2010/07/13

ワールドカップ

 大方の見立ての通りというか、スペインが優勝したわけだが、個人的には体力温存の為、テレビでニュースやダイジェストを見る程度で約1ヶ月過ごしてきた。もっとも、そんな状況だからサッカーゲームに潜む醍醐味の、半分も楽しめてはいなかったが、少し私なりに「印象に残った事」をメモとしてまとめておきたい。ただ、ここでは、あくまで記録として印象深い事を順序不同として並べてみた。 そこで、まず最初に付け加えるとすれば、アフリカから送られてくる映像は素晴らしかったことだ。

 ゲームの中では、アフリカのスーパースター エトーは、外見からは想像も出来ないくらい紳士なプレイでテクニシャンという印象であった。さすが元バルセロナである。もっとも、国を代表した時とクラブチームのプレイは当然異なると思うが、とても好感がもてた。ただ、1人で頑張っても、どうにもならないと顔に書いてあった。

 強運とは、こういうことだ!と教えるように、次から次へと得意技を披露したのはオランダのスナイデルだった。これには、見る者が圧倒された。彼の術にかかると何かが起こりそうでワクワクした。やはり、サッカー選手は、高速ドリブルが出来るだけでは駄目だし、フリーキックが上手なだけでも駄目である。強運に見えたのは、チャンスを活かす得意技の数が多い、つまり勝利を手元に引き寄せる手段が多く無ければ、運も味方に出来ないということなのである。ただ、決勝では別の力が邪魔をしたようだ。

 フィールドを最後まで走り回ってチャンスを作り、僅かなミスも見逃さないしたたかさと、間合いを計りながら確かな技術でゴール右隅に決めたミドルシュートは得意技の1つ。たっぷりとアルゼンチンらしさを見せてくれたぺデス。献身的で熱意が漲るプレイは、見ていて気持ちがよかった。さすがに監督やチームメイトからの信頼も厚い筈だ。しかし、それでもメッシに負荷がかかりすぎていて、チームとして機能不足に見えた。

 それにしても、超一流のプレーヤーのフォルラン、スアレスを2トップに配したウルグアイは粘り強かった。もう少しチームとしてのまとまりが良かったらワールドカップの優勝も夢ではなかったかもしれない。フォルランはシビレるくらい格好良いし、サッカーが上手。それでいて多彩な才能の持ち主でもあった。そして、あのゴール内でのハンドに及んだスアレスは、確かな状況判断と卓越した技術、そして機敏な動作モードを備えたポイントゲッターである。この2人は誰でも怖い筈だ。

 ドイツは、エジルやミュラーの若い才能に、ポドルスキー、シュバインシュタイガーの中堅を組み合わせたところまでは良かったが、1トップにクローゼでは、さすがに次世代に人材不足を感じさせた。しかも、クローゼが幾度と無く及んだ危険なファウル(バックチャージ)は、ドイツサッカーの品位を大きく汚し、視聴者を激怒させた。今回のワールドカップでは、点を取っても最悪のチームに見えてしまった。

 さすがにマラドーナ監督は、いまだにしっかりした足裁きが健在で、たっぷり魅了してくれた。チームの練習風景で、マラドーナ監督がキーパーの為に、次から次へとシュートをゴール右上隅に決めている姿が映り、その機械のような正確さ(当たり前かもしれないが)に驚いてしまった。さらに、そういう卓越した技術を備えながらも、チームメンバーを自分の息子のように愛し(本当は金髪の女性がお好きなようだが)ている監督は、やはりチームの、いや国の誇りである。格別にうらやましいと思える。

  スペインは、バルセロナのメンバーが6人もいて、もはやナショナルチームとは言いがたかったが、いつも同じチームでボールを回しているから成せる技が光った。終盤では、痛々しくも何度も何度も気持ちを取り直して、精密にボールを動かしてゴールに向かい攻撃する小さいおじさん達は、時計仕掛けのようにさえ見えた。そして、スーパーマリオのような監督は、決勝といえども無敵艦隊の提督のように落ち着き払った采配でゲームを進める姿勢に、恐れ入ってしまった。

 そうそう、それにしても、イニエスタとドノバン(アメリカ)は一寸似てる。

  ヨーロッパ、南米などサッカーで歴史のある国は、それなりに熟した技術・戦術面がある。一方、後発のアフリカ、アジア系などは、まだまだ悪く言えば、見よう見まねでサッカーをやっているようなところがあって、先々にノビしろを感じるといえば聞こえは良いが、せんじつ面でのオリジナリティーやアイデアに欠ける面が多い。アフリカもアジアも自らの独創性で戦えるチームを作れなければ、ワールドカップに隠された大陸間の文明の違いによるサッカーの面白さの違いは分からない筈だ。外国で学んだサッカーで戦って勝ったとしても、それは詮方なきことである。

 最後にもう1つ。緊迫した試合になると、一寸した審判員の判定ミスや見逃しが試合を大きく左右する。審判員のミスもサッカーの一部だという傍観者もいるが、本当は、そんなことがあってはならない。しかし、フィールドにいるプレーヤ自身は、そう思って泣き寝入りをせざる終えない時もある。テレビを見ている我々もそんな釈然としない時がある。早急に審判を増やすとか、ビデオ判定を併用出来るように準備を進めるべきだと考える。何でもビデオの力を借りよ!と言っているのではない。誰が見てもゴールしているボールをノーゴールと判定したり、オフサイドを見逃すような事が無いようにしてほしいといってるだけである。そして、審判員は選手の近くでなければ判定できない経験的で微妙なプレーヤーの動きを正確に判断して欲しいものだ。

以上

補足1 詮方なきこと 他になすすべも無く、無性に寂しい状況のこと。
補足2 釈然 としない 疑いが晴れてすっきりしない様子のこと。