2011/11/29

黒ミルクとミルフルッツ

    男という生き物は、なかなか大人になり切れない・・・・・。ふと、そう思うことがある。長時間電車に乗って帰る夕刻は、チョッとした事故でも混雑しているために遅れに大きく影響してしまう。先日も、西武新宿線で人身事故の影響で車内に2時間も座らされたのである。節電の為か車内は寒いし、お腹も減ってくきた。そうやって、じっと座っているだけで情けなくなるのに、途中生々しい事故状況アナウンスもあり、想像するだけで精神も肉体もズタズタにされそうになったのである。それを救ってくれたのは、上着のポケットに押し込んであった幾つかのキャンディであった。もしこれがなかったら、意気消沈したままだったかもしれない。

 一方では、最近、様々な環境の中で怒りがこみ上げて来て困ることもある。周囲は昔からと指摘するのだが、自分では、いたって平常心を保っているつもりである。しかし、それが蓄積され続けると、いつか爆発する時が来る。それはちょうど「アレルギー物質が蓄積され、限界を超えた時」のような状態に例えられる。勿論、それを抑える処方箋や特効薬なるものはないのだが、最近、ある程度抑えることのできる物質を見つけることが出来た。それが、車内で私を救ったキャンディーである。これは、様々な状況に合わせて「精神的な屈辱から遠ざかる」のに適していると分析している。何か怒りがこみ上げれば、すかさず口にして、その怒りを抑えるようにするのである。つまり、平素からそのように心がけ、小さなうちに芽を摘み、大きくならないように心掛けるわけである。

 特に、カロリー制限をしながらも以下の様な症状のある人にはお勧めできる。1.何よりも甘いものが好きである、食後でも甘いものは別腹が用意されている。2.コンデンスミルクが大好きである。3.人前ではとても人格者だが、本質的に瞬間激怒症という病を抱えている。4.平素から正常時の血圧が高い。 等である。このような人には、「このキャンディーの甘さで幸せな気分」にし、怒りやストレスを抑える効果がある。もちろん、大量に摂取しすぎると血糖値が即座に上昇するので、あくまでも1回1個程度で、1日のうち最大5個という限界値を設けておくのが良い。

  キャンディーが効果的な理由は、口の中にある限り数分間甘さを感じることが出来るからである。カロリー的には、1個当たり 17~19kcal なので10個食べても190kcal と大したことはない。饅頭や最中、あるいは缶珈琲などは、甘さを感じる部分に接触する時間が短いため、血中に溶けてからエネルギーとして効果を発揮するだけである。むしろ、その「甘さ対効果」が重要なのである。そこで、体内の血糖値を上げ過ぎてはならないからである。今日紹介するキャンディーは、何種類かの中から評判の良いものだけを残し、その中から厳選した4種類のキャンディーで、何人かの人に試してもらったので、上記のような症状のある人には、優れた効き目を発揮するはずである。ぜひ、胸のポケットにでも入れておき、いざとなったら口していただきたい。もちろん、1日の決めた用法用量を自分なりに守ること。
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2011/11/25

ナチュラルチーズ

   ちょっと前に、大量に仕入れたプロセスチーズを紹介したことがある。プロセスチーズは、ナチュラルチーズを加工して、保存が利くように作り直したものである。とはいうものの、実際には、保存期間に違いがあるだけで、両社とも保存の仕方や方法には大きな違いはない。食べ残った物はラップで包んで冷蔵庫で保存ということになる。ナチュラルチーズはそのまま戴くのに適し、プロセスチーズはそのままでも美味しいが、加熱して溶かしたりすることで別の風味も際立ってくるため、料理等幅広い用途に利用される。

 今日は、フランスから輸入されてきた歴史のあるブリーチーズ (ブリー地方で1000年以上作られてきた)である、白カビのナチュラルチーズ1/24(乳脂肪60% 価格398円)を4個買ってきたので紹介したい。硬くて白い外皮部分と、内部の柔らかい部分が口の中で、適度な歯ごたえと舌を覆うような滑らかさとが、混然一体になり、味わい深い食感を醸し出す。そのような自然が育んだ独特のチーズで、白カビが覆い尽くした白い外皮の硬さの中に最大の魅力が潜んでいるようだ。お好きな人は、その白い外皮だけ切り取って口にすることも多い。内部のクリーミーな部分は、カマンベールと比較すると、濃厚で癖が少なく風味がよいので高級感がある。

