2010/01/05

おこわ鰻めし

 
  お正月は、食べては寝て、食べては寝て、と極楽のような時間を過ごした人も少なくないと思う。ついついする事が無いからテレビを見ながら、食べ過ぎてしまう。そんな、体調を崩しかけた人は、7日に七草粥でも食べて胃腸の調子を整えて欲しい。これで、今年も無病息災でいられる筈だ(そんな甘くは無い、何事も慎重に)。

 さて、弱りかけた胃腸に追い討ちをかけるように、食べ物の紹介である。人には、別腹という機能が備わっていて、夕食が終わった後でも、テレビ等で美味しそうな物を見たり聞いたり想像することで、小腹が空くことがある(事実胃袋も拡張する)。理屈では、刺激を受けたものを食べない限り、納得などしない筈だが、1度小腹が空いた気分になると、なかなか落ち着かない。そんな時、少量にして高い満足を得るには、大好きなものを口にするに限る。例えば、寿司、蕎麦、鰻、となるかもしれないが、夜食には少々大袈裟なものばかりで、食べたくなると私などは、神田小川町まで行かなければならない。夜中は無理だ。そういえば、昨年の大掃除で「神田一八」の割り引き券が貯まったままだったので、3日の夕方出かけてきた。さすがに不景気の影響がこんな店にも襲ってきたようで、おやじは、「今年もまだ駄目」の一点張りだった。周囲の店も壊滅状態で、やはり、どの職業も続ける事が難しくなりそうだ。景気の更なる悪化が懸念される。

 さて、今日紹介するのは、「ての字のおこわ鰻めし」である。帰りに三越で買ってきて、冷凍庫に備蓄する物だ。ての字の歴史は古く、創業文政十年とざっと百八十年の伝統の職人技が生かされた鰻めしで、面倒な裂き、串打ち、白焼き、蒸し、蒲焼の工程を踏んで、最終的に鰻のおこわに仕上げてある。上の絵は、鰻の里 静岡県にある吉田工房の概観らしく、箱に食べ方(電子レンジで2分)の手引きと一緒に同梱されていた。いかにも、和の伝統を生かしながら、鰻の職人さんが集まって作っている工房といった感じである。 また、工場といわずに工房といったところは、そこに鰻の目利きがいて、とことん拘っているという感じである。

 それでは、「ての字」とは、何がその由来に なったのであろうか。文政十年(1827年)江戸の芝田町(現在の港区芝三丁目)あたりに、海老屋鉄五郎が徳川幕府 二の丸御用商として業をなしていた頃、(う~む、そういえば柳生武芸帳は7時間通して退屈だった)海老屋が屋号にもかかわらず、親しき者から鉄五郎の頭文字の鉄を取って、現在風に言うと「鉄ちゃん」と呼ばれていた。当時は落語でお馴染みだった、名前を○○字という呼び方、それに習い、何処のお店でも、お客から親しみを込めて○○字、□□字と呼ばれていたことから、ての字と呼ばれていたようだ。それが現在に受継がれ、屋号の海老屋から「ての字」を会社名にしたらしい。今でも、さの字、しの字を使う落語があることからも理解できそうだ。分かり易く現代風に言えば、「株式会社 鉄ちゃんの鰻屋」といったところだ。

 鰻めしは、おこわになっているので、おおよそ想像通りのお味である。もち米は鰻のタレで茶色をしているが、山椒と一緒に炊き込んであるために、見た目よりさっぱりした感じである。「保存料、着色料は一切使用せず、鰻はもちろん国産で安心」と表記されている。賞味期限は、冷凍保存で90日間なので、鰻をこよなく愛する人が、一寸だけ食べたい時には、そこそこ最適な食べ物といえそうだ。鰻の加工プロセスをよくご存知の方は、この贅沢さを理解できると思う。もちろん、もち米で消化も早く、笹の皮の抗菌包装のため、夜食というより、いつでも何処でも、遠慮なく食べたいときに食べられる仕様になっている。
ではこちら
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