2012/03/13

黄色の萬来軒

 今日、府中税務署から帰りの電車の中で、吊皮にぶら下がるようにして車窓をぼーっと眺めていたら、様々な想いがこみ上げてきた。そういえば、通信工学科の奴はどうしているんだろう、てっきり電電公社とか東芝、日立に就職するのかと思っていたら、ある日偶然、調布市役所にいたのを見つけてびっくりしたなあー。若い時は、あの長い髪の少女を追いかけて、小さなスナックへ入り浸っていたが、今は、いいおっさんになっているに違いないし、お孫さんもいるかもしれない、いや、頭もはげているかもしれないから、街中で遭ってもわからないだろう。
 
  準特急は調布駅の手前で徐行運転をして、ゆっくりと踏切を通り過ぎようとしていた。「あれ?、あの店いつ色を塗り替えたんだっけ」と少し戸惑っているうちに、電車は滑るように調布駅に入線してしまった。昔、「黄色いハンカチ」という映画があった。それを連想させる可憐な色が黄色なのである。まるで「戻ってきてよ」と呼びかけているような気がしたのである。そんな、黄色いガレージ風のお店には、ある記憶を呼び戻す材料がいくつか塗り込まれていたのである。ひょっとしたら、奴は、今でもあそこでラーメンを食べているかもしれない。そこにいなければ、調布会館で玉を打っているに違いない。今すぐにでも無性に覘いてみたくなった。・・・・いるはずもないのに、そう思えてしまう自分がいて、とめどもなく懐かしさが押し寄せて来たのである。

    おかみさんは、愛想よく出迎えてくれた。お品書きを遠目に眺めながら「ラーメン1つください」と声を掛けた。おかみさんは、すぐに調理場の方へ引込んでしまった。私は、周囲を見回しながら、少し大きめの声で、「いやー、もう40年くらい前になりますが、何度かお邪魔したことがあるんです。授業を抜けて、この先の調布会館でパチンコした後、よく寄せてもらいました」。おかみさんは、暖簾越しにちょこっと顔を覘かせながら、「そういう方が懐かしいとおっしゃってお見えになるんですよ~」と嬉しそうな口調だった。前掛けで手を拭きながら、「お茶にしますか、それともお水になさいますか?」と昔のままの姿に、すかさず「お茶でお願いします」と反応してしまった。そのお茶も今日の写真の中に写り込んでいる。写真は、一緒に残された僅かな昭和の空間も色濃く写してしまった。

  ラーメンの味は、殆ど変っていなかった。中央にはどーんと鳴門が渦を巻いているし、メンマがややピンク色だったのに、普通の桃屋色になってしまった。スープは、さっぱりした生姜入りである。こうやってこのお店は、コストに無理なく独自の工夫で味を保ってきたのである。ラーメンの入った器が違うことで、現在と40年前の記憶が交錯する。妙な感覚だが、安心感にも似た心地よさが伝わってくる。これが、老いて昔を懐かしがる脳内物質の実体なのかもしれないが、ひどく心が懐かしさで揺さぶられている。

  御主人は、もう70歳過ぎたのではないだろうか、「御主人は?と、心配そうに少し迷いながら問いかけてみると」、「はい、少し頭を患いまして、今リハビリ中です。そのかわり、息子が手伝ってくれています」。「そうだったんですか、早くお元気になられるといいですね」と話ながら、鴨居にかけてある調理師免許証を眺めていた。本籍地新潟県 村山健一 昭和14年12月14日生まれ、昭和33年に調理師免許を取得されている。おかみさんは東京のご出身で、同じく調理師免許を33年に取得されている。生年月日は1カ月違いらしい。当時は、空腹を満たすことで精いっぱいだったのに、今は、店の隅々まで懐かしさを探し求めている。

 「景気はどんな案配ですか?」「今は、やっぱりよくありません、でも、昔からの人が懐かしがって、皆さん寄ってくださいます。ここで同窓会のようなことをされたりすることもあるんですよ」、そうだ、彼もその一人に紛れ込んでいるかもしれない。ここに顔を出していれば、昔の奴に遭えるかもしれない。  ・・・ 「また寄せてもらいますから、いつまでも続けてくださいね」。
そこはこちら
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