 トーストの上で溶けているプロセスチーズも美味しいには違いないが、チーズの美味しさはナチュラルチーズの中にこそあって、自然がはぐくんだ「そのままで、生々しく美味しいチーズ」を戴きたいと思う事は多いと思う。これらは、とにかく理屈抜きにしっかりと濃厚で、満足感も高い。年の瀬は、何かと集まりも多く、お酒を戴く機会も少なくないが、このナチュラルチーズがワインのおつまみになることが多い。単純にそのまま戴くのもよいが、ほとんどは、クラッカーやクラコットの上に乗せてある。しかし、ナチュラルチーズは果物との相性もたいへん良いことから、果物に挟むとか、ドライフルーツを載せていただくのも美味しい。あと、一般的だが蜂蜜を乗せる食べ方もある。

  私が個人的にお勧めできるのは、珈琲、紅茶のお共として、お手軽な林檎をスライスして「白カビ外皮部分」を挟んで食べることである。これが意外に美味しいと思っている。また、その林檎とチーズの新鮮で迸るような薫りによって、どことなくリッチな空気が漂い満足度も高いと思う。ちなみに、ちびちびと1/24カットを一口サイズで口に運びながら、珈琲や紅茶に合わせると、お腹いっぱいになることがある。記載がないのであくまで推定(独自の調べ)ではあるが、カロリーは約420Kcal前後(1/24カット約110g相当で)。また、カルシウムは720mg 前後と多目なのでストレスの多い人にはお勧めできるかもしれない。しかし、塩分が多いので諸先輩方には控えめでお願いしたい。
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2011/11/22

柿乃木坂

     いやー、どう考えても、10年やそこらで、そう簡単に和菓子屋なんか手広く展開できる筈はない。何か根拠と言うか、訳があるはずである。・・・その不思議に思う気持ちが、益々探偵の様な心境にさせたのかもしれない。こんなにも、忘れにくく露骨に意図(覚えてちょ)を感じる名前が付けられた商品には、謎を解き明かす風味や食感があるに違いないと思い、今日も買ってきてしまった。この店から漂う雰囲気は、日本橋が本拠地の和菓子屋の厳格さではない。むしろ関西人の得意技の洒落気に思えるのである。かといって京都や大阪の老舗風とも違う。「天下鯛へい」、「木場の角乗り」に続き、今日は「柿乃木坂」を試してみたい。もちろん日本橋屋には、定番中の定番と言える、栗まんじゅう、どらやき、最中、羊羹、等もある。またもや、何か得られるものがなければ、次は最中を試してみたい。

  「柿の木坂」は、柿を裏ごししてゼリーに仕上げたお菓子と思ったが、口に運んでみると深みのある味わいの中に、今時の陽が落ちる田舎の風景を連想させ、本格的な柿の甘さと風味が溢れる。さらに喉元を過ぎるころには「おっと、懐かしい味!」と思い出したのである。この味は、まさに母の大好きだった「干し柿」の味である。母の実家は福山で、冬になると実家から送られてきて、母は大切に食べていた。この味は、福山・岡山あたりで採れる柿で、そこには干し柿に適した品種が豊富に採れたのではないだろうか・・・・という記憶と推理を無理やりたぐり寄せたのである。いやいや、そんな柿なんぞ、どこでも採れるし、干してしまえば同じような味がするだけなのだ。と自分をなだめていたのだが、それでも一寸気になって、柿のゼリーは喉に引っ掛かったままだった。

