2010/01/01

最初だけの決意

 1年は、バタバタしているうちに、あっという間に終わってしまった。「光陰矢の如し」ということわざを身に染みて感じる今日この頃なのである。おまけに、去年に限ったことではないが、年々1年が早く進むようになる。それに連れて自分も少しは成熟して賢くなるかと思ってきたのだが、全くそのような振る舞いが見受けられない。むしろ、逆行し、新たな課題には大きな抵抗感が生まれるようになってきた。そして、最近どういうわけか何事も理屈で片付ける、偉そうな自分が鼻につくのである。
 話を少し巻き戻して、一昨日、そうそう、もう去年の話になるが、新宿から帰りの京王線の出来事である。年末の電車は案外混み合っていた。階段のそばのドアから入ると若者集団が大きな荷物を床に置いていた。シルバーシート近くのドア寄りは空いていたので移動する。シルバーシートには、買い物帰りの年配のご婦人が何人か座っておられた。しばらくすると、中年のおっさんが乗り込んできて左右を見渡し、シルバーシートに目をやった。ご婦人は、慌てて荷物を丁寧にまとめながら隣に席を作ろうとしている。それをいいことに、おっさんは、すかさず席を広げるように割って座ったのである。まあ、普通の神経じゃ出来ないなと横目で眺める。しばらくして電車は発車し、すべるようにスピードを上げて地下から高架へ上がっていく。地下トンネルを抜けると、車内は静まる。最新型車両は静かになったし、ゆれも少ない。下手をするとちょっとした咳払いにまで反応する人がいるくらいだ。母さんと子供のひそひそ話も聞こえてくるが、みんな、聴こえない振りをしてじっと静かにしている。そんなときに、そのおっさんの携帯が鳴ったのである。「おー、おー、今電車の中だから」と話しながら、そこで電話を切るのかと思ったら、話は続いたのである。歳を重ねると、誰でも耳は遠くなるらしい。電話のボリュームが上がっていて受話器の向こうにいる娘さんの声まで聴こえている。あまりに声が大きいので、左右のご婦人も迷惑そうに顔をしかめている。周囲は、もう終わる、もう終わると待ちかねている。と、そのおっさんの口調も厳しくなり「そうなんだよ、あいつはそういう常識に欠ける奴なんだよ」と声を荒げてしまったのである。その瞬間、ご婦人の反対側に座っていた紳士が愕然と首をうなだれてしまったのである。

 私も、心の中で、あきれたおっさんだ!と思いながら、いやいや、他人事ではない、気をつけなくてはいけない。自分も「無意識で何か平気になっていること、周囲に甘えていることは無いか、迷惑を掛けていることは無いか」 不安になってきたのである。他人を見てわが振りを直さなくてはと、ふとその時、ブログの内容が気になったのである。家に返って、過去のブログを次々と読み返してみた。まずいことは書いてないか心配になったのである。ところが、大して面白くも無いのに文章だけは長いのだ。自分で言うのも何だが長すぎる。書くより、読むほうがしんどい。1ヶ月分も読まずに疲れてしまった。

 誰しもみんな、一生懸命働いた時代を背負って、そのままの気分で生きている。まさに人格の過渡現象とでも言うのだろうか。仕事の事なら誰にも負けないかもしれないが、それが、社会でそのまま通用するとは限らない。若いときならそんなことは無かったと思うが、歳を重ねるにつれ、自信や偉そうな気分だけが残っているのかもしれない。それを打開するには、(もっとも、その感覚が分かればの話ではあるが)新しいことに夢を持つことである。どんな小さなことからでもよい、いつも今の自分にとって新しい事を考え、それを少しづつ知識として組み立てていく。そういう癖を付けることで、情報を得ることに興味を持ち、創り上げること、そして僅かな成果に喜びを感じ、それによって、再び、大脳は活性化され、新たな神経が思考ルートを成長させ、自然に先のことに夢が膨らむ、あるいは、夢を引き寄せる活力が生まれるのである。そうすれば、社会とのかかわりや周囲の人達が如何に重要かが分かるに違いない。と思うのである。今年も、そんなことに気を配りながら頑張ろうと思う。・・・ええっ、何に頑張るかって?ううっ・・それは、教えられないな。

 2010年初にもかかわらず、またもや長ったらしい話になってしまったが、そんな生半可な個人的な決意は、いつも同じで、臨機応変に生きていると、すぐに消えうせてしまうに違いない。それより、今日は1日なので、年始の挨拶ということで、「年賀はがき風」に仕上げてみた。七条堀川で撮影した写真。
ではこちら
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