地震と津波に被災された方々のために、調布でも、あちこちで募金活動が行われている。駅の周囲でも、そのような人々に出くわす。いくらなんでも「さっき階段の手前で募金させていただきました」と大きな声を立てるわけにもいかず、かといって、ついつい、知らんぷりもできず、「いい人ぶって」小額のお金を投入して、足早に立ち去ることにしているが、彼らも活動場所をさらに広げたようで、駅前のみならず訪れる先々で、そのような声が聞こえてくるようになった。そこで、その対抗策とも言うべき、1回の募金の金額を減らすことで、そこに介在する抜本的な課題を解決することにした。つまり、そのような活動に遭遇すれば、ニコニコとすぐに募金対応できるように、100円玉を10個ぐらいポケットに用意してウォーキングに出かけるのである。そうすることで、自分の参加意識も高まり、1枚づつ気持ちが救われていくような気になるのである。・・・・うーむ、それにしても、最近毎日物入りで、出かけること自体が億劫になってきた。
たった、それだけのことでも、自分に出来ることを継続して実行することは難しいと自覚した次第である。一方で、みんなで計画停電を我慢して、寒くて暗い電車も我慢して、もちろん、行った先の会社でも節電という張り紙の前で我慢して、そうして、みんな同じような環境で我慢するのは容易だが、被災された現場は、これからも辛い我慢の日々が続くに違いない。子供たちは友達や先生と会えないのもさびしいだろうし、お年寄りは放射能より寒さの方が堪えるに違いないし、持病のある人は毎日が不安だろうし、1人1人置かれた境遇も違っていて、個別に我慢していくのは、結構辛いことだろうと思う。やはり、人の心の問題はちょっとしたことで寂しくなったり、元気が出たりするもので、元気になってもらうには、なによりも温かい食べ物、ゆったりしたお風呂や、温かい寝床、そして、もう1つはやはり、当座の現金である。出来るだけ早く配ってあげてほしい。
さて、水面に起こった波紋が広がるように、原子力発電所から漏れ出る放射能がじわっと広がって東京にまで影響を及ぼしてきた。地震と津波で被災された方の心境を慮ると、この放射能漏れは余震以上にダメージを与え続けているし、その地域全体の将来の生活、職業など人としての行為の一切を根こそぎ奪い取っていきそうな勢いである。全く影響のない我々に対しても、関西の方から見舞いの電話が来たり、弟からは物資の差し入れがあった。電話では「そがいに、心配せんでもええわ、もう、わしらあー先は長ごうないんじゃけえ、何でも食べられる」と言って安心させたつもりだったのだが、イトーヨーカ堂からお水やお米が消えたりすれば、そうやって、余裕をかましていられなくなってきたのである。
弟は、報道番組をきめ細かくチェックして、自分なりの予想を立てていたのかもしれない。第一に放射能に汚染された野菜や水を嫌気していたようである。すぐに大量の物資が届いた。どれも、一言もそのような物が欲しいなんて伝えたわけではないが、一通りあると安心な物がそろっていた。瀬戸内海で育った倉橋島産地直送のトマト1ケース、かんきつ系ではポンカンと甘夏の1ケース、広島産のこしひかり30kg、奥大山の天然水550mg24本入り段ボールである。今まで、このように兄を心配して、そんなことをしてくれる弟とは思っていなかったが、相当に放射能の恐ろしさを知ってしまったのか、心境の変化というか、思うところがあったに違いない。ということで、今日はそれらを兄弟愛の1つの形として記念に写真を撮った。大切にしたいものだ。
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補足:兄弟愛とは、平和なときは、歳を重ねるごとに希薄になり、実体が見えにくくなるもの。ただ、この惑星では、時たまそれを改めて思い出す事件が起こることがある。