  それにしても、日本橋屋の社長は、一体どんな人で、どこの御出身なのだろうか、そう思って普通に「社長のお名前」を検索ボックスに入れて叩いてみると、・・・な、な、何と売上高280億円の「宗家 源 吉兆庵(そうけ みなもと きっちょうあん)の代表」であるとすぐにヒットした。それは、岡山県岡山市南区築港新町に本社を置く和菓子製造販売会社である。商号は「株式会社 源 吉兆庵」で、「四季の果物を使用した和菓子を主力」とする。うーむ、なるほど、そうだったのか。グループに鎌倉源吉兆庵、京都菓匠清閑院、奈良香寿軒、日本橋屋長兵衛などがあると記載されていた。1947年 に和菓子の製造販売をはじめられている。

  それにしても、たった、これだけの情報で、市場調査力と商品展開力、商品の名前の付け方にも納得、和菓子の風味や食感にも親しみを持ち、これらのフルーティーな和菓子が存在している背景がわかった。戴き物の「天下鯛へい」に始まった日本橋屋への探求心も、このあたりで「やっぱりな」と、落ち着きを取り戻そうとしている。日本橋屋という名前に、以前にも増して親しみを覚え、この柿乃木坂の美味しさを母の実家への哀愁を重ねるまでに至ったのである。やっぱり世の中はどこかで繋がり、広いようで狭いし、ちょっとだけ興味を持つことで、深みのある美味しさを楽しむことが出来た。それにしても、今日の柿乃木坂を食べてみるまでは、そこまで興味は持たなかったかもしれない。
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2011/11/18

珈琲ドリッパーFARO

   その説明からは、「 岬にそびえるFARO(=イタリア語で灯台)をイメージしたコーヒーメーカー。ペーパーフィルタを使わず、ステンレスフィルタで気軽においしいコーヒーを淹れて、重ねてすっきり収納可能。サーモカップは、二層構造なので保温性が高く、カップ表面に熱が伝わりにくい。2009年グッドデザイン賞受賞。」 という・・・ふむふむ、なるほどと感心しながら手にとって見る。直線的で、ちょっと工業的で無骨なデザインに見えるが、実物はなかなか使いやすそうな感じである。ただし、ステンレスフィルターなので、微細な珈琲粉末はカップに残留する。
 
 先日、珈琲ミルの紹介をした。今まで使ってきた珈琲ミルと、同じ商品を買って来て、「良く切れるように改良されたとか、ハンドルに力が入りやすくなったとか」、細かいことだけど嬉しかった。ほんの、わずかな改良とか工夫が、顧客の感性を刺激し、その商品の価値が高めることは多い。珈琲を淹れるためには、結構なプロセスがあって、珈琲豆の挽きかたに始まり、丁度よい色、濃さ、量、温度、薫、等を求めていくことになる。このような作業は、最終的な抽出量が少なければ少ないほど難しくなり、作業をするための道具の重要性が高まることになる。

  勿論、道具はあくまで機能が重要ではあるが、毎日テーブルトップで使う器は、優れた色やデザイン性も求められてきた。さらに、お湯や粉を使うものは、特に安定感が重要になる。「うーむ、なるほど」と無意識にそんなことを考えながら、この商品を眺めてテーブルの上に配置してみると、どこか珈琲ミルと共通する商品コンセプトを醸しだしているのである。それは、たとえ別の商品でも幾つかの機能を共有することで、連携して使えるよう設計されていることである。ある意味で商売上手でもあるのだが、さらにパーツ等も単品で入手できれば、商品の共有性が次のニーズを生むこともありうる。

 今日紹介する2つのFAROを揃えることで、使ってみるとよくわかるが、毎日を楽しくすることが出来る。基本的には、蓋つきのドリッパーとマグ、同じく蓋つきのドリッパーとポットなのだが、この蓋がマグ兼ポットの蓋になり、さらにドリッパーの受け皿代わりにもなり、便利に使い回しが出来る。2つそろえる理由としては、1つはステンレスのフィルターが1個目詰まり、あるいは洗浄時のバックアップとして、あるいは、珈琲専用と紅茶専用に分けるためとか、2つ目は、ポットとマグの2つがあると珈琲の量的な確保が容易にできる。そして3つ目が、蓋と受け皿1つ1つ利用する。だが、2組一緒に使うことで、もっと使い道がありそうな感じになってくる。
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2011/11/15

