2012/05/29

旧芝離宮恩賜庭園

  潮の干満を利用して、庭園の池の水位を変化させ、それによって庭全体の趣が刻々と変わり、同時に見どころも移り動いて行くように造園されていると聞くと、1度は入園して眺めてみたいと思うものである。いつも、この庭園の前を通ると、度々そう想いを馳せていた。モノレール、山の手線、、新幹線、そして地下には都営地下鉄大江戸線、JRの横須賀線、と所狭しと電車が走り抜けるこの場所で、敷地面積43,175㎡、池の広さ9,000㎡と、果たしてそんな巨大な空間が存在しているのだろうか、周囲はそびえるようなビル群が建ち並び、あちらこちらで都会の喧騒がビルの谷間に響き渡り、人々はせわしなく信号を行き交う街である。


   JR浜松町駅の北口で降りると、山手線のガード下に出る。その前の横断歩道を渡ると文化放送である。そうだ、入園する前に、NGUYEN(グエン)に行って腹ごしらえをしておこう。丁度11:30で空いているはずだ。予約なしだから、先着順の自由席に座る。今日は、ブイヤベースか仔牛のステーキらしい(上の写真)。ところで、すぐ思い出してしまう、この店の何処に魅力が秘められているのであろうか、もちろん、その丁寧な下拵えに手間を掛けた上品な料理もさることながら、食器そのものに感慨深いものがある。お皿の周囲では、何やら多くの人たちが楽しそうに祝い事をしている姿が描かれているのである。そんな姿を見ていると、つい、お皿に向かって何か言葉を掛けたくなるのである。そんな小世界を覘き込み、宮廷の優雅な暮らしに想いを馳せることができるのである。

  旧芝離宮恩賜庭園の入園料は、150円であった。がしかし、年間パスポートは600円である。恐らく、フジ、サクラ、サツキ等の咲き誇る「春」にはじまり、ハナショウブ、キキョウ、ハマユウの「夏」、ハナミズキ、モミジ、ケヤキ等の紅葉やヒガンバナ、ツワブキ等の楽しめる「秋」、そしてウメやスイセンの「冬」の四季を想定した価格なのであろう。でも、近所にお勤めなら、毎日昼休みなど200日近く通っても良いのである。園内に入ると、「うわ~!広い」と叫びたくなるような絶景に遭遇する。正面には、白い東京ガスのビルがそびえ建ち、池に影を落としながら迫ってくるような錯覚に襲われる。水辺には、鯉が物欲しそうに岸に沿って口をあけてうごめいている。なのに、近くには「鯉に餌を与えないように」と但し書きが目につく。

 池の周囲を散策し始めると、カメラ目線ではたくさん撮りどころがありそうで、もっとじっくり眺めたいと思う半面、次はどうなっているのだろうと期待をして、つい足早になる。そんな、秘めたる魅力を想像してしまうのだが、ビルの影だけならともかく、建物自体が水面に写り込んでしまい、芝浜と呼ばれていた歴史的な風情や眺望が無残に切り取られてしまっている場面も多い。池の周囲を1週するには30~40分程度かかるが、時折、一日中座り込んで眺めていたい場所もある。今日の様に一寸汗ばむ日でも、風の通る日陰は気持良さそうだ。

  さて、今日の写真だが、庭園内部の大山から入口の管理所の方へ向って撮影したもので、ちょうど品川から東京駅への方角になる。写っているのは、庭園全体の1/5程度でしかないが、古き庭園の雰囲気を覘かせる、どこか懐かしいポイントだと思う。追加で説明を加えるなら、フレームに写り込んだビルの名称になってしまうが、正面中央が汐留芝離宮ビル、正面左が文化放送のビルになる。
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補足:NGUYEN(グエン)の過去の紹介はこちら
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2012/05/25

