だいたい、何でこんな物を展示するのか信じられない、と思われるに違いない。しかも、入館無料なんて「事業仕分けの蓮舫さん」の耳に入ると、入館料を取りましょう!になるかもしれない巨大な灰色と赤に塗り分けられた物体である。ここは、私の生まれて育った広島県呉市である。この上の写真の左側が「大和ミュージアム」で、潜水艦の奥が「てつのくじら館」になる。この場所は、かつての私の縄張りというかテリトリーで、小学生時代よく友達と自転車で港の船を見に来たところである。当時は、この場所自体には何にもなく、右のデパートはもちろん、写真の道路もなく、草の生えた空き地と大きな倉庫があり、松山行きとか、江田島行きの定期フェリーの出入りする桟橋が左手前にあったぐらいだが、海に向かって左側一帯には、凄まじい大きさのタンカーを建造するドック群が並んでいた。もちろん海上自衛隊の艦船や、今日の話の潜水艦なども並び、建物は殆どが明治時代を思わせる赤いレンガで作られていて、祖父の勤めていた海軍工廠を髣髴とさせる光景が広がっていた。海の色は、船の錆びのような茶色だったことを思い出す。
いつも、話題は具体性のないことばかりで、遠くから眺めていても何も分からず、誰からともなく「わしは、自衛隊はすかん、船を作る方がええわ」とか、「何で日本は、空母を作らんのかのう」、「もう戦争はせんのんじゃけえ、いらんわいや」とか、「おまえ、戦艦に乗ってみたことあるんか」などと、いつも同じような、光景を眺めながら話したものだ。そんな、子供心をかなえてくれる時代が来たのである。ついに潜水艦が陸に上がって身動き取れない状態で、いつもそこにいるのである。こんな子供心を揺さぶる嬉しいことはない。もし、あの頃このような展示館があったとしたら、「ただじゃけえのう、またいこうや」と毎日でも通ったに違いない。最近の子供達は、どうするか分からないが、パネルの解説を暗記するまで何度も読み、実物を食い入るように眺め、説明員のおじさんから体験談を聞いたりしながら、腕を組み、おじさんと一緒に「うーむ、日本の防衛は、どうすりゃあえんかのう」と、少しだけ考えて欲しいものである。
さて、「てつのくじら館」は、潜水艦の向こう側にあって隠れて見えないが、3階建ての建物で、1階は海上自衛隊の歴史と現状、2階は国際貢献の機雷除去活動を通して終戦から現在までを分かりやすく説明している。そして、3階は、潜水艦の機能や艦内の生活、潜水艦の変遷へと流れ、そして魚雷の変遷(補足参照)と続き、いよいよ実物の潜水艦に入艦できる。この潜水艦は、昭和60年(西暦1985年)三菱重工神戸造船所で建造され、平成16年(西暦2004年)まで現役で活躍していた物である。平成18年この展示の為に、国内最大のクレーン船で陸揚げされている。潜水艦内部は、所狭しと計器が並び、確かに窮屈に思うが合理的な設計がなされている。説明員の方に「この潜水艦、おおよそ、なんぼするんですか?」と聞いてみると、「そうじゃのう、1年に1台しか作らんけえ、高いんよのう、どうじゃろう今でも550億円ぐらいかのう」だそうで、絶対額としては確かにとてつもない価格ではあるが、この装備で、この大きさ、計器類の特殊性、精密加工機器、そしてエンジン2基と75名の宿泊施設が付いていて、おまけに騒音を出さずに水中を航行できるのだから、戦闘機に比べると、ケタ違いに安い。 それにしても、置物にしておくのはもったいない。できれば、これを江田島沖にでも浮かべて、動く潜水艦に乗ってみたいと思うのは、私だけだろうか。
館内を回ると、子供さんが多いのかと思っていたが、案外そうではなかった。実際は、私より少し歳上の年代の人が神妙に聞き入っていたり、その連れ合いなのか、ご婦人方も多い。このような人達は、きっと幼い頃から潜水艦に興味があったに違いない。若者は、1階の売店で、海上自衛隊のジャンパーを試着してみたりして、「格好ええじゃろう」とか、つまらんことに気持ちを動かされている。それでも、説明員の方々は、どのような質問にも規律を重んじながら、極めて丁寧な対応をなされている。
