そもそも、小説を映像化すると賛否両論が渦巻く事が多い。原本を読んでいる人にとっては、自分なりの解釈やイメージという物が既に出来上がっていて、心の中に一字一句までも大切にしまってあるわけで、「映画やドラマにされてもイメージが壊れてしまって困るんだな」という人は多い。一方で、私のように小説など読まない者は、映像化されたものを、まったくもって鵜呑みにしてしまうほど単純であるし、まるで「見ることは信ずることである」のことわざの如く、額面どおり受け取るわけである。ところが、それでも、その映像からほとばしるほどのリアリティーとか、にじみ出る芸術性に魅かれ、むしろもっと詳しく知りたいという衝動に駆られる事もあるが、いまだ興味の薄い時に、多くの情報が渾然一体となってしまうのは、うーむ、いかがなものであろうか。まして、読んでもいないのに外堀を埋めることによって、理屈や事実だけで本質に迫ろうとしているのである。
大街道から城北(ロープウエイ乗り場方面)に向かって、2本目の道を右に入ると秋山兄弟の生誕地(松山市歩行町2-3-6)がある。この場所で育ったのが、本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)と、阿部 寛さん演じる秋山好古(よしふる)で、この家は再現されたもの。庭先には、日本騎兵の父といわれる、馬に乗った好古の銅像と、向かい合うように東郷艦隊作戦参謀まで勤めた真之の胸像がある。玄関は土間のままで、奥の台所に続く。そこには、水がめや、かまどが置いてあり、実に懐かしい情景である。そして、何処からとも無く、ふっくらと美味しそうな御飯が炊き上がるさまを思い浮かべる。部屋は6畳2間、8畳2間である。裏の庭(上の写真)には、井戸の側にザクロ(写真正面の木)とその右にイチジクの木が植えてある。全体が一際合理的で質実剛健であった生活ぶりを思わせる。
そして、もう1つ市駅の裏(松山市末広町16-3)には、子規堂があり、子規と文学仲間でもあった正宗寺の住職仏海禅師が、業績を記念して子規(正宗寺の門徒)が17歳で上京するまでの住居を寺の中に残したとされる。生誕地は市駅を挟んで反対側の花園町あたりだが、ここでは、子規の当時の暮らしぶりを知ることが出来る。まさに、香川照之さん演じる正岡子規と菅野美穂ちゃん演じる妹の律が住んでいた家ということである。ドラマでは、実際の家の場所までは特定してはいないが、真之が川を渡って子規に会いに行くシーンが多い事から、引っ越した先は、子規堂よりはるかに南の、石手川を渡った先にあったと考えられているようで、さしずめ石手川公園~祇園町あたりではないだろうか。子規堂の室内は情緒溢れる豊かさを感じさせ、秋山家よりも風情がある。子規の書斎の一部も復元されている。また、子規堂前には、夏目漱石の小説「坊ちゃん」で有名な坊ちゃん列車と、松山へ最初にベースボールを伝え、野球という言葉を作ったのも子規であることから、子規と野球の碑がある。このあたりは、仏海禅師の趣味だろうか。
全く余談になるが、香川照之さんは、龍馬伝にも出演しており、しかも彼一人だけ岩崎弥太郎の魂が乗り移ったかの様な、圧倒的な存在感でドラマの土地柄や時代感までもリアルに再現している。確かに映像技術も大きく貢献しているが、どう見ても、龍馬ではなく岩崎弥太郎が主役の大河ドラマと考えて差し支えはない。香川照之さんは「歴史上の人物を演じる時は、その人物に失礼があってはいけない」と、とても奥深い微妙な言い回しをされているが、その言葉が示すとおり、彼は演じる人物を徹底して研究し、魂まで受け入れる程に、体系・体重はもとより、顔つき、しぐさ、息遣いまでも伝えようとしているのである。
正岡子規は、圧倒的に多くの日本人に親しまれていて、既に子規の作品からにじみ出る彼自身のイメージというものが存在する。一方で、秋山兄弟は「坂の上の雲」を読むまで知らなかったという人がほとんどの筈で、さらに、私のように、読んでいない者にとっては、全く持ってイメージは、本木雅弘さんの秋山真之と、阿部 寛さんの秋山好古でしかないのである。当然、「坂の上の雲」の主役は、阿部 寛さんのように思われがちだが、実はそうではない。ここでも主役は香川照之さんでなければならない。つまり、正岡子規をどのように演じるかで、ドラマ「坂の上の雲」の文化水準と芸術性が保たれ、司馬遼太郎さんの訴えようとしている「対極にあるもの」がリアリティーを増すのである。香川照之さんは、ここでも試行錯誤を重ね、優れた才能を発揮するに違いない。最も注目したいし、期待してよいと思う。いやいや、期待なんて僭越で、彼は、三代目市川猿之助さんが父、浜木綿子さんが母という超エリート中のエリート俳優なのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21761&app=WordPdf
大街道から城北(ロープウエイ乗り場方面)に向かって、2本目の道を右に入ると秋山兄弟の生誕地(松山市歩行町2-3-6)がある。この場所で育ったのが、本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)と、阿部 寛さん演じる秋山好古(よしふる)で、この家は再現されたもの。庭先には、日本騎兵の父といわれる、馬に乗った好古の銅像と、向かい合うように東郷艦隊作戦参謀まで勤めた真之の胸像がある。玄関は土間のままで、奥の台所に続く。そこには、水がめや、かまどが置いてあり、実に懐かしい情景である。そして、何処からとも無く、ふっくらと美味しそうな御飯が炊き上がるさまを思い浮かべる。部屋は6畳2間、8畳2間である。裏の庭(上の写真)には、井戸の側にザクロ(写真正面の木)とその右にイチジクの木が植えてある。全体が一際合理的で質実剛健であった生活ぶりを思わせる。
そして、もう1つ市駅の裏(松山市末広町16-3)には、子規堂があり、子規と文学仲間でもあった正宗寺の住職仏海禅師が、業績を記念して子規(正宗寺の門徒)が17歳で上京するまでの住居を寺の中に残したとされる。生誕地は市駅を挟んで反対側の花園町あたりだが、ここでは、子規の当時の暮らしぶりを知ることが出来る。まさに、香川照之さん演じる正岡子規と菅野美穂ちゃん演じる妹の律が住んでいた家ということである。ドラマでは、実際の家の場所までは特定してはいないが、真之が川を渡って子規に会いに行くシーンが多い事から、引っ越した先は、子規堂よりはるかに南の、石手川を渡った先にあったと考えられているようで、さしずめ石手川公園~祇園町あたりではないだろうか。子規堂の室内は情緒溢れる豊かさを感じさせ、秋山家よりも風情がある。子規の書斎の一部も復元されている。また、子規堂前には、夏目漱石の小説「坊ちゃん」で有名な坊ちゃん列車と、松山へ最初にベースボールを伝え、野球という言葉を作ったのも子規であることから、子規と野球の碑がある。このあたりは、仏海禅師の趣味だろうか。
全く余談になるが、香川照之さんは、龍馬伝にも出演しており、しかも彼一人だけ岩崎弥太郎の魂が乗り移ったかの様な、圧倒的な存在感でドラマの土地柄や時代感までもリアルに再現している。確かに映像技術も大きく貢献しているが、どう見ても、龍馬ではなく岩崎弥太郎が主役の大河ドラマと考えて差し支えはない。香川照之さんは「歴史上の人物を演じる時は、その人物に失礼があってはいけない」と、とても奥深い微妙な言い回しをされているが、その言葉が示すとおり、彼は演じる人物を徹底して研究し、魂まで受け入れる程に、体系・体重はもとより、顔つき、しぐさ、息遣いまでも伝えようとしているのである。
正岡子規は、圧倒的に多くの日本人に親しまれていて、既に子規の作品からにじみ出る彼自身のイメージというものが存在する。一方で、秋山兄弟は「坂の上の雲」を読むまで知らなかったという人がほとんどの筈で、さらに、私のように、読んでいない者にとっては、全く持ってイメージは、本木雅弘さんの秋山真之と、阿部 寛さんの秋山好古でしかないのである。当然、「坂の上の雲」の主役は、阿部 寛さんのように思われがちだが、実はそうではない。ここでも主役は香川照之さんでなければならない。つまり、正岡子規をどのように演じるかで、ドラマ「坂の上の雲」の文化水準と芸術性が保たれ、司馬遼太郎さんの訴えようとしている「対極にあるもの」がリアリティーを増すのである。香川照之さんは、ここでも試行錯誤を重ね、優れた才能を発揮するに違いない。最も注目したいし、期待してよいと思う。いやいや、期待なんて僭越で、彼は、三代目市川猿之助さんが父、浜木綿子さんが母という超エリート中のエリート俳優なのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21761&app=WordPdf
補足 松山は伊予鉄道株式会社の「市駅」をハブ(中心軸)に見立てて考えると分かりやすい。すると、JR松山駅は1つのスポークの先になる。したがって、必ず頭にJRとつけて区別する。そこで、「JR松山駅」に着いた場合は、路面電車の市駅行きで「市駅」へ行き(150円)、市駅の裏を抜けて子規堂へ向かい拝観(50円)する。再び「市駅」に戻り、路面電車の道後温泉行きで「大街道」へ出る(150円)。
松山観光港に着いた場合は、まず連絡バスで「高浜」まで行く(150円)。「高浜」から高浜線の横河原行きで「市駅」まで行く(400円)。
いずれにしても、市駅の裏にある子規堂を最初に拝観し、次に大街道へ出てロープウエイで松山城を体感し、降りてきてから秋山兄弟の生誕の地を訪れ、大街道から道後方面へ向かうのがよい。