栃尾の油揚げ

    今頃の夕食のおかずは、やはり「魚の煮付けがいいな」と思うことが多い。丁度、道すがりに1軒で「仕出し屋、魚屋、惣菜屋」を兼ねたお店があって、そこでは、金目鯛やめばるの煮付けだとか、秋刀魚の塩焼き、ぶりの照り焼き等が店頭に並んでいる。大根やごぼうなども一緒に煮つけてあり、容器を覘くと厚焼卵も添えられていて、時折、魚屋の仕事とは一味違った嗜好を感じる。味付けも、いかにも仕出し屋職人風で技巧的な薄味仕上げになっていて大変美味しい。活きの良い魚もたくさんあるが、時々煮付けを買って帰る。店のおやじとも言葉を交わすようになって、暇そうな時には色々話を聞かせてもらう。

 店のおやじといっても、ひょっとしたら私よりお若いかもしれないので、「お店の彼」と呼ぶことにしたいが、彼が言うには、父親は「揚げ豆腐なんかを一緒に煮付けに入れてましてね、酒の肴に丁度いいらしいんですよ。そんな折には、ご飯は食べないでしょ。だから、あくまでも薄味仕立てでね、魚の出汁が引き立つように煮付けるんです。そんな親を見てきたから、店の煮付けは年寄り好みの薄味っていうところですね」。確かに、この煮付けでご飯を何杯も戴ける感じではない。むしろそのまま戴いて、後でお新香、しじみの赤だしとご飯を戴くのがいいと思っている。

 先々日も、行きつけのパスタ屋で「めばるの水煮が乗った」トマト味のパスタを戴いたけど、めばるがトマトやオリーブオイルとも相性がよく、「ああ、美味しいなあ」と半ば感動したばかりで、味付けに特別な工夫をしなくても、美味しい組合せは無限にありそうだと感じたばかりである。そんなこともあって、彼の話を聞いていると、徐々に自分でも創作してみたくなるもので、いつか材料をそろえたいと考えていた。まあ、金目鯛と、揚げ豆腐、大根、ごぼう等を一緒に煮付けて、鍋一つで料理する便利さもある。

  鱗を取り除いてもらった金目鯛を用意し、その切り身の下に昆布を敷き、アルカリイオン水を張り、砂糖、日本酒と醤油、ごぼう、椎茸、乾燥ホタテの貝柱、生姜と「栃尾の油揚げ」を使って煮付けてみた。この「栃尾の油揚げ」は、知る人ぞ知る油揚げで、どっぷりと出汁醤油に漬けるのではなく、一口サイズに裁断した後、下半分ぐらいに味がつくように鍋の中に配置する。味付けが濃いと素材の持つ美味しさが分かりにくいので、半分味付けして、半分は素材の美味しさを楽しむことにする。新潟の方では、「栃尾の油揚げ」を金目鯛と一緒に煮付けて食べる習慣はないかもしれないが、これは美味しいと思う。

 どのような食品でも、伝統的で有名な産地と言われるところには、それを生産するための環境が整っている事が多い。栃尾には、大豆と美味しい水があるに違いない。へー、そんなに美味しいかあ?と疑問を持たれるかもしれないのだが、確かに、現代人は油揚げの美味しさなるものを知らずに育ってしまうこともあって、分かりにくいかもしれないが、本来の美味しさは、風味であったり、菜種油の薫りであったりする。しかし、日本人として生まれてきたなら、どこかでDNAに「油揚げの美味しさを感じる配列」が書き込まれているので、歳を重ねれば美味しさが分かるようになる筈である。そこで、まず、最初にこの「栃尾の油揚げ」の美味しさを楽しむには、オーブンで表面をカリカリに焼いて、大根や生姜をすりおろし、特選の醤油(決め手になる)で戴いてみるとよい。
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2011/11/11

