いやー、どう考えても、10年やそこらで、そう簡単に和菓子屋なんか手広く展開できる筈はない。何か根拠と言うか、訳があるはずである。・・・その不思議に思う気持ちが、益々探偵の様な心境にさせたのかもしれない。こんなにも、忘れにくく露骨に意図(覚えてちょ)を感じる名前が付けられた商品には、謎を解き明かす風味や食感があるに違いないと思い、今日も買ってきてしまった。この店から漂う雰囲気は、日本橋が本拠地の和菓子屋の厳格さではない。むしろ関西人の得意技の洒落気に思えるのである。かといって京都や大阪の老舗風とも違う。「天下鯛へい」、「木場の角乗り」に続き、今日は「柿乃木坂」を試してみたい。もちろん日本橋屋には、定番中の定番と言える、栗まんじゅう、どらやき、最中、羊羹、等もある。またもや、何か得られるものがなければ、次は最中を試してみたい。
「柿の木坂」は、柿を裏ごししてゼリーに仕上げたお菓子と思ったが、口に運んでみると深みのある味わいの中に、今時の陽が落ちる田舎の風景を連想させ、本格的な柿の甘さと風味が溢れる。さらに喉元を過ぎるころには「おっと、懐かしい味!」と思い出したのである。この味は、まさに母の大好きだった「干し柿」の味である。母の実家は福山で、冬になると実家から送られてきて、母は大切に食べていた。この味は、福山・岡山あたりで採れる柿で、そこには干し柿に適した品種が豊富に採れたのではないだろうか・・・・という記憶と推理を無理やりたぐり寄せたのである。いやいや、そんな柿なんぞ、どこでも採れるし、干してしまえば同じような味がするだけなのだ。と自分をなだめていたのだが、それでも一寸気になって、柿のゼリーは喉に引っ掛かったままだった。
それにしても、日本橋屋の社長は、一体どんな人で、どこの御出身なのだろうか、そう思って普通に「社長のお名前」を検索ボックスに入れて叩いてみると、・・・な、な、何と売上高280億円の「宗家 源 吉兆庵(そうけ みなもと きっちょうあん)の代表」であるとすぐにヒットした。それは、岡山県岡山市南区築港新町に本社を置く和菓子製造販売会社である。商号は「株式会社 源 吉兆庵」で、「四季の果物を使用した和菓子を主力」とする。うーむ、なるほど、そうだったのか。グループに鎌倉源吉兆庵、京都菓匠清閑院、奈良香寿軒、日本橋屋長兵衛などがあると記載されていた。1947年 に和菓子の製造販売をはじめられている。
それにしても、たった、これだけの情報で、市場調査力と商品展開力、商品の名前の付け方にも納得、和菓子の風味や食感にも親しみを持ち、これらのフルーティーな和菓子が存在している背景がわかった。戴き物の「天下鯛へい」に始まった日本橋屋への探求心も、このあたりで「やっぱりな」と、落ち着きを取り戻そうとしている。日本橋屋という名前に、以前にも増して親しみを覚え、この柿乃木坂の美味しさを母の実家への哀愁を重ねるまでに至ったのである。やっぱり世の中はどこかで繋がり、広いようで狭いし、ちょっとだけ興味を持つことで、深みのある美味しさを楽しむことが出来た。それにしても、今日の柿乃木坂を食べてみるまでは、そこまで興味は持たなかったかもしれない。
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