2010/08/27
松山城
私の田舎の呉でも、「坂の上の雲」のブームが押寄せている。駅や桟橋の構内のあちこちで番組のポスターを見かける。それでも、「坂の上の雲」 すぐそこ・・とかの矢印はない。ポスターから想像するに、江田島の海上自衛隊の幹部候補生学校を見学してくるようにという「暗黙の指令」かもしれないし、松山の秋山兄弟の生誕地に赴くとか、子規堂とか、番組の冒頭で使われている三人並んだ松山城の一角を探してくるようにというメッセージかもしれない。そんなことは、誰も勧めていないが、TVの番組を通して、その明治という時代を投影しながら現場に立ってみるという、イマジネーションの貧弱な人間の興味といえば、そんなことぐらいなのであろうか。ということで、今回は本木雅弘さん演じる秋山真之(さねゆき)の足跡を松山と江田島に追ってみたい。さしずめ、松山発→呉(中継点)→江田島行きといったところ。
少し余談になるが、幼い頃の私は、父の転勤の度に、中国・四国地方を転々と引きづり回されて、子供なりに色々苦労をした。松山と呉は小学校を2度ほど転校している。そのお陰もあって、それぞれ転校の度に勉強についていくのがやっとだったし、言葉の違いにも戸惑ってきたが、それでも、今となっては、そのことで広い範囲をふるさとにすることが出来たと思っている。瀬戸内海を挟んで岡山、福山、徳島、高松、そして広島、松山あたりまでが、いつまでも、私のふるさとなのである。
とりわけ松山時代は、戦争物の漫画が多く、読んでもらいながら父から「若き祖父の時代」の話を聞かされて育った。もっとも、祖父の時代は、「坂の上の雲」より20年ぐらい後になるが、その話の中で明治時代のイメージを勝手に作り上げていた。「時代の潮流が大きく変わろうとする時期に、身分や家柄に関係なく学問をして、師範になるとか、エゲレスなどに留学するとか、そうやって、お国の役に立つ人間になれば、出世も夢ではないという、極度の期待感というか、わくわく感が漂って、どちらを向いてもエネルギーに満ち溢れ、若者が一際強気になれる時代」だったような話として、今でも記憶している。
また、当初輸入に頼っていた戦艦や航空機、あるいは兵器が少しづつ改良され、さらに大正・昭和初期、より高精度で優れたものが開発されて「世界のどの国と戦争をしても、勝てるムードが漂う時代」へ突入していく様子まで説明してくれた。だから、多少年代が20年程ずれていたとしても、私にとって坂の上の「雲」とは、漠然とその実体が何か分かっているような気がするし、だから、もっと詳しく知りたい気持ちはあるにしても、決して、無防備で面白いとは思えない。
さて、話を戻すと、かつて10年ぐらい前までは、夏目漱石の「坊ちゃん」の街であったはずだが、今の松山は、「坂の上の雲」一色といっても過言ではなかった。番組の最初に登場する、秋山好古、真之、子規の3人が並んで城壁に座っている姿は、松山城で撮影されたものとして、象徴的なシーンとなっている。私は小学生時代、毎週日曜日に古町方面山道から城山にのぼり、本丸広場で太陽の観測をしていた。山の稜線のどの位置から太陽が昇り、どの場所で沈むのかを絵に描いていたのである。その経験から、あの写真の太陽光の当たり具合をみて、複雑な松山城の中から、「ありゃあ、あそこしかない」と、ほぼ場所を特定する事が出来たのである。
松山城は、三の丸の周囲を水堀が囲み、内側には市営プール、競輪場、博物館、美術館などがある。愛媛県庁の左側からは、二の丸へ続く道があり、この先は、二の丸史跡庭園となっている。本来の登城口はこちらで、庭園を見ながら坂道を登るとPDF写真②へ出る。二の丸から本丸へは、万里の長城の様な、山腹側面から侵入できないようにする為「登り石垣」で囲まれた部分があった。現在南側の部分は、ほぼ完璧な形で残っているが、北側は大半が破壊されている。さらに、本丸への入場には、様々に敵を欺く仕掛けがあって、厳重な防衛構造になっており、現存する国内12の天守の中でも、姫路城と同等と言われている。確かに、松山城は精巧な構造物が数多く現存して、二の丸から登城すると、その一端を垣間見ることが出来る。まさに松山城は、この街でも最高に価値のある場所なのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21758&app=WordPdf
補足1 師範とは人の手本となること、あるいは手本になる人をさし、具体的には教師など先生のこと。師範学校とは、現在の教育大学。
補足2 関東周辺から松山までの距離は長い。陸路を通って松山へ入る場合、東京からを想定すると、
1.新幹線で岡山まで行き、岡山から在来線の特急に乗り換えてJR松山駅へ。
2.寝台列車「サンライズ瀬戸」で坂出駅まで行き、在来線の特急に乗り換えてJR松山駅へ。
3.JR深夜高速バスで東京駅から翌朝松山城の下の大街道で下車。
4.小田急ハイウエイバスで新宿西口から翌朝尾道駅前まで行き、尾道駅前から定期バスでJR松山駅へ、等が一般的なルートで、それぞれメリット、デメリットがある。JR松山駅からは、道後温泉行き市内電車で大街道下車。一方、広島から高速艇、あるいはフェリーで高浜桟橋→市駅へ入るという海上航路という手もある。 市駅から道後温泉行きの市内電車で大街道にて下車。ロープウエイ乗り場まではすぐ。
しかし、何といっても1番のお薦めは、2.の寝台列車「サンライズ瀬戸」で、この路線は将来無くなりそうなので、早く乗っておきたい。坂出駅で松山行き特急への乗換え時間を十分確保し、駅構内で本場の「讃岐うどん」を戴いてみよう。
補足3 JR松山駅と市駅は異なる駅で、市駅は伊予鉄道株式会社の松山中心にある駅のこと。大街道とは、松山市を代表する商店街の1つでアーケードが500mほど続く。松山中心部にあり北端は、市内電車、三越、全日空ホテル、ロープウエイ、秋山兄弟生誕の地にも近い。