレビを見ながら、食べ過ぎてしまう。そんな、体調を崩しかけた人は、7日に七草粥でも食べて胃腸の調子を整えて欲しい。これで、今年も無病息災でいられる筈だ(そんな甘くは無い、何事も慎重に)。
さて、弱りかけた胃腸に追い討ちをかけるように、食べ物の紹介である。人には、別腹という機能が備わっていて、夕食が終わった後でも、テレビ等で美味しそうな物を見たり聞いたり想像することで、小腹が空くことがある(事実胃袋も拡張する)。理屈では、刺激を受けたものを食べない限り、納得などしない筈だが、1度小腹が空いた気分になると、なかなか落ち着かない。そんな時、少量にして高い満足を得るには、大好きなものを口にするに限る。例えば、寿司、蕎麦、鰻、となるかもしれないが、夜食には少々大袈裟なものばかりで、食べたくなると私などは、神田小川町まで行かなければならない。夜中は無理だ。そういえば、昨年の大掃除で「神田一八」の割り引き券が貯まったままだったので、3日の夕方出かけてきた。さすがに不景気の影響がこんな店にも襲ってきたようで、おやじは、「今年もまだ駄目」の一点張りだった。周囲の店も壊滅状態で、やはり、どの職業も続ける事が難しくなりそうだ。景気の更なる悪化が懸念される。
さて、今日紹介するのは、「ての字のおこわ鰻めし」である。帰りに三越で買ってきて、冷凍庫に備蓄する物だ。ての字の歴史は古く、創業文政十年とざっと百八十年の伝統の職人技が生かされた鰻めしで、面倒な裂き、串打ち、白焼き、蒸し、蒲焼の工程を踏んで、最終的に鰻のおこわに仕上げてある。上の絵は、鰻の里 静岡県にある吉田工房の概観らしく、箱に食べ方(電子レンジで2分)の手引きと一緒に同梱されていた。いかにも、和の伝統を生かしながら、鰻の職人さんが集まって作っている工房といった感じである。 また、工場といわずに工房といったところは、そこに鰻の目利きがいて、とことん拘っているという感じである。
それでは、「ての字」とは、何がその由来に なったのであろうか。文政十年(1827年)江戸の芝田町(現在の港区芝三丁目)あたりに、海老屋鉄五郎が徳川幕府 二の丸御用商として業をなしていた頃、(う~む、そういえば柳生武芸帳は7時間通して退屈だった)海老屋が屋号にもかかわらず、親しき者から鉄五郎の頭文字の鉄を取って、現在風に言うと「鉄ちゃん」と呼ばれていた。当時は落語でお馴染みだった、名前を○○字という呼び方、それに習い、何処のお店でも、お客から親しみを込めて○○字、□□字と呼ばれていたことから、ての字と呼ばれていたようだ。それが現在に受継がれ、屋号の海老屋から「ての字」を会社名にしたらしい。今でも、さの字、しの字を使う落語があることからも理解できそうだ。分かり易く現代風に言えば、「株式会社 鉄ちゃんの鰻屋」といったところだ。
鰻めしは、おこわになっているので、おおよそ想像通りのお味である。もち米は鰻のタレで茶色をしているが、山椒と一緒に炊き込んであるために、見た目よりさっぱりした感じである。「保存料、着色料は一切使用せず、鰻はもちろん国産で安心」と表記されている。賞味期限は、冷凍保存で90日間なので、鰻をこよなく愛する人が、一寸だけ食べたい時には、そこそこ最適な食べ物といえそうだ。鰻の加工プロセスをよくご存知の方は、この贅沢さを理解できると思う。もちろん、もち米で消化も早く、笹の皮の抗菌包装のため、夜食というより、いつでも何処でも、遠慮なく食べたいときに食べられる仕様になっている。
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2010/01/01
最初だけの決意
1年は、バタバタしているうちに、あっという間に終わってしまった。「光陰矢の如し」ということわざを身に染みて感じる今日この頃なのである。おまけに、去年に限ったことではないが、年々1年が早く進むようになる。それに連れて自分も少しは成熟して賢くなるかと思ってきたのだが、全くそのような振る舞いが見受けられない。むしろ、逆行し、新たな課題には大きな抵抗感が生まれるようになってきた。そして、最近どういうわけか何事も理屈で片付ける、偉そうな自分が鼻につくのである。
