2010/01/08

輸入菓子2

 年中活気のあるお店はどこかと聞かれると、海外から輸入されるお菓子を置いてあるお店と答えるに違いない。そこは、いつも女性でいっぱいだ。所狭しと置かれた、珍しい色彩や形状、横文字で書かれた呼び込み文章、その1つ1つの商品に込められたデザイン性というか、色の組み合わせや色彩感覚は日本にはないものである。それが、そこはかとなく味覚のロマンをいざなうのである。商品1つ1つに新たな魅力を発見し、いったいこれはどんな美味しさを秘めているのだろうか、また、素材からして文句なく「美味い筈だ」と、勝手に想像しながら、今日も「目新しい美味しさを追求したい」という気分で、子供達のみならず大人までもその店へ引き込まれてしまうのだ。円高傾向も手伝って、店員さんも価格に自信を持って接客している。

 海外のお菓子、特にヨーロッパ系の商品は、そのパッケージの色使いやデザインに大きな魅力がある。日本のパッケージは見慣れているということもあるのだが、「色の組み合わせに感性をくすぐる事」がない。海外物に比べて色あせた感じを受ける。ヨーロッパの「豊かな感性を持つ子供達」が手にとるには、優れた色彩感覚が重要な要素なのである。人は歳を重ねるごとに色に対する感性を失っていく、微妙な色の違いを区別する事が難しくなるし、特に日本人は好きな色彩が、紺、グレーや黒っぽいものなどに収斂する。さらに古い人ほど目立たない色に安心感を持つているのであろうか、身にまとう物まで黒ずくめになってくる。ただ、例外として、全く意味は異なるかもしれないが、大阪近郊のおばちゃんは派手な色がお好みである。

 さて、どんな輸入お菓子でも、そのお国柄とかメーカーにより美味しさに独自性が感じられる。それは長い年月を掛けて創られてきたものだし、様々な食品規制も満足させている。そんなお菓子は、時々我々を日常とは異なる世界へ引き込む事がある。テレビや映画では分からなかったお国柄の雰囲気までも伝わって来そうだ。その濃厚さで簡単にリッチな気分にしてくれることもあれば、甘さの中に少し塩分を含み懐かしい気分にしてくれるものもある。それが、ほんの一瞬かもしれないが直接的に「味覚、記憶、イマジネーションから文化の薫り」までを満足させるのである。そうやって、少しづつ原産国による美味しさの傾向の違いも、楽しめるようになるわけである。若いときには、メリハリの利いた分かりやすい甘さの舶来品を好きだったかもしれないが、歳を重ねるにつれ、徐々に日本のお菓子類の美味しさも分かってくることもあるだろうし、改めて好みの舶来菓子の魅力に引き込まれて行くこともあるだろう。そのお国柄の美味しさは、その根底に流れる歴史や文化を感じさせるわけで、そこに、一種の憧れにも似た満足感を呼び起こすのではないだろうか。

 と常々感じているわけであるが、去年ウォンカのブリキのトラックで運ばれてきたチョコレートを食べて、そこそこ美味しいのに妙に心を惹かれてしまったのである。なぜかというと、全く関連性は無いのだが、オーストラリアのサッカーの「身体能力と力任せのゲーム運び」を観て、自分なりに、お菓子も大雑把なイメージが出来上がっていたのである。酷い先入観といわれれば、全くその通りなのだが、だいたい、「あのようなサッカーをやる国に微妙なきめ細かい商品作りは無理」と思っていたのである(負けた悔しさ)。そこで、チョコレートがこのようにいけてるなら、ビスケットやお菓子はどうなんかなと、興味をもったのである。あまり期待は出来ないが、高島屋のプラザ(旧ソニープラザ)で幾つか買ってみた。やはり大陸的というか、ヨーロッパ系に比べれば濃厚さはないが、ボリボリと健康的に食べるといった感じで悪くない。それも、市場の変化に追従しながらも、先を見越した食感を楽しんでいるわけで、オーストラリア文化を味覚で悟るわけである。もちろん低カロリーで女子にも安心して楽しめそうだ。なるほど、これなら、ひょっとして日本は3:1で負けても仕方が無いと一瞬思ってしまった。日本のお菓子は少し保守的で、変わらない事を良しとする向きがある。これは年配者にとっては安心感があって良いのだが、若い人には、食感さえも旧来のイメージを拭い去ることができないかもしれない。
ではこちら
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