なぜか、「ただ、ぼーっと時間だけが過ぎて、知らないうちに老けてしまったおっさん」の様に、昔の曲はよかったなんて言いたくないと思ってきたし、特別聴いてみたいなんて思ってもみなかったが、今、この歳になって、やはり、こんなCDを捜し求めて買ってきて、夜中小さな音量で、たっぷりとした低音と、練乳を加えた水出し珈琲の入ったグラスを傾けながら、ブルースに聴き入っているのである。そうやって、自分の知らない古くて遠い時代の街並みを勝手に想像したり、記憶の中には存在しない、哀愁溢れる情景を探し求めてしまうのかもしれない。やはり、現実を知らない想像だけの世界には、よいイメージのことばかりが埋め尽くされ その自分なりの勝手な映像化に「ええなぁーっ、たまらんなあー」と密かに叫ぶこともある。
ということで、昭和の流行歌を振返る背景を探し求めていると、思わぬアルバムに遭遇することもある。確かに昭和に活躍した歌手のベスト版は、お求め安い1,500円~2,000円程度で販売されていて、おまけに、カラオケも吹き込んであったりする。また、その様な商品の中には、レコード会社として、思い入れのあるCDというのがあることも分かってきたし、ややもすると、販売数だけで評価が決まるこの業界で、流行歌といえどもその価値をCD1枚に託して、名盤とか、貴重版とか言う、当時の制作ディレクター達のアーティストに掛ける思いが伝わってくるような商品も幾つか存在するのである。今日は、その中から個性的な代表作を紹介してみたい。
少し昔を振り返って、あの時代は、やはり自分としても感受性の豊かな時期に、強烈なインパクトというべきか、遠い大人の感覚とでもいえばよいのであろうか、当時としては最初から 「何でそんな歌い方をするんやー」 といいたくなるような、 ・・・・ 伊勢崎あたりに 灯がともる 恋と情けの ヅビ ヅビ ヅビ ヅビ ヅバー このジャズのようなスキャットで独特の歌い方は、まだ良いとしても、曲の最初のアン、アン、アン、アンは、あれは、あ・か・ん・と思っていた。当時は、この様な曲調を「ため息路線」と呼んでいたが、今から振り返ると、このため息は、誰にでもできる業ではなかったような気がしてくる。曲の最初の部分、つまり、アン、アン、アン、アン が歌詞へ、そしてメロディーを楽器のように歌い上げた、ヅビヅビヅビヅビズバーが、古典文で言えば「係り結び」のような役割をしているのである。だから、アン、アン、アン と ヅビ、ヅビ、ヅビは両方とも、聴き手が勝手に言葉を代入する助詞として機能し、「灯がともる」で結ばれるのである。つまり、ブルースというのは、やはり「何々だからこうだ」という理屈っぽさが根底に流れているのである。
まあ、それにしても、そんなつまらん屁理屈をこねて、私までもがもっともらしい話を作り上げる必要があるかどうかは、わからないが、今となっては、やはり青江三奈さんの歌い方が「ずば抜けて優れていて、完全である」がゆえに、制作ディレクターは、曲の中で遊んでみたいと思ったのだろう。青江三奈さんもJAZZの心得から、それらが自然に出たといわれている。今日は、そんな、青江三奈さんの残された多くのアルバム(30種)から2枚選んで購入してきた。1つは「青江三奈ブルースを唄う」、そしてもう1枚は「青江三奈カバーコレクション・ゴールデンベスト」で、たっぷりとブルースに浸れるわけである。昭和の流行歌を扱わなければ、遭遇すらしなかったCD2枚である。 自分の知らない世界なんだけれど、歌が上手だと、引き込まれ結構はまってしまう。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21718&app=WordPdf
補足 青江三奈さんは、2000年7月2日59歳で病気で亡くなられている。しかし、若い時から相当な健康オタクだったと伝え聞いている。しかし、実際は、少しお酒の方が上回ったのかもしれない。今、このCDを聴いて初めて分かる、とてつもなく優れた歌唱力なのである。