Gerble ジェルブレ

   こういうビスケットは、生まれて初めての経験になった。現代人に不足しがちな食物繊維やビタミン、ミネラルを豊富に含んでいて、体内のバランスを維持するとか、快適な生活が出来るとか、そうやって健康とかダイエットとかの匂うフレーズを耳にすると、「そんなの、美味しいはずがない」と言う印象が強いものだが、これだけ種類が豊富だと、どれか美味しいものがあるに違いないと、ついパッケージの写真を見ながら、これはどうだ、あれはどうだと食べ漁ってしまった。ビスケットという手軽さから、そうやって、何種類か食べてみたのだが、それが、全て「何故か自然で素朴、食感は懐かしくて、すーっと口に入る美味しいもの」ばかりだったのである。

  さすが、フランスで1928年に生まれた栄養食品だけの事はありそうで、まさに「食文化の違い」を「見せつけられた想い」といえよう。我々のような古いタイプの日本人にとって、例えば朝食は、玉子かけご飯とか、納豆、海苔、焼き鮭、ワカメの味噌汁とかの定番を連想するわけだが、一方で今の若者はパンと珈琲、ハムエッグ、チーズ、サラダなどかもしれない。それに対して、フランスでは、小麦胚芽入りのパンであったり、鶏や鴨などの鳥肉、鹿、ウサギ、羊、フォアグラ、カエル、エスカルゴなどを連想してしまう。行きつこところまで行ってるという見方もできるが、やはり、そこに歴史的な食文化の合理性が息づいているような気がしてしまうのである。

  そういう視点からフランスの歴史的な食文化を捉えると、やはり「今の体の調子を見て、食事を選んで楽しむ」と言う感覚が強い様に思える。毎日同じものを漫然と食べている我々とは、少々気概が異なるようである。そういうことなのだろうか、中途半端にダイエットだとか健康食品と言うよりも、さらに細かく分類されて、記述によるとビタミンEやマグネシウムで生き生きと人生を楽しむとか、食物繊維をふんだんに含んで快適な生活を目指すとか、健やかな生活を継続するための栄養素を含むとか、どれも、さほど違いは無いようにも思えるのだが、幾つかの目的に合わせて「成分を大幅に調整してあるビスケット」らしいのである。こういう成分調整されることで、自ら意識して体に気を配り、毎日の健康を自分で作り上げていくのである。

  今回紹介するのは、この3種類の機能別シリーズのビスケットなのだが、どれも20枚入りで400円相当になっており、国産の類似品に対しても少し贅沢な印象を持ってしまう。しかし、それぞれのシリーズ別に設けられた栄養成分表の分類を見ると、目的にきっちりと合わせて成分に違いがあり、選択されるビスケットも明らかに異なっていて、その摂取栄養素に対する認識の高さに驚かされる。またダイエットに始まる健康志向は、ゆるい精神状況ではどうしても継続が難しいものである。しかし、その自分の意識と同じぐらい、徹底して周囲の環境が整備され、口にするあらゆるものの目的を浸透させることで、日常的行動に馴染んだ高いモチベーションが継続出来るのである。
ではこちら
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2012/05/22

醤油味のマルちゃん正麺


   ここまで来ると、もはやマルちゃん正麺の人気は鰻登りである。その鰻と言うと気になるのが、それまで、「もてなしに鰻を出していたお客に、マルちゃん正麺に変えた」という役所広司さんのCMである。この「かけ離れたすり替え」を一体どのようにすれば、お客は許せたのだろうか、いや、それだけではない、結果的にはマルちゃん正麺の方を喜んで受け入れ、そのために度々遊びに来るのである。半ば「大袈裟に宣伝文句として使ってみた」と言う裏事情もあるかもしれないが、果たして、「マルちやんの意図したところ」は、口先のジョークそれだけだったのだろうか。・・・とそればかり、耳に残っていたのである。

  もちろん、味噌味をしばらく休んで、醤油味を口にしながら考えてきた。醤油は、鰻のたれと共通する調味料だからである。何か、ここに隠されているものは無いのだろうか、スープの濃さを変えたり、別の物を加えてみたりと、食べる度に新たな企てを試してみた。つけ麺並みに濃い目にした時などは、昔、先輩に連れて行ってもらった神田神保町の醤油ラーメン専門店を思い出してしまった。麺とスープとチャシューだけしか入ってないラーメンだったのだが、その醤油の濃さに特徴があった。それは、江戸前の醤油通の延長線上にある「鹹さと旨味の織りなす美味しさ」だったのである。そこまで濃くなくても、当時は、この手の醤油味のお店が主流だったが、その頃が蘇ったような「マルちゃん醤油味」なのである。

