ずっと前、3月19日の続きである。恐らく、殆どの方は(つづく)を無視してしまったに違いない。さらに、こういう話を嫌う人も多いと思うが、頭の片隅に残して欲しいと思うので、随分迷ったが、やはり話を続けようと思う。では、話を少し戻してから始めよう。
電話の向こうの彼は入院していた。救急で搬送された時は脳梗塞と聞いていたが、その後、しばらくしてMR、CT、血管造影などの検査から画像診断では、「神経膠腫(こうしゅ)」と告げられたという。脳梗塞と神経膠腫では、素人が聞いても随分その画像に違いがあるように思うのだが、診断が一転していることから、いくらプロの見立てといっても不審である。もっとも、細胞組織を調べてみないと何とも確定診断できないが、転移性脳腫瘍、リンパ腫、炎症性病変なども考えられる。そのためには、いずれにしても開頭腫瘍摘出手術が必要で、その摘出した組織から病理診断を行い、病名を確定して治療を進めることになる。病変は直径3cm程度あり、日々肥大傾向にあるという。状況によっては、ガンマナイフによる治療も考えられるが、その治療者側からも、まずは治療指針となる細胞組織の病理診断を希望されていた。
追い詰められた彼は、この時点で、「私に会って別れを告げておきたかった」ようだ。開頭手術には、様々なリスクを伴う。しかし、仮に「神経膠腫」だとしたら、手術そのものより、その後の治療に掛かる時間は長く、生還できるか霊安室行きか、いずれにしても先は少し時間がある。手術自体の後遺症やその後の治療方法については、担当医から説明を受けたようで、「わしも、もう、なごうないわいや」が口癖であった。私も、仕事柄何度か開頭手術に立ち会った事があり、難しさも知っていたが、明るい声で「何ようるんや、わしも何回か見たけど、今は簡単じゃし、そこの病院なら心配ないわ」と何度も電話に向かって激を飛ばした。「それに、まだ時間はあるし、手術では死なんけえ、とにかく、手術を早ようしときんさいや、手術が終わって、少し元気になった頃、次のステップを相談しに行くけえねえ」と、電話を置いたが手は震えていた。
手術当日も、朝から般若心経をあげて、とりあえず手術がうまくいくように祈った。 日本人は、平素は見向きもしないのに、こういうときだけ神仏にお願いをする。実は、ここの脳外科病棟では、古くから手術当日6人以上から般若心経を上げてもらうと、結果がよいというジンクスがあるらしい。手術の後のことについては、知り合いのドクターからも、「神経膠腫なら、前にいた病院の仲間が免疫療法を研究していて、結構いい成果を出しているので、それを試してみたらいい、協力するから」と言う話を貰っていたので、手術後は、それを勧めようと思っていた。 そして、3日後、53年ぶりにこの懐かしい病院の敷地に足を踏み入れたと言う訳である。前置きが長くなったが、今日はそこからの話のつづきになる。
病院正面に向かい、「昔の私のように、彼も生還させて下さい」と手を合わせて、やや緊張感を伴い病院に足を踏み入れる。どのような姿を見ても、驚いた顔を1つとしてするつもりはなかった。いつもの仕事のように、極めて冷静に、しかも明るく対応する自信は持っているつもりである。それにしても、病院は全く様変わりしていて、普通なら見当も付かないはずだが、妙に親しみが沸き、あるはずもないが、どこかに当時の面影のような物を、きょろきょろ探しながら進む。おおよそ嗅覚にも似た方向感で案内版をよそに、自分でも意外なほど、すいすいと歩き進む。脳外科病棟は、この辺だろうと思って、ええっと311だったなあと、とりあえずエレベーターに乗り込み3階で降りる。
そこは、本館とは全く違う雰囲気を持っていた。木製なのにエンタープライズ号のコックピットのような曲線を描いたナースセンターの窓に、とめどもなく懐かしさを感じる。へえーって、一瞬、頭の中では古い記憶と照合作業のような事をしているが、当てはまる記憶はなかった。それにしても斬新さを求めた古めかしい作りである。こんな場所じゃないよなぁ、と首をかしげ、もう聞いてみるしかないと、看護師さんを探したが、遠くから大きな声で名前が呼ばれたような気がした。振り返って目を細めると。廊下の向こうで、手を上げているおっさんがいる。これには驚いた。近づきながら「おい、おい、大丈夫かぁ?」と心配する私をよそに、「頭の圧迫感がのうなって、楽になったわいやー」と握手をする手は暖かかった。何年ぶりだろうか。そして、自慢そうに手術の跡を見せ付けるのである。「それより、腹減っとるじゃろう、ロイヤルホストが近くにあるけえ、後で行こうや」、この予想に反する展開に、私は心配の中にも、少し嬉しかった。しかし、確かに手術で大変なのは、するほうで、される方ではない。少々大脳を切り取っても、そこ自体で傷みはなく、頭蓋の外の縫い合わせた部分が痛むくらいである。そう考えながら眺めていると、いきなり電話での約束を確認するように、「おお、えんじゃろ、泊まってけよ、3泊できるよう研修センターを予約しといたし、退屈でしょうがないけえ、おってくれよな」。その時は、安堵した気分でそのまま承諾をしてしまったのである。手術後3日目の本人のわがままである(次回に続く)。