他ぬき最中

 小さな声で 「だまされて、くうてみい」 と懐かしい言葉で声を掛けられたような気がした。振り返ると「狸」が微笑みながら、こちらを伺っていた。「何処から来たんね」と近づいてみると、高知から国道33号を使って峠を越えて大街道を抜け、松山城に住む美人の「お袖狸」と、読み書きそろばんの得意な「金平狸」を連れて来たという。そ、そ、そういえば、近くにいる店員さんが次々とみんな狸に見えてきた。どうも、今日は小田急デパートで自分たちの作っている「他ぬき最中」のキャンペーン販売をするらしい。

 並べられた松山の民芸菓子を何気なく覗き込んでいると、隠神刑部(いぬがみきょうぶ)狸が立派な背広を着てわざわざ挨拶に寄ってくれた。彼は、今、伊予八百八狸を率いる狸の総大将をしているらしい。松山の狸のすることなら知らないことはないという。少し後づさり気味に距離感を保つと、「大昔に、私が毘沙門に居ったころお世話になりまして、50年近くなってやっと再会できましたね」と懐かしがりながら微笑んでいる。

 まるっきり記憶はないが、あまりにも丁寧な物腰に「毘沙門とは、どのあたりやったかのう」と笑いながら問いかけると「今の場所で申しますとロープウエイ街のあたりになります」という。その時、ふと大昔の記憶を断片的に組み合わせようとしている自分に気付いた。まさか、あの赤十字病院の前で、電車が蛇行して平和通りに出る傍に、母の知り合いが住んでいたが、あの辺りまでも含むのだろうか、何度も遊びに行ったので良く覚えている。そこには、確か私と同じぐらいの幼い息子さんがいた筈だ。

 松山は昔、親切な狸やいたずら好きの狸がたくさん住んでいたと言われている街で、人間と狸の伝説がたくさん残っている。「ああ、そうじゃったかいねー、去年も松山へ写真を撮りに行った時に、赤十字病院の近くまで歩いたんよね~、」と話題を現代に戻そうとすると、彼は相槌をうちながら、「知ってますよ、お城の上や鉄砲町で撮影してましたね、坂の上の雲はブームですから」と、話を見透かされ、徐々に目の前の菓子へ誘導されてゆく。「今は、母恵夢さんにお世話になっとります」と言いながら、「1つ召し上がってみてください」と、私の手に「他ぬき最中」を置いてくれた。私が小豆を好む事を承知しているようだ。

 その時は、蘇る記憶と彼が何故何でも知っているのか、その交錯した事実に怯え、口が渇き、せっかくの最中も、皮が口の中でくっついてしまった。口をパクパクしながら、「美味しいわ、うん、旨い」と連呼してその場を繕った。これ以上記憶を引きづり回されることを拒みたかったのだろう。「それでは折角だから、1箱もろうていくけえねぇ」と言って、5個入りを買って帰ってきた。何と500円でおつりがくる値段である。

 知らない相手から、大昔の話で問いかけられることほど奇妙な感覚はない。彼は果たして「一体誰」だったのだろうか。それにしても、なんでまた「切ない記憶」を引っ張り出そうとするのか。「四国松山の民芸菓子に振り回された1日だった・・・」と呟きながら、改めて1つ口に運ぶと、喉の奥から「だまされて、くうてみい」 と叫ぶ声が洞窟の響きのように聴こえた。こちらを向いて微笑んでいる狸の腹に、ふっくら炊いた小豆と、な、なんと「栗の餡」が入っていて、いや、栗の餡に小豆が入っている感じで、「とっても美味しい最中」である。俺って、まだ松山の狸にだまされたままなのかもしれない。
その「他ぬき最中」はこちら
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2011/11/08

追加したい後記



  もう少し時間を掛けて、じっくり試したら、納得できる内容になると思う。ブログで紹介した時点では、まだ購入して時間が経過していないために、概略あるいは直感で漠然と結論めいたことになってしまい、説明に舌足らずというか、自分なりの納得感に欠けることは確かにある。結果的に大きな違いにはならないと思うが、指摘を受けると、「うーむ」と腕を組んでしまう。そんなきっかけで、今日は4件の追加感想をまとめてみた。
 