  そうやって、あれやこれや考えて試してみたわけだが、鰻屋で注目すべき添加調味料といえば、秘伝のタレと山椒である。舌の先がびりびりするくらいに新鮮な山椒をたっぷりとかけるのが、「神田きくかわ」の鰻を美味しく戴くための、今なお残る歴史的流儀なのである。これは、かつて鰻が天然物しかなかった頃、川の泥臭さを紛らわすために、大量に使われていた経緯がある。その名残と知っているが故、気取った通のオヤジほどその様に振舞うのである。現在は全て養殖で泥臭さは全く無い。果たして、この山椒がマルちゃん正麺の醤油味に合うのであろうか。もし、この関東の醤油味を意識したスープ作りがなされていれば、間違いなく折り合うはずである。

  山椒は期待通り、胡椒とは「異なる薫と刺激」で、マルちゃん正麺醤油味の品格をさらなる高みへ押し上げ、格調高い味に仕上げてくれた。自慢げに我ながら美味しい。これなら、「かけ離れたすり替え」と邪険には出来ない筈である。それも、かなり近いすり替えで、その日の腹持ちの状態では、鰻よりさっぱりと戴けるかもしれない。美味しさは、あくまでも、その対価に比例するとは限らないことを証明出来たのである。そして、満足感を伴う後味には、鰻に近い薫が漂うのであった。うーむ、ほんまかぁ?今日のPDF写真では、麺の中央に「山椒の実の醤油漬け」を添えてみた。
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補足:近日マルちゃんは、同社の薄味ラーメンに良く合う「焼豚とメンマ」をセットした商品を用意している。一緒に使ってほしいようである。ただ、あくまで薄味向けであることを強調しておきたい。

2012/05/19

ねんりん家


   製造には、大変な手間と根気の必要なバームクーヘンだが、残念ながら、それほど美味しいと思ったことは無かった。その理由の1つが、口の中の水分が全て吸収されてしまうところにある。まず、この部分を何とかしないと、美味しいとかなんとか、それ以前の問題だと思っていたのである。だから、マーマレードとか、チョコレート、カスタード等を薄く挟み込んでほしいと思っていたのである。しかし、そんなケチばかり付ける私でも、この「ねんりん家」のバームクーヘンは、どれをとっても美味しいと思えたのは驚きであった。

  今時、集中して精魂使い果たすような菓子作りを、何年もかけて本場で学び、受け継ぎ、さらに何年も窯の前で試行錯誤を重ねてそれを改良し、バームクーヘン作りの伝承者に留まらず、もっと、もっと、身近で美味しいお菓子に仕上げたいと思う人がいたというのは、半ば感動的ではあるのだが、それも、これも、最後には多くの人から賞賛されて、商業ベースに乗せる事が出来たなんて、途方もないことだと思うのである。

  そういう菓子作りの姿勢とか、長年積み重ねてきた技術にこそ、「ねんりん」と言う言葉がふさわしいわけで、けっして同心円状の絵柄のみを象徴したネーミングではなさそうである。ねんりん家の代表商品は2つある。1つは、「ストレートバームやわらか芽」という名称で、小麦、卵、乳、大豆、オレンジを原材料としている、いわゆるバームクーヘンで、ふっくらしてカステラのような仕上がりである。もう1つは、「マウントバームしっかり芽」という名称で、小麦、卵、乳、大豆を原材料としている。表面に砂糖をまぶしたフランスパンの様に、カリッとしていて内部はやわらかい。いずれも、高い技術に裏打ちされ、徹底して拘った食感に、かつて無い美味しさが潜んでいたのである。

  今日紹介するのは、「ストレートバーム ショコラ&ココア」と、「マウントバームの桜の香り」版である。前者は、ココアを何層にも巻き込んだストレートバームの小型版にチョコレートをコーティングしてある。そのまま戴いても良いが、電子レンジで30秒ぐらい温めてみると、熱くとろけそうな食感で、薫も広がり益々美味しい状態になるのである。そしてもう1つの後者は、これもまた自然の様な桜の薫りが広がり、何とも言えない美味しいバームになっている。この2つは、まったくもって、口の肥えた「現代の若者にも美味しいと言わしめる味作り」がなされているように思える。

