本屋の棚に、今にも飛び掛ってきそうに、こちらを睨み付けているおっさんがいた。私は久々に彼の姿を見た。その姿を見る度に「潮騒」や「宴の後」を思い出すなら健全なファンかもしれないが、私は彼が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の、総監室の前のバルコニーから、急遽集まって来た自衛隊員へ向かって演説する、凛々しい姿を思い出すのである。丁度それは、高校三年の秋の出来事であった。その写真の姿は、自信に満ちて特別格好がよかった。詳しい演説の内容はともかく、「演説の終了後、彼は割腹し、すぐに、介錯された」と書いてあった。その場で、血の気が引いていくのを感じながら、何度もその夕刊の活字を追った。心の中で現場を思い浮かべ、一生懸命否定しながら何度も何度も読み返したのである。その後は、思い出す度に、その日の天気、気温、情景などが鮮明に甦るようになってしまった。
当時は、彼の小説のことを少しだけ知っていたが、さらに人間像に迫れるほどの知識はなかった。それは、一種の危険な領域へ近づくような怖さと、理解に苦しむ彼の振る舞いによるものであった。その後、大人になるにつれ少しづつ彼を理解できるようになる。彼の略歴は、学習院高等科卒(首席)→東大卒→大蔵官僚→小説家で、本名は平岡公威(きみたけ)である。しかし、よくテレビなどで、三輪明宏さんが彼の印象とか人柄を振り返って話されることがあるが、鋭利な刃物のような鋭い言葉を弄ぶ気さくな(?)人柄だったようだ。また、小説からは、彼の作品は隅々まで造形的で優美を放ち、行間には想像力を超えた輝きがある。勿論、読むほどに味わい深い情景が押寄せ、その根底に流れる、日本人としての規範とも言うべき独自の道徳観と、ずば抜けた描写力のなかにも、繊細な精神構造をうかがわせ、彼の幼少期の育ちのよさを髣髴とさせる。まさに、何から何まで一流を貫いて行こうとする男なのである。
彼の美学には、崇高なプライドにも似た創造性と芸術性が秘められている。それに引き込まれるファンも少なくないが、一方で、時代を重ねるにつれ輝きを増す、彼のブランド力を支えてきたものに、彼の残した幅広い多様な作品があり、それが彼を月並みな言葉で語りつくせない要素になっている。それも、大方は経歴の裏に秘められた明晰な頭脳から繰り出された文章に映されているが、一方で程遠いと思える、血の通った実証主義的な精神構造を忘れてはならない。自衛隊体験入隊とか、極端に磨き上げた肉体と、「締め込み」が似合いそうな後姿とか、まるで、古き好き日本男児を思わせる姿に忽然と輝きを覗かせる。彼は、理想とする人間像に比して、幼い頃から病弱であったことから、徐々に、自ら肉体改造に目覚め、まるでオブジェのような姿に肉体を鍛え抜いていた。ただ、そのやや行き過ぎた日本男児としての風景からは、たくましくも、しなやかな感触の同性愛を匂わせる。
そんな、難解ともとれる彼の多様性を眺める時、やはり、小説の作品だけでは、納得の行く三島由紀夫像を知ることは出来ない。立ちはだかる大きな壁に遮られながらも、距離を置くことしか出来なかった当時の未熟な私にとって、今日こそ、この別冊本を紹介しながら、より彼の本質に近づいてみたいと思うのである。その本のサブタイトルには、「小説、戯曲、評論、随筆、いずれの領域でも才華を放ち、昭和と言う時代を疾駆した恐るべき作家の軌跡と展がり」 と飾られている。それこそ 「別冊太陽 の日本のこころ175 三島由紀夫 11月25日発行 」という新手の三島バイブルである。それを眺めながら、1つ1つの作品の寸評をかみ締め、彼の残した写真、元原稿、筆跡、メモ、関係者の話などから、これも1つのチャンスとして、彼の内面へより近づくことで、現代にも通用する日本人ならではの卓越した精神性を追求してみたい。さらに、この歳になって初めて理解できることもあるだろうし、それを自分の糧として掴み取ることが出来るかもしれない。そうすることで、氷が自然にテーブルの上で溶けていくように、長い年月を経た間欠的フラストレーションを少しずつ解消したいと思うのである。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%21836&app=WordPdf
補足1:締め込み=褌のこと
補足2:中央公論新社から「三島由紀夫と戦後」という本も出ているが、こちらはつまらん。