  1)2月18日、「ダイエタリーファイバー」である。1日に=12gつまり付属のスプーン3杯で5000億個の乳酸菌(EC-12)を体内に取込むことが出来るという食品である。食物繊維も同時に7gも採れるそうだ。取寄せた商品は、乳製品と相性が良いと言われている血液型B型の体にいくらかマッチしているようで、飲めば、飲むほどに便通も良いし、免疫力も向上してきたようだった。思いのほか夏の検査値も良いことから、継続して飲み続けている。1日12g=1ヶ月360g=1瓶という計算になり、経済的負担はあるものの、若干それを上回る効果があると判断できる。ほんの少しづつなのだが、9ヶ月間で体重が72.7kg→70.4kg(体脂肪18%変化なし)まで下がってきたし、冬の定期検診も若干楽しみである。何だ!大して体重は減ってないじゃないかと思われるかもしれないが、このダイエタリーファイバーを飲むことで、結果的に食欲が増し、栄養の吸収も良くなるようだ。それが「体調を良くしている」という背景なので、納得はしている(・・・よくわからんが)。丁度、ウォーキングを始めると、余計にお腹がすいたり、ビールが美味しくなって飲みすぎてしまうのに似ている。ま、精神力が希薄な私でも、少しづつだが、継続することでそれなりの効果があると思えたのである。

 2)9月4日、バイオの力を生かした 「バイオ お風呂のカビきれい」という商品を紹介した。事実、何もしなくても、天井に貼っておくだけで「お風呂のカビが無くなった」ので、バイオの力って凄いなと思ったのである。その後、店頭では色々と他の「バイオの力」がラインナップされていたのだが、今回は、一緒に「バイオ トイレのキバミ・においに」という商品も買ってきた。写真で紹介した翌日から、トイレのタンクにセットしてみた。しばらくすると、セットしたこともすっかり忘れてしまっていたのだが、最近、なんだか臭いが無くなった事に気がついたのである。特にアンモニア系の臭いは皆無である。この間2ヶ月ぐらい経過しているが、その臭いがなくなったことがきっかけで、逆にトイレのタンクにセットしたことを思い出したという訳である。最初は、こんな凄い効果があるとは想像もしていなかった。と言うことで、「バイオ トイレのキバミ・においに」は、効果は2カ月ぐらいで発揮し始める。これは、効き始めると半ば感動的である。

 3)9月8日「グリコ栄養食品のうどん」を紹介した。宇高連絡船の思い出などを交えながら、さらに追加で10月7日「カレーうどん」も紹介した。そして、5日ほど前、さらに「名古屋風みそ煮込みうどんの素」が存在することを知ったのである。これは、希釈用の「みそつゆの素」で、250ccのお湯で薄め、うどん玉や好みの具材と一緒に煮込むためのものである。中味は、「鰹節といりこの出汁の入った八丁みそ40%入り出汁」ある。名古屋風の「みそ煮込みうどん」を作るには、この「出汁入りみそ」と「コシ鍋うどん」を組合わせて調理することになる。ねぎ、椎茸、さやえんどう、人参、鶏肉、かまぼこなどの具材と一緒に煮込むが、かといって、具材の種類が多すぎると味がぼけるので、ねぎと鶏肉と椎茸ぐらいでよい(私は鶏肉も入れない)。讃岐うどんで作る「みそ煮込みうどん」は、本場名古屋で食べるそれとは、全く違った食感と喉越しが味わえる。あくまで、名古屋風と書かれているのはそのためで、こんな「みそ煮込みうどん」があってもいい。

 4)10月9日「焼けて焼けて」を紹介した。秋口から冬にかけて、色々の食材を加熱して楽しめる。さて、やっぱり何と言ってもサツマイモが美味しかった。有名な鳴門金時を30分加熱し、15分ぐらい余熱を加えて取り出すと、市販の石焼きいもと遜色のない甘さが口の中に広がった。焼き芋には、直接火があたらない「石焼きこそ」美味しさが引き出せると言われている理由がここにある。あまり考えたこともなかったが、まず、このセラミックの石がとても重要な働きをしているようだ。理由は、比較的低温でゆっくり時間をかけて加熱することで、酵素の働きでデンプンが麦芽糖に変化し、甘さが増すらしい。同じことを普通の鍋に小石を入れても鍋は空炊き状態になり、鍋を痛めるばかりである。このような道具を使うことで、手軽に石焼き芋の甘さが楽しめるのである。最近は、ストーブの上で餅を焼くとか、シチューに火を通すとか、いもを焼くとか、そんな風景を見なくなったが、こうやって、美味しそうな薫りの漂う中で、じっくり時間を掛けて火が通る重要性を実感しながら食べる楽しみを復活したい。

2011/11/04

オーディオマニア20

  前回の「オーディオマニア」は低音再生の動機について触れた。いくら理屈や能書きを重ねても、その拡張された再生音に魅力を感じなければ意味がないが、それでも、出来上がった再生音に納得する要素は、理屈との兼ね合いで決定される。その理屈を構築するために、寸暇を惜しんで「考える→試作する→反省する→学ぶ」の繰り返しの作業をするわけだが、そうやって、突き詰めて物事を追求する動機が、趣味をより豊かにするに違いない。そのためには、時間もかかる。よく、趣味の充実度を図るバロメーターに時間という概念が用いられる。例えばオーディオ歴何年・・・といわれるのは、そのためかもしれない。

 斯く言う私も、だらだらと1970年代の過渡現象が尾を引いているにすぎないのだが、何か新しい「きっかけ」さえ掴めれば、もう少し能動的な時間に没頭できるかもしれない。しかし、40年経過したにもかかわらず、相も変わらず、雑誌や評論を筆頭に、かつての手法を髣髴とさせる「提灯持ち型の切り口」であったり、むしろ後退したと錯覚するような、重箱の隅を舐め回すような抽象的な表現であったりと、旗振り役が何も変わっていないことに、大脳は呆れてしまっている状況といえる。それもこれも、国内のメーカーが足を洗って堅気になってしまったからなのである。

 さて、前置きがズルズルと長くなったが、新たな話題に価値を見いだせない現状を踏まえて、やはり話題を過去へ遡るしかない。そこで、今回もEC-2に引き続き、その周囲に散在して、足場を埋め尽くしている製品を順に紹介しながら当時を振り返ってみたい。今日は、山葉(YAMAHA=旧日本楽器製造)の最も代表的なプリアンプC-2xである。山葉は、日本で最も趣味的な商品を生産している会社である。多少好き嫌いがあるにしても、YAMAHAのオーディオ装置が高く評価される由縁は、楽器を作っている会社という事実にある。つまり、レコードやCDの中に収められている音と、同じ音が社内に溢れているし、さらに、そこで楽器を作っている人たちは、その演奏者よりも音にうるさい人たちである。そのような山葉独自の土壌が、そつなく優れた音を生んできたと考えられる。

 我ながら、妙に納得感のある説明で、その通りだと反復することもあるのだが、時として、真逆に反論したくなることもある。それは、別の装置を聴いた後に時折押し寄せてくる。例えばCDに収録されているピアノがスタンウエインの筈なのにYAMAHAに聞こえしまう事があるからである。そういう気分になると、何を聞いてもYAMAHAの音に取り囲まれるような気がするのである。しかも、きっちりYAMAHAの音に再構成されているので、嫌味には感じないまでも、少々飽きてしまう時がある。それもこれも、構成するコンポーネントにYAMAHAの製品が多いという背景もあり、そうやすやすと逃れられそうもない。

 プリアンプに要求される機能は、元々レコードプレーヤとセットで考えられるべきもので、カートリッジ(MM)の微小な信号をパワーアンプへ供給できるレベルまで増幅する。途中レコード再生用のRIAAイコライザカーブを通し、ボリュームコントロールして出力する。基本は、これだけでよいが、その他の信号源の切替えや、トーンコントロール、ローカットフィルタ、録音出力切替えなども加えて、常にオーディオ装置の中心的役割を果たしている。また、一世代前のC-1等のプリアンプには、専用のピークレベルメーター等も装備されていたが、時代のニーズが徐々にシンプルで高精度、薄型に向かう中でC-2が生まれた。C-2は、C-2a、C-2xと継承し、自社開発部品の比率を増やしなががら精度を上げ、音を磨いてきた。その地味な改良に加えて、ピュアな音づくりと洗練されたデザインが評価されたと思われる。C-2xの発売は1987年なので比較的新しい製品といえる。
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補足:PDF写真は、トップパネルが汚れて写っている。20年以上も同じ場所で稼働させていたため、磨いても汚れが落ちない状況であった。

