2010/04/20

まれに受信する時もある

  前回の途中からの続きである。これでつづきも最終回 になる。雑誌などで見かける、コラムとか後記のつもりで、軽く読んでいただきたい。また、同じ様な体験をされたことのある方は、是非教えていただきたい。

  誰でも、背後に視線を感じて振り返ると、友人が遠くから見ていた。とか、逆に友人を遠くから眺めていたら、本人が視線を感じて、気が付いてくれた。という経験をすることがある。また、昔の友人の事を色々思い出していたら、翌日電話がかかってきたとか、大して用があるはずもないのに電話してみたら、母が電話を欲しがっていた。なんて経験もあると思う。このような、目には見えないエネルギーというかパワーは、何て説明すればよいのか分からない。個人的には、とんとその様な事を深く考えることもなく、そんなの「偶然に決まっている」と思って今日まで生きてきた。しかし、今回、この研修センターに宿泊してから、ほんの少しだけ考え方が変わった。

 やや方位というか、方角が記憶と一致するので、その建物の場所が気になっていた。早目の夕食を済ませると、そんなこともとんと忘れ、夜7時には研修センターの管理人さんが来るというので、それにあわせて研修センターに行くことにした。玄関の鍵を開けて中に入ると、受付カウンター奥に灯があり、色々ルールを聴いておかなければならないので声を掛けた。「今日から3日間、よろしくおねがいします。初めてなのですが」というと、「はい、はい、それでは、簡単に説明しますので、靴を脱いでおあがりください」と親切な面持ちで対応してくださった。部屋は3階で、説明といっても、給湯諸設備などの操作やテレビカード(全電気利用)の使用方法で、難しいところはない。ドアを開け部屋に通されると、入口が板の間1畳程度が付いた、8畳の広い部屋である。中には押入れとテーブルが各1つあるだけで、使用済み寝具の扱い、部屋の掃除、ごみの分別など、普通の住居と同じルールになっている。元々、この研修センターは、医師や看護師など他の病院から研修に来る人達の宿泊施設として用意されている。また、遠くから患者の看護に来る人も、ここを宿泊施設として使用できるらしい。

 取り立てて、今すぐしなければならないこともなく、テレビをつけて、部屋のまん中にぽつんと1人座り込み、そのまま倒れるように、仰向けにねっころがる。時間はまだ早い。テレビは、7時のニュースが続いていた。それにしても「悪性じゃなくて良かった」と再び安堵する。ただ、先の事を考えると手放しで喜んではいられない。炎症性病変も将来癌化の可能性もあり、うーむ、経過観察も必要に違いない。そう思ったとき、あ、そうだ、「おじちゃんを鞄から出しておかなきゃ」と、戒名が書かれた、木札の入った手製のケースを、鞄から取り出しテーブルに置いた。私は、これを今までずっと「おじ」だと思ってきた。広島の歯科医専へ通っていたおじは、20歳そこそこで原爆で亡くなっているので、人生を楽しむこともなかったと思いながら、旅行にはいつも一緒に行くことにしている。さほど信心深いわけでもないのに、いつ頃からか、ただ、そうしたいと思うようになったのである。

 やや、張り詰めた緊張感がほぐれ、移動の疲れも手伝ってか、少し気が緩み、うとうとした時のことである。大勢の人が廊下の向こうの階段を上がって戻ってきたような気がした。ああ、やっぱりこの時間に研修が終わって、皆さん戻ってくるんだなあ、少し賑やかになるなと思ったのだが、締めたはずのドアが開いているのだろうか、冷たい風の流れを感じた。しょうがないなとふと目を上げドアを見ても、きっちりロックされている。あれー、じゃあ、喚気の為に少し窓が開いているのかなと、ブラインドに隠れたサッシを触ってもロックされている。その時、ふと誰かに呼ばれたような、背後に視線を感じたのである。気のせいかな。それにしても疲れているのか、妙に寒く感じるので布団を敷こうかなあ、しかし、8時過ぎたら風呂へ行かなきゃいけないし、やはり、一寸だけでも、と思って布団を敷いた。それにしても、どこからか見られているような気がするのである。なんだろうか、どうも1人や2人の視線ではない。部屋の四方八方から見られているような感じなのである。「俺の着替えを見てもしょうがないだろう」と思ったのだが、その視線はどんどん増えているような気がする。いかんなー、と8時を十分過ぎたので、意を決して部屋を出て風呂場へ向かうが、誰かが付いてきているような感覚もあり何度も振り返る。丁度、人気のある歌手を追っかけてくるファンの人達のような感じで、怖いと言うような感覚ではなく、何故か1人なのに大勢の人と一緒に居るような感じなのである。見えないが、ぎっしりと背後に混み合った廊下を1人先頭で歩いているのである。