話を少し巻き戻して、一昨日、そうそう、もう去年の話になるが、新宿から帰りの京王線の出来事である。年末の電車は案外混み合っていた。階段のそばのドアから入ると若者集団が大きな荷物を床に置いていた。シルバーシート近くのドア寄りは空いていたので移動する。シルバーシートには、買い物帰りの年配のご婦人が何人か座っておられた。しばらくすると、中年のおっさんが乗り込んできて左右を見渡し、シルバーシートに目をやった。ご婦人は、慌てて荷物を丁寧にまとめながら隣に席を作ろうとしている。それをいいことに、おっさんは、すかさず席を広げるように割って座ったのである。まあ、普通の神経じゃ出来ないなと横目で眺める。しばらくして電車は発車し、すべるようにスピードを上げて地下から高架へ上がっていく。地下トンネルを抜けると、車内は静まる。最新型車両は静かになったし、ゆれも少ない。下手をするとちょっとした咳払いにまで反応する人がいるくらいだ。母さんと子供のひそひそ話も聞こえてくるが、みんな、聴こえない振りをしてじっと静かにしている。そんなときに、そのおっさんの携帯が鳴ったのである。「おー、おー、今電車の中だから」と話しながら、そこで電話を切るのかと思ったら、話は続いたのである。歳を重ねると、誰でも耳は遠くなるらしい。電話のボリュームが上がっていて受話器の向こうにいる娘さんの声まで聴こえている。あまりに声が大きいので、左右のご婦人も迷惑そうに顔をしかめている。周囲は、もう終わる、もう終わると待ちかねている。と、そのおっさんの口調も厳しくなり「そうなんだよ、あいつはそういう常識に欠ける奴なんだよ」と声を荒げてしまったのである。その瞬間、ご婦人の反対側に座っていた紳士が愕然と首をうなだれてしまったのである。
私も、心の中で、あきれたおっさんだ!と思いながら、いやいや、他人事ではない、気をつけなくてはいけない。自分も「無意識で何か平気になっていること、周囲に甘えていることは無いか、迷惑を掛けていることは無いか」 不安になってきたのである。他人を見てわが振りを直さなくてはと、ふとその時、ブログの内容が気になったのである。家に返って、過去のブログを次々と読み返してみた。まずいことは書いてないか心配になったのである。ところが、大して面白くも無いのに文章だけは長いのだ。自分で言うのも何だが長すぎる。書くより、読むほうがしんどい。1ヶ月分も読まずに疲れてしまった。
誰しもみんな、一生懸命働いた時代を背負って、そのままの気分で生きている。まさに人格の過渡現象とでも言うのだろうか。仕事の事なら誰にも負けないかもしれないが、それが、社会でそのまま通用するとは限らない。若いときならそんなことは無かったと思うが、歳を重ねるにつれ、自信や偉そうな気分だけが残っているのかもしれない。それを打開するには、(もっとも、その感覚が分かればの話ではあるが)新しいことに夢を持つことである。どんな小さなことからでもよい、いつも今の自分にとって新しい事を考え、それを少しづつ知識として組み立てていく。そういう癖を付けることで、情報を得ることに興味を持ち、創り上げること、そして僅かな成果に喜びを感じ、それによって、再び、大脳は活性化され、新たな神経が思考ルートを成長させ、自然に先のことに夢が膨らむ、あるいは、夢を引き寄せる活力が生まれるのである。そうすれば、社会とのかかわりや周囲の人達が如何に重要かが分かるに違いない。と思うのである。今年も、そんなことに気を配りながら頑張ろうと思う。・・・ええっ、何に頑張るかって?ううっ・・それは、教えられないな。
2010年初にもかかわらず、またもや長ったらしい話になってしまったが、そんな生半可な個人的な決意は、いつも同じで、臨機応変に生きていると、すぐに消えうせてしまうに違いない。それより、今日は1日なので、年始の挨拶ということで、「年賀はがき風」に仕上げてみた。七条堀川で撮影した写真。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21450&app=WordPdf
