小さな声で 「だまされて、くうてみい」 と懐かしい言葉で声を掛けられたような気がした。振り返ると「狸」が微笑みながら、こちらを伺っていた。「何処から来たんね」と近づいてみると、高知から国道33号を使って峠を越えて大街道を抜け、松山城に住む美人の「お袖狸」と、読み書きそろばんの得意な「金平狸」を連れて来たという。そ、そ、そういえば、近くにいる店員さんが次々とみんな狸に見えてきた。どうも、今日は小田急デパートで自分たちの作っている「他ぬき最中」のキャンペーン販売をするらしい。
並べられた松山の民芸菓子を何気なく覗き込んでいると、隠神刑部(いぬがみきょうぶ)狸が立派な背広を着てわざわざ挨拶に寄ってくれた。彼は、今、伊予八百八狸を率いる狸の総大将をしているらしい。松山の狸のすることなら知らないことはないという。少し後づさり気味に距離感を保つと、「大昔に、私が毘沙門に居ったころお世話になりまして、50年近くなってやっと再会できましたね」と懐かしがりながら微笑んでいる。
まるっきり記憶はないが、あまりにも丁寧な物腰に「毘沙門とは、どのあたりやったかのう」と笑いながら問いかけると「今の場所で申しますとロープウエイ街のあたりになります」という。その時、ふと大昔の記憶を断片的に組み合わせようとしている自分に気付いた。まさか、あの赤十字病院の前で、電車が蛇行して平和通りに出る傍に、母の知り合いが住んでいたが、あの辺りまでも含むのだろうか、何度も遊びに行ったので良く覚えている。そこには、確か私と同じぐらいの幼い息子さんがいた筈だ。
松山は昔、親切な狸やいたずら好きの狸がたくさん住んでいたと言われている街で、人間と狸の伝説がたくさん残っている。「ああ、そうじゃったかいねー、去年も松山へ写真を撮りに行った時に、赤十字病院の近くまで歩いたんよね~、」と話題を現代に戻そうとすると、彼は相槌をうちながら、「知ってますよ、お城の上や鉄砲町で撮影してましたね、坂の上の雲はブームですから」と、話を見透かされ、徐々に目の前の菓子へ誘導されてゆく。「今は、母恵夢さんにお世話になっとります」と言いながら、「1つ召し上がってみてください」と、私の手に「他ぬき最中」を置いてくれた。私が小豆を好む事を承知しているようだ。
その時は、蘇る記憶と彼が何故何でも知っているのか、その交錯した事実に怯え、口が渇き、せっかくの最中も、皮が口の中でくっついてしまった。口をパクパクしながら、「美味しいわ、うん、旨い」と連呼してその場を繕った。これ以上記憶を引きづり回されることを拒みたかったのだろう。「それでは折角だから、1箱もろうていくけえねぇ」と言って、5個入りを買って帰ってきた。何と500円でおつりがくる値段である。
知らない相手から、大昔の話で問いかけられることほど奇妙な感覚はない。彼は果たして「一体誰」だったのだろうか。それにしても、なんでまた「切ない記憶」を引っ張り出そうとするのか。「四国松山の民芸菓子に振り回された1日だった・・・」と呟きながら、改めて1つ口に運ぶと、喉の奥から「だまされて、くうてみい」 と叫ぶ声が洞窟の響きのように聴こえた。こちらを向いて微笑んでいる狸の腹に、ふっくら炊いた小豆と、な、なんと「栗の餡」が入っていて、いや、栗の餡に小豆が入っている感じで、「とっても美味しい最中」である。俺って、まだ松山の狸にだまされたままなのかもしれない。
その「他ぬき最中」はこちら
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