2010/08/20

昭和の流行歌7

  この曲を知ったのは、コロッケの「ものまね」からだ、という人も少なくないかもしれない。それは、唄う情景描写と言われるほど、丁寧に歌い込まれ、独自の世界を繰り広げる「ちあきなおみ」さんの歌唱力をコロッケが上手に真似たからだ。曲は「喝采」という、とても悲しい曲なのに、彼は、何と!それを大笑いに変えてしまったのである。高見を目指し、自分の芸の価値を高める為に、彼はあえて難しい曲を引き合いに出してきたといえる。さすがに、当時No.1の歌唱力を誇った、彼女の振付けと唄いっぷりの真似には、文句を付ける人はいなかったのである。

  そんな、テレビのドラマや歌番組で観るぐらいだった「ちあきなおみ」さんのCDを先ほど購入してきて、改めて聴きこんでみた訳だが、「雨に濡れた慕情」や「四つのお願い」等は懐かしさやら、「喝采」「矢切の渡し」等は、上手いなあー やら、あっという間に聴き入ってしまったが、テレビでは分からなかった「ちあきなおみ」さんの独特の世界があることも分かった。この人もいろいろな唄い方が出来るテクニックを自然に身に付け、殆どの曲をさりげなく歌ってしまうのは不思議である。数種類のアルバムをいくつかのレコード会社に跨ってリリースされているが、演歌からポップスまであらゆるジャンルをこなせるようで、今更ながら、他のカバー曲等も聴いてみたいと思える。

 もう1人、演歌の世界で、外すわけにはいかないのが「藤 圭子」さんである。とにも、かくにも、キリとした美人で、声はハスキーで商品価値は高く、ワイドな音域、端正な歌い方、どれをとっても文句の付けようが無いのである。唄いっぷりには、そこはかとなく底力のような余裕を感じさせ、浪曲師であったご両親から受け継いだ、正確な日本語の発音が魅力と言えよう。それにしても、美人に生まれると何かに付けてお得かもしれない。昔から歌が飛び切り上手な人は、持ち歌のタイトルの冠に、自らの名前を付けられることがある。例えば、「ひばりの佐渡情話」、「ひばりのマドロスさん」といった具合である。藤 圭子さんも、もちろん群を抜いて唄は上手だけれど、それにもまして「美人」であったことから、早々とタイトルの冠に名前を付けてもらっている。「圭子の夢は夜ひらく」である。

 彼女は、10年間でリリース70曲、アルバムは42レコードと、歌が上手な割には少ないかもしれない。もちろん当時の世相を反映して、私に言わせれば暗い曲ばかりだが、「飛ぶ鳥を落とす」とはこのような事を言うのであろうか、オリジナル・コンフィデンスでは、ファーストアルバムの「新宿の女」が20週連続1位を獲得している。さらに、その記録を塗り替えたのも、自らのセカンドアルバム「女のブルース」で、これも17週連続1位。総合アルバムチャートで42週連続1位という、前人未踏の記録を打ち立てている。まあ、とにかく凄い人なのである。個人的には、「京都から博多まで」、「別れの旅」、「明日から私は」、「私は京都へ帰ります」等の方が好き。さて、余談になるが、藤 圭子さんは、宇多田ヒカルちゃんのお母さんでもあり、娘さんには期待をかけた人も多いと思うが、残念ながら、どれをとっても母を超えることは出来なかったようだ。
 では、こちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21751&app=WordPdf

補足 まったく余計なことかもしれないが、ちあきなおみさんは、昭和22年生まれで、まさに団塊の世代。藤 圭子さんは、昭和26年生まれ。2人とも既に随分前から芸能活動はされていないのでテレビなどで拝見することはない。