それにしても、病変の周囲は余裕を見て切り取ってあるはずで、足腰は元気でも、頭の機能を心配したが、私を連れてフロアーを歩く彼からは、話しぶりも、視界も、記憶も全く異常は見受けられなかった。 「ここが、便所、ここが風呂」、私は、「ええっ風呂」と絶句してしまった。確かにそこには、男女別に温泉マークの暖簾がかかっていた。それを見て、走馬灯のように記憶が蘇り、一瞬立ちすくんでしまったのである。そうそう、こんな感じ。やはり、まだ一部残っていたのだ。
さて、病気の話に戻そう。病理検査の結果は炎症性の病変で、悪性の癌ではなかった。やれやれと、胸をなでおろした。ナースセンターで脳外科部長から一緒に話を聞いた。MRとCTの画像を見せてもらいながら、最初救急で運ばれた時は、やや広がりがあったので脳梗塞だと診断し、その後落ち着いてからの画像診断では神経膠腫の疑いを持ったという。しかし、腫瘍の場所としては、あまりに症例として一般的ではないとも感じていたという。病理検査では、どう見ても炎症としか言いようがないと報告されたと言う。手術後も、何か原因を探るための検査もしたが、何も出てこなかったという。そこで、恐る恐る「原因は他に何が考えられるんですかね」の問いに、「全くわからりません」と自信にも似た言葉が返ってきたのである。私は、うんうんと小刻みに首を縦に振りながら聞き入っていたが、シャーカステンに乗せられたMRの画像を眺めていると病変の位置は、右前頭葉の下奥で、割合目と耳の間辺りであった。病室へ戻る廊下で、滅多なことも言えないが、万が一と思って、すぐさま、振り向きながら「おい、携帯電話どのくらい使うとるんや、仕事で1日何回もなごう使こうたらいかんので、電磁波の障害知らんのか、と声を荒げてしまった」。本人は、「そうらしいなあ、知らんかったんよ」とつぶやき下を向いてしまった。とは言うものの、その携帯電話の電磁波と炎症性病変(あるいは脳腫瘍)との因果関係は明確になっている訳ではないが、 医学的あるいは生理的要因が分からなければ、答えを自らの生活習慣に求めるのは、必然的な思考といえる。
彼は、社内で全国でもトップの営業成績を誇って忙しく、数多くのお客を抱えていた。入院中も廊下に見舞いの行列が出来るくらいで、時折ベッドの上では、すでに携帯電話にイヤホンが装着され、手を伸ばして、それに向かって大きな声でしゃべっている。仕事の話のようだが、どこか滑稽な感じであった。もちろん、私が相手をする時間的余裕はあまりなかったが、本人は、その後も、「原因がはっきりしない」ことに不安を覚え、私の勧める、すでに必要もない免疫療法に従うつもりになっていた。それは、体の傷は治っても、心の傷がうずくのと同じで、あるはずもないが、医療スタッフ全員が何か隠しているのではないか、あるいは、この病院の医療レベルに問題があるのではないか、そして、体のどこか他の部位に悪性腫瘍でもあって、頭に転移してきたのではないかとか、不安を募らせていたからだ。そのくらい、追い詰められた病名は人生を投げ出すほど衝撃的でもあり、そう簡単に精神状態は戻らないようだ。しばらくの間、脳外科部長の言葉もなかなか納得していなかったが、最後にPET検査をして、小さな癌の予備軍のような物でさえ何処にもない事が分かって、少しずつ落ち着きを取り戻した。退院後、4月から元気(まあ、まあという)に会社へ通っているそうだ。そして、何か新たな事が分かったら捕捉、追加できるかもしれない。
携帯電話の電磁波の影響については、今でも「関連性を捨てきれないとする報告」と、「特定できる因果関係は見当たらないとする報告」がある。しかし、それらは、あくまで脳腫瘍の患者から得た統計結果であり、携帯電話を使っている人達の健康状態をつぶさに追跡調査をしたわけではない。この事を前提として考えると、仮に何らかの影響があったとしても、その健康被害は、利用頻度や体質、そして累積利用時間等によっても変化するかもしれないし、それも分からないが、いずれにしても、かなり時間が経過しないと、何か「影響ある、なし」の結論めいたことも分からない。しかし、逆に僅かでも影響があるとすると、これから成長して長い時間利用する可能性のある子供達には、無条件で早くから携帯電話を持たせるのは控えた方が良い。
携帯電話という製品から少し離れて、電磁波そのものに関する人体への影響は、昔から話題になることも多く、携帯型パソコン等では、やはり多少なりとも不安を感じることもある。今日の話をきっかけにして、是非ご自分で納得できる方法を講じておいていただきたい。