2011/11/01

EF28-70mmF2.8Lの白濁現象

  先日、写真撮影で頻繁に使用するEF28-70mmF2.8Lの構成レンズの一部が、70%ぐらい白濁してしまった。製造メーカーのサービスに出すと、「交換部品がないので修理できません」という定型の文章と共にそのまま帰ってきた。あたかも、「ああ、これね、これは直せないってことで処理」と言った感じである。受付の担当者は慣れた言葉遣いで、「そうですよね~、困りますよね~」と、明るい社交辞令が添えられた。いや、確かに16年前のレンズなので、邪険にする気分も分からなくもないが、もう少し何かその白濁の原因というか、「2週間程度の期間で、一挙に白濁現象が現れる理由」を知りたいと思ったのである。16年経過した窓ガラスが自然に白濁したのと同じ驚きである。

 インターネットの検索で「EF28-70mm  f2.8L 白濁」で検索してみると、「あらら」と呟くほど同じ現象が発生し、それを修理してもらった記録まで見つかった。この現象は、ガラスを張り合わせるバルサム(合成樹脂)が剥がれはじめたものらしい。あくまで「・・・らしい」ではあるが、それならキヤノンが昔発行していたレンズの技術本で読んだことがある。バルサムは、2枚のレンズを貼り合わせて1枚のレンズとして使うための、いわば接着剤である。数年前から多くのユーザーが同じ現象に悩まされていたようで、修理をお願いできそうな会社も簡単に見つけられた。ただ、問題は、私のレンズの現象もバルサムの剥がれかどうかである。

 早速、修理してもらえそうな「YCS大阪」という会社へメール出し、レンズ本体を送って調べてもらうことにした。しかし、その時考えたのが、このレンズが他の原因で修理出来なかった時の不安である。このレンズの後継モデルとして24-70mm f2.8L(220,000円)が出ており、焦点距離的には余りあるので、買い足してもよく、ある程度覚悟も決めておくことにした。2週間ほど経過した頃、やはり「中レンズのバルサム切れのため、外注レンズメーカーにてバルサム加工を行ないます」との連絡をもらった。しかも、手間のかかる分解修理なのに案外安価に(30,000円弱)修理してもらえることになった。修理できない事態になればなったで、それも周囲に大義名分も立つことから、なくなく・・・と、かすかな期待を寄せていたのだが、それでも、手持ちの他のレンズとの色調合わせや振幅変調度の統一感を考えると、やはり、今更機材で悩まず、まだまだ、そのまま手持ちレンズで継続したい。1週間後、丁寧に磨きあげられて戻ってきたレンズを見て、やはり、修理してもらえて良かったと実感している。 
 
 発売して16年後に突如現れた、奇怪なお騒がせ現象だが、最近はバルサムは使わず透明な接着剤に変わったので、このような現象は起こらないらしい。今日のPDFは、そのEF28-70mmf2.8Lのレンズ白濁時の撮影と、同じ被写体を70-200mmf2.8で撮影した写真を並べてみた。若干、焦点距離が異なっているかもしれないが、白濁現象はこのような感じである。この程度の白濁感だとまだコントラストの調整で修正できると思われるかもしれないが、時間とともに白濁は広がるし、もっと透明度が下がる筈である。同じEF28-70mmf2.8Lをお使いの方は、今後同じ現象が発生する可能性が高いので参考にしてほしい。少しでも黒が浮いた画像になった場合は、レンズをマウント側から覗いてみるとよい。はっきりと目視で確認できる。
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補足:PDF写真は、枠内に添付されているグレースケールの黒と、黒から2番目が区別できるように、ディスプレイのブライトを調整のこと。