2010/01/12

深大寺蕎麦4

 そろそろ、深大寺の混雑も少し緩和したかなと思い、初詣に出掛ける。それでもまだ本堂への参拝客は境内にごった返している。門前の下にも、入場制限のため、横に十数人並んだ行列が100m先のバス乗り場まで続いて、これでは、参拝もままならずお手上げ状態である。そこに行儀よく並んでいる人は、年配の人が殆んどで、やはり信仰心は年齢を重ねると、徐々に真剣になるようだ。まあ、私の場合は平素から信心深く参拝を重ねているので、今年もよい年にしてもらえるに違いないと、やや自信過剰なほど確信を持っているわけで、自慢にも似た修験者の目線で、あたかも修行不足の行列がごとく眺めるのであった。遠くから、本堂や元三大師堂の方角に向かい手を合わせ、開山堂に上がり年始の参拝をした。おみくじは中吉であった。
 開山堂から降りてくると、すでにたっぷりお昼過ぎなのに一向に蕎麦屋の行列も減る様子は無い。何処の蕎麦屋も等しく行列が長い。このような日は、蕎麦の麺だけ買って帰る事にする。歩きながら、蕎麦の上に何をのせようかと考えていると、つい去年書いた原稿を思い出す。蕎麦は好きでも、やはり、自分で何か手間をかけてまで食べたいと思う人は、案外少ないようで、前回の「深大寺蕎麦3」では、ぐじゃぐじゃした押し付けがましい解説よりも、実は「子連れ狼」風と付け加えた写真の方が評判が良かった。確かに、調布の人にとっては、食べたい衝動にかられれば、すぐに行動すればよい。写真を見ながら、ああそうだ一休庵に行こう、ということになったのかもしれない。
 さて、長い行列が印象に残ったせいか、今日は、「とろろ蕎麦」のイメージが重なる。自然薯は蕎麦の消化を助け、胃腸の調子を改善する。年配の人たちが好みそうである。その他、正月に食べすぎた人にも効果的なはずだ。自然薯は摩り下ろした物と、細切りにした物を適度に組合わせて使うと美味しいし、椀に載せた時も綺麗だ。また、スーパーの「とろろのパック」を使う場合は、早めに別の容器に出して、冷蔵庫で少し水分を飛ばしながら時々攪拌し、すこしづつ濃度を上げておいたほうが美味しいし、食べ応えも増す。一流の蕎麦屋へ行くと、とろろが蕎麦つゆに溶かし込んであることが多い。「あれは少々しょっぱくていけねえ」。努々真似などしないように。さて、自然薯の処理ができれば半分以上は出来たような物だ。次は、いつものように、あらかじめ花鰹と乾燥椎茸を一晩アルカリイオン水に浸し、出汁を作っておいたものを使う。これは、味噌汁などにも使うので、毎日準備されてあるはず。それに濃い口醤油と日本酒、味醂等を加えて、好みの味に調整しながら煮沸し「蕎麦つゆ」を作る。蕎麦の麺は普段より茹る時間を短くし、ぬめりを取るために早めに水洗し、よく水を切り、椀にいれて熱い蕎麦つゆを加える。これで再び蕎麦は加熱されるわけである。蕎麦つゆの上にとろろを広げて、最後に中央にわさびを添えて出来上がりとなる。
 簡単そうに思えても、そんな手間のかかる事なんぞしたくない方は、やはり食べに行ってもらうしかないわけで、前回同様、再び深大寺の周囲にあるお店の紹介をしておこうと思う。ただし、お店に行かれる場合は、とりあえず胃腸の制御モードを初期設定の「天せいろ」に変更しておいた方がよい。とろろ蕎麦は、お店によってはお品書きに無いこともあるからで、そこで、天せいろにセットしておけば、どこのお店でも安心して暖簾をくぐれるというわけだ。今の時期は、参拝帰りでゆったり過ごす客人も多いので、希望するお店には入れないかもしれないし、夕暮れ時は、蕎麦自体がなくなることもある。
 ここで、写真を用意するわけだが、やはり、深大寺のこんな人ごみの中での撮影は、面倒な事が多い。ならば、我が「深大寺蕎麦修行列伝」の豊富なライブラリーの中から、選び出したスナップ写真を見ていただこうと思う。お断りしておくが、あくまでも深大寺にある蕎麦屋のイメージ写真の1例である(実在するお店なので、行けばもちろん蕎麦を堪能していただける)。今日の写真は、夕暮れの「雀のお宿」を撮影したもので、蕎麦屋というより、宿屋を思わせる雰囲気である。これもコダクローム64で撮影しているので、当時のフイルム調の懐かしさも満喫してもらえると思う。ここで言うフイルム調とは、「そりゃー、このあたりは、武蔵野ゆうて、深大寺には昔から竹林を残してあってのう、雀がぎょうさんおったんじゃ、雀は、竹林をねぐらにしとるで、竹林を雀のお宿ちゅうとったんじゃー」という話が聞こえそうな、「日本むかし話」風といったところかな。
ではこちら
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