 さすがに、いずれも菓子職人の心意気を感じさせる逸品である。素材、技術、時間と、人生の大半をそのお菓子作りに費やし、懸命に菓子の美味しさを追求してきた重みさえ感じさせる。ここまで、洗練された商品に練り上げられていると、他の追従を許さない領域に達したバームクーヘンと言うことになる。恐らく多くの人が、ある時は 「シンプルで美味しい」 また、ある人は 「優しくて美味しい」 と様々に表現するかもしれないが、誰しも無条件で美味しさを認める商品になっていると思う。だからむしろ、もっと他の色々違った種類のお菓子を食べてみたい衝動に駆られる筈である。
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2012/05/15

JAZZ UNIT 「The Joyful Brass」咲蘭房でのライブ


  今年も JAZZ UNIT 「The Joyful Brass」が京王線柴崎駅前の「咲蘭房」でライブ演奏会を開催します。Joyful ファンのみならず、音にうるさいマニアの方にもお薦めできる「ワイドダイナミックレンジ仕様の演奏」ですので、多くの方々にご参加いただきますようお願い申し上げます。
 メンバーは、それぞれ歳を重ねるとともに音に磨きがかかり、各方面で活躍しておりますので、オリジナルメンバーが揃って演奏するチャンスも少なくなり気味です。今回は、マッキーこと牧原正洋さんが別の仕事でお休みになりますが、その代り、ジャズトランペット奏者で、 作曲家、 編曲家として活躍中の「羽毛田耕士」さんを迎えて、絶妙な金管のハーモニーを奏でます。ビッグバンドで鳴らしたバリバリのサウンドをお楽しみください。もちろん、毎週火曜日の「NHK歌謡コンサート」で活躍中の菊池成浩さんは登場します。テレビの小さなスピーカからでも菊池さんの音がわかるという「ビビッドなサウンド」に魅力を感じます。ビビッドと言えば、荒張正之さんのドラムもソリッドでシャープなサウンド。終盤での恒例のソロ演奏は圧巻です。そればかりではありません。テクニックなら家中 勉さん。彼のチューバは正確無比の演奏で曲のベースを支えています。専門家から「全国No.1チューバ奏者」と高い評価を得ています。テクニックと言えばもう一人、作曲、編曲も幅広くこなす橋本佳明さんのトロンボーンは、超絶技巧をほしいままにしています。リーダーの苅込博之さんとのトロンボーンでの緊迫感あふれる掛け合いも魅力の1つです。
  当日の詳細はPDFに記載されています。ご予約後はPDFを印刷されるなどして目立つ場所にお貼りください。
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補足1:羽毛田耕士→ジャズ・トランペット奏者、コンポーザー、アレンジャー
 山形県米沢市出身。米沢興譲館高校卒業後、東京大学に進学。東京大学管弦楽団・東京大学ジャズ研究会のトランペット奏者として活動。慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサエティにも参加。その頃からビッグバンドの作編曲を始める。大学在学中より都内ライヴハウスでジャズトランペット奏者として活動を開始する。
 これまで、奥田秀人&ブルースカイ、宮間利之&ニューハード、角田健一ビッグバンド等、日本の代表的なビッグバンドで演奏するだけでなく、2006年にはデューク・エリントン楽団の日本ツアーに参加する。現在、森寿男&ブルーコーツにレギュラー参加するほか、リーダービッグバンド「羽毛田耕士ビッグバンド」を率いて活動中。2007年から活動を始めた三宅裕司&ライト・ジョーク・ジャズ・オーケストラでは演奏の他、音楽監督、作編曲も担当。その他、ブルーコーツ、猪俣猛ジャズテット、東京ブラススタイル等、さまざまなバンドに作編曲作品を提供。
(アタカル・プランニングより抜粋)

補足2:咲蘭房をご存じない方は、こちらを参考にしてください。
http://archivetec.blