スピーカは、オーディオの中でも最も趣味性が反映される装置である。楽器用とか舎内放送用等の特殊な用途を除いても、まれに劇場用の大型スピーカを家庭へ持ち込んでいる人もいるくらいで、それこそ趣味だから様々に楽しめるのである。映画鑑賞が主体ならば、厚みのある中低域と締りの良い重低音が再生できるシネマ用が欲しいかもしれないし、歌劇を中心に聞くのならアルティックのボイスオブシアターも悪くない。ライブに近いジャズを楽しみたいなら、音が前に飛び出してくるような、JBLのオリンパスやハークネス等が良い。スタジオモニターならウエストレイクか4343か、また、クラシックならタノイのオートグラフのように部屋のコーナーに置いて雄大に響かせたいと、思うに違いない。そういう装置には、使ったことのある人にしか分からない魅力があるらしい。今でもそんな残党が想いを巡らし、音量を下げて聴き入っているのである。
また、自作派という人達もいて、キャビネットの設計からウーファのエッジの張り替えまで、自分の手で行うという人も少なくない。再生する音を聞きながら、普通は手探りで、ダクトの調整やネットワークの定数を決めたりするので、かなりマニアックではあるが、遠回りしながらも電気音響や電気回路の勉強を余儀なくされる。これがまた次から次へと展開する楽しみになって、学生時代を振り返ったり、あるいは新たな情報収集を行う必要もあった。かつて、携帯電話やインターネットがなかった頃、土日などは秋葉原に出没するマニアが多かったのも、そのような理由からである。また、家を新築したり、改築するのを契機に、部屋をぶち抜くような巨大な低音ホーンを設置したりするケースも自作派の特権である。現在の自作派は、舶来で著名な中古ユニットを買い求めたりする、ある程度高級志向に限られているようだが、その分、自分の音的な好みを大切にしている。
おおよそ、スピーカーシステムは、帯域別に口径の異なる2~3ユニットで構成されていて、口径が小さく硬くて軽い振動板ほど高い周波数まで再生できる事になっている。一番高い周波数を担当するのが2~3cm程度の口径のユニット、人の声あたりは実口径で5~10cm程度、また、低音を出すには30cm以上の大口径ユニットが必要になる。一時期には、それらを各社個別に単体ユニットとして販売していた時期もあった。それを自分の好みで、メーカーを問わず自由に組み合わせて、システムを構成するという楽しみ方もあった。それには、帯域別にユニットの音を聞き分けたり(実際はできない)、ラジオ技術、無線と実験などの雑誌が発表したJIS箱装着時の無響室特性を参考にして、自分の志向でシステムを構成するというもので、今となっては、これにも限界とか無理な領域があるけれど、楽しむという点では、結構広い範囲で対象を把握できるという面白さもある。また、自分なりに「良いものを取り揃えるというコレクター的醍醐味もある」と言えそうだ。
ただ、いくら趣味でも、常に理想的な姿を追求できるとは限らず、何らかの制限を受けて現実に近づけざる負えないという工夫も必要になる。それがある時は、ユニットの入手容易性であったり、コストであったり、物理的大きさであったりする。私もそんな、一人であったわけだが、今日のテーマのきっかけは、1枚の古びた写真で、そこには、30年ぐらい前のオーディオ装置が亡霊のように写り込んでしまったのである。この写真は、たまたま翌日の取材の為にカメラにフイルムを装填し、ストロボを試し打ちした時のものだと思われるが、それにしても当時は、今と違いASWなんかない時代だったし、なんとか超低音を出そうとして苦労していたので、まず、そこをきっかけに話を振り返ってみたい。今日のPDFは別冊MOVEment誌風にまとめてみた。
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補足1:「口径が小さく硬くて軽い振動板ほど高い周波数まで再生できる」 口径が小さくは=音響エネルギーとしての拡散性を重視すると、口径を小さくせざる負えないが、エネルギー変換能力が下がる。
補足2:「低音を出すには30cm以上の大口径ユニットが必要になる」=大口径が有利なことは事実だが、低音再生が、スピーカの空気排除量で決まるとするならば、振動板の振幅が取れさえすれば、比較的小音量に限るが、小口径でも優れた低音が得られる。
補足3:パッシブラジエータ方式で著名なのは、JBLのランサー・シリーズだが、それには、同じウーファユニットを使い、磁気回路を外した振動板のみが使われた。それは、かなり小型のブックシェルフタイプのスピーカでも、量感のある低音再生を可能にしていた。バスレフ方式よりも低音の実体感があり、音像を把握しやすい傾向にある。
補足4:今日の様な話を出稿しても、面白くはないとは思うが、せっかく思い出したことを、将来訪れるであろう大脳の障害などによって、忘却してしまう前に書き残しておきたいと考えたからである。