前回の「オーディオマニア」は低音再生の動機について触れた。いくら理屈や能書きを重ねても、その拡張された再生音に魅力を感じなければ意味がないが、それでも、出来上がった再生音に納得する要素は、理屈との兼ね合いで決定される。その理屈を構築するために、寸暇を惜しんで「考える→試作する→反省する→学ぶ」の繰り返しの作業をするわけだが、そうやって、突き詰めて物事を追求する動機が、趣味をより豊かにするに違いない。そのためには、時間もかかる。よく、趣味の充実度を図るバロメーターに時間という概念が用いられる。例えばオーディオ歴何年・・・といわれるのは、そのためかもしれない。
斯く言う私も、だらだらと1970年代の過渡現象が尾を引いているにすぎないのだが、何か新しい「きっかけ」さえ掴めれば、もう少し能動的な時間に没頭できるかもしれない。しかし、40年経過したにもかかわらず、相も変わらず、雑誌や評論を筆頭に、かつての手法を髣髴とさせる「提灯持ち型の切り口」であったり、むしろ後退したと錯覚するような、重箱の隅を舐め回すような抽象的な表現であったりと、旗振り役が何も変わっていないことに、大脳は呆れてしまっている状況といえる。それもこれも、国内のメーカーが足を洗って堅気になってしまったからなのである。
さて、前置きがズルズルと長くなったが、新たな話題に価値を見いだせない現状を踏まえて、やはり話題を過去へ遡るしかない。そこで、今回もEC-2に引き続き、その周囲に散在して、足場を埋め尽くしている製品を順に紹介しながら当時を振り返ってみたい。今日は、山葉(YAMAHA=旧日本楽器製造)の最も代表的なプリアンプC-2xである。山葉は、日本で最も趣味的な商品を生産している会社である。多少好き嫌いがあるにしても、YAMAHAのオーディオ装置が高く評価される由縁は、楽器を作っている会社という事実にある。つまり、レコードやCDの中に収められている音と、同じ音が社内に溢れているし、さらに、そこで楽器を作っている人たちは、その演奏者よりも音にうるさい人たちである。そのような山葉独自の土壌が、そつなく優れた音を生んできたと考えられる。
我ながら、妙に納得感のある説明で、その通りだと反復することもあるのだが、時として、真逆に反論したくなることもある。それは、別の装置を聴いた後に時折押し寄せてくる。例えばCDに収録されているピアノがスタンウエインの筈なのにYAMAHAに聞こえしまう事があるからである。そういう気分になると、何を聞いてもYAMAHAの音に取り囲まれるような気がするのである。しかも、きっちりYAMAHAの音に再構成されているので、嫌味には感じないまでも、少々飽きてしまう時がある。それもこれも、構成するコンポーネントにYAMAHAの製品が多いという背景もあり、そうやすやすと逃れられそうもない。
プリアンプに要求される機能は、元々レコードプレーヤとセットで考えられるべきもので、カートリッジ(MM)の微小な信号をパワーアンプへ供給できるレベルまで増幅する。途中レコード再生用のRIAAイコライザカーブを通し、ボリュームコントロールして出力する。基本は、これだけでよいが、その他の信号源の切替えや、トーンコントロール、ローカットフィルタ、録音出力切替えなども加えて、常にオーディオ装置の中心的役割を果たしている。また、一世代前のC-1等のプリアンプには、専用のピークレベルメーター等も装備されていたが、時代のニーズが徐々にシンプルで高精度、薄型に向かう中でC-2が生まれた。C-2は、C-2a、C-2xと継承し、自社開発部品の比率を増やしなががら精度を上げ、音を磨いてきた。その地味な改良に加えて、ピュアな音づくりと洗練されたデザインが評価されたと思われる。C-2xの発売は1987年なので比較的新しい製品といえる。
ではこちら
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211037&app=WordPdf
補足:PDF写真は、トップパネルが汚れて写っている。20年以上も同じ場所で稼働させていたため、磨いても汚れが落ちない状況であった。