 建物のほぼ中央に階段があり、その手前がトイレ、さらにその手前がコインランドリー、反対側に洗面所、奥が風呂場という配置なのだが、これから向かおうとする風呂場から、濡れた長い髪の女性が出て、小走りに音も立てず、すーっと廊下の先の部屋に入った。もう8時を十分過ぎてるのに、ルール違反はいかんなあと思い、風呂場を確認するが、お湯を使った形跡(蒸気がよどんだ感じ)がない。体を流しながら、そうだよな、ルール違反じゃなくて、洗面所の方で洗髪をしたんだと思った。しかし、こんな狭い風呂場でも僅かに視線を感じるなんて、おかしいなあ、耳鳴りもするし、どうなってんだろう、と頭を乾かしながら、髪の毛が頭から少し浮いたような感じのまま部屋に戻る。しかし、部屋の中はもっと多くの視線で溢れていた。丁度、授業に遅れて来た学生が、クラス全員から視線を感じるような感覚である。すでに、その状況に先に心臓が反応し、ドックン、ドックンと大きくなっているのがわかる。うーむ、まずいところに泊まることになったと、その時、初めて怖さを感じたのである。その夜は、深夜まで何か大勢の話し声のようなざわめきで1時間おきに目が覚め、寝汗もびっしょりで、朝方4時過ぎまで眠れなかった。 きっと、相当疲れていたに違いない。

 いい歳をしたおっさんが「何か怖いから」という理由で、宿泊を断るわけにもいかず、朝、玄関でたまたま管理人さんに出くわす。「寒くはなかったですか?、よく寝られましたか?」と見ていたように話かけられ、「は、は、は、はい」と、返事をしながらも、妙な返事になったのに気付き、つい心にもなく「今日と明日と、またよろしくおねがいします」と言い直してしまった。しかし、その日の夜は、視線を感じることはなかったが、怖さの後遺症のような症状は少し残っていた。テレビを見終わった9時には、コインランドリーで洗濯をすることにして、部屋とコインランドリーの間を何度か往復する。そして、3回目の時に、ご婦人2人連れが揃って洗面所で歯磨き中であったのに気づかず、いきなり廊下から乾燥機の前に入った。鏡越しに私を見た2人のご婦人は、驚いて目を丸くし、体が硬直したようだった。むろん歯磨中なので声は出なかったが、手が止まっていた。「すみません、驚きました?」というと、2人は怪しい者を見るように、同時に軽くうなずく。それにしても、「ここ、何となく怖い感じがありますよね」と言うと、今度は、2人とも安心した様子で、同時に深く2回もうなずいた。なぜか、気持ちが分かり、昨日の俺みたいだと、一転して今日は、自分の気持ちに余裕を感じていた。

 翌朝、洗面の帰り、その2人のご婦人は、すれ違いに玄関に向かっていた。「おはようございます」と声を掛けたのだが、2人とも「おはっ・・・」と、詰まったように、かすかな言葉を発して慌てるように階段に吸い込まれていった。首をかしげながら、「俺って怖いのかな」と思ったぐらいである。そして、まだ何か感じる物があるのかなと思ったが、その日の夜は、全く何の視線も感じなかったし、部屋の中も、「あれー、こんな部屋だったっけ」と、改めて部屋を見渡したが、何故か別の部屋のように見えてしまう。初日はなんだったんだろうと、思い返す余裕すらできて、そうか、ひょっとしたら「私か、あるいは、おじが皆さんを呼んでしまった」のかもしれない、お騒がせして申し訳なかった。視線を感じないと、それはそれで別の寂しさもある。

 研修センターの前は道路で、道路を挟んで病院である。右へ100mほど行くとロイヤルホスト、反対の左へ50mほど歩くと大田川である。やはり、何となく「平和記念資料館」を取材しなければならないとその時ふと感じたのである。