話を少し巻き戻して、一昨日、そうそう、もう去年の話になるが、新宿から帰りの京王線の出来事である。年末の電車は案外混み合っていた。階段のそばのドアから入ると若者集団が大きな荷物を床に置いていた。シルバーシート近くのドア寄りは空いていたので移動する。シルバーシートには、買い物帰りの年配のご婦人が何人か座っておられた。しばらくすると、中年のおっさんが乗り込んできて左右を見渡し、シルバーシートに目をやった。ご婦人は、慌てて荷物を丁寧にまとめながら隣に席を作ろうとしている。それをいいことに、おっさんは、すかさず席を広げるように割って座ったのである。まあ、普通の神経じゃ出来ないなと横目で眺める。しばらくして電車は発車し、すべるようにスピードを上げて地下から高架へ上がっていく。地下トンネルを抜けると、車内は静まる。最新型車両は静かになったし、ゆれも少ない。下手をするとちょっとした咳払いにまで反応する人がいるくらいだ。母さんと子供のひそひそ話も聞こえてくるが、みんな、聴こえない振りをしてじっと静かにしている。そんなときに、そのおっさんの携帯が鳴ったのである。「おー、おー、今電車の中だから」と話しながら、そこで電話を切るのかと思ったら、話は続いたのである。歳を重ねると、誰でも耳は遠くなるらしい。電話のボリュームが上がっていて受話器の向こうにいる娘さんの声まで聴こえている。あまりに声が大きいので、左右のご婦人も迷惑そうに顔をしかめている。周囲は、もう終わる、もう終わると待ちかねている。と、そのおっさんの口調も厳しくなり「そうなんだよ、あいつはそういう常識に欠ける奴なんだよ」と声を荒げてしまったのである。その瞬間、ご婦人の反対側に座っていた紳士が愕然と首をうなだれてしまったのである。
私も、心の中で、あきれたおっさんだ!と思いながら、いやいや、他人事ではない、気をつけなくてはいけない。自分も「無意識で何か平気になっていること、周囲に甘えていることは無いか、迷惑を掛けていることは無いか」 不安になってきたのである。他人を見てわが振りを直さなくてはと、ふとその時、ブログの内容が気になったのである。家に返って、過去のブログを次々と読み返してみた。まずいことは書いてないか心配になったのである。ところが、大して面白くも無いのに文章だけは長いのだ。自分で言うのも何だが長すぎる。書くより、読むほうがしんどい。1ヶ月分も読まずに疲れてしまった。
誰しもみんな、一生懸命働いた時代を背負って、そのままの気分で生きている。まさに人格の過渡現象とでも言うのだろうか。仕事の事なら誰にも負けないかもしれないが、それが、社会でそのまま通用するとは限らない。若いときならそんなことは無かったと思うが、歳を重ねるにつれ、自信や偉そうな気分だけが残っているのかもしれない。それを打開するには、(もっとも、その感覚が分かればの話ではあるが)新しいことに夢を持つことである。どんな小さなことからでもよい、いつも今の自分にとって新しい事を考え、それを少しづつ知識として組み立てていく。そういう癖を付けることで、情報を得ることに興味を持ち、創り上げること、そして僅かな成果に喜びを感じ、それによって、再び、大脳は活性化され、新たな神経が思考ルートを成長させ、自然に先のことに夢が膨らむ、あるいは、夢を引き寄せる活力が生まれるのである。そうすれば、社会とのかかわりや周囲の人達が如何に重要かが分かるに違いない。と思うのである。今年も、そんなことに気を配りながら頑張ろうと思う。・・・ええっ、何に頑張るかって?ううっ・・それは、教えられないな。
2010年初にもかかわらず、またもや長ったらしい話になってしまったが、そんな生半可な個人的な決意は、いつも同じで、臨機応変に生きていると、すぐに消えうせてしまうに違いない。それより、今日は1日なので、年始の挨拶ということで、「年賀はがき風」に仕上げてみた。七条堀川で撮影した写真。
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