いつも、話題は具体性のないことばかりで、遠くから眺めていても何も分からず、誰からともなく「わしは、自衛隊はすかん、船を作る方がええわ」とか、「何で日本は、空母を作らんのかのう」、「もう戦争はせんのんじゃけえ、いらんわいや」とか、「おまえ、戦艦に乗ってみたことあるんか」などと、いつも同じような、光景を眺めながら話したものだ。そんな、子供心をかなえてくれる時代が来たのである。ついに潜水艦が陸に上がって身動き取れない状態で、いつもそこにいるのである。こんな子供心を揺さぶる嬉しいことはない。もし、あの頃このような展示館があったとしたら、「ただじゃけえのう、またいこうや」と毎日でも通ったに違いない。最近の子供達は、どうするか分からないが、パネルの解説を暗記するまで何度も読み、実物を食い入るように眺め、説明員のおじさんから体験談を聞いたりしながら、腕を組み、おじさんと一緒に「うーむ、日本の防衛は、どうすりゃあえんかのう」と、少しだけ考えて欲しいものである。
さて、「てつのくじら館」は、潜水艦の向こう側にあって隠れて見えないが、3階建ての建物で、1階は海上自衛隊の歴史と現状、2階は国際貢献の機雷除去活動を通して終戦から現在までを分かりやすく説明している。そして、3階は、潜水艦の機能や艦内の生活、潜水艦の変遷へと流れ、そして魚雷の変遷(補足参照)と続き、いよいよ実物の潜水艦に入艦できる。この潜水艦は、昭和60年(西暦1985年)三菱重工神戸造船所で建造され、平成16年(西暦2004年)まで現役で活躍していた物である。平成18年この展示の為に、国内最大のクレーン船で陸揚げされている。潜水艦内部は、所狭しと計器が並び、確かに窮屈に思うが合理的な設計がなされている。説明員の方に「この潜水艦、おおよそ、なんぼするんですか?」と聞いてみると、「そうじゃのう、1年に1台しか作らんけえ、高いんよのう、どうじゃろう今でも550億円ぐらいかのう」だそうで、絶対額としては確かにとてつもない価格ではあるが、この装備で、この大きさ、計器類の特殊性、精密加工機器、そしてエンジン2基と75名の宿泊施設が付いていて、おまけに騒音を出さずに水中を航行できるのだから、戦闘機に比べると、ケタ違いに安い。 それにしても、置物にしておくのはもったいない。できれば、これを江田島沖にでも浮かべて、動く潜水艦に乗ってみたいと思うのは、私だけだろうか。
館内を回ると、子供さんが多いのかと思っていたが、案外そうではなかった。実際は、私より少し歳上の年代の人が神妙に聞き入っていたり、その連れ合いなのか、ご婦人方も多い。このような人達は、きっと幼い頃から潜水艦に興味があったに違いない。若者は、1階の売店で、海上自衛隊のジャンパーを試着してみたりして、「格好ええじゃろう」とか、つまらんことに気持ちを動かされている。それでも、説明員の方々は、どのような質問にも規律を重んじながら、極めて丁寧な対応をなされている。
詳しい展示物等は「てつのくじら館」のホームページがあるので、こちらをご覧戴きたい。
今日のPDFは、何処にも掲載のない角度で実物写真を見ていただく。17mmワイドレンズで撮影しているので少し誇張されているが、 潜水艦をこんな角度でご覧になったことはないと思う。アニメーション等では良く使われる角度ではある。ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21570&app=WordPdf
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ここ以外に、呉には映画やテレビドラマを鑑賞する時に、役に立つ場所があるので紹介したい。まず、映画にも良く出てくる戦艦大和は、この呉の海軍工廠で作られたものだが、あまり活躍せずに、多くの乗組員を道連れに、沖縄の先で沈んでしまった。海軍工廠は、終戦を迎えると大切な資料を全て焼却しているので、このような資料館を作るのは難しいと思うが、「大和ミュージアム」では様々な工夫を凝らしている。軍艦マニアにはたまらないと思うので、よろしかったら、こちらもどうぞ。
そして、もう1つ、更にマニアックな場所として、江田島の海上自衛隊術科学校(旧海軍兵学校)を見学する事が出来る。最近では「丘の上の雲」でも有名になった場所である。これも興味があればホームページを参照されたい。
補足1:関東など、遠くから呉に来られる場合は、多少言葉使いに、戸惑われるに違いない。昔の映画「仁義なき戦い」を連想させるような、違和感を感じる場合もあるかもしれないが、誰しも殺意等はない事をご理解いただきたい。
補足2:魚雷の変遷については、古い資料(日本で最も詳しい)が唯一このブログにあるので、興味のある方は、こちらもどうぞ。
2008年6月11日投稿分 「祖父の残した一冊」の付属PDFの「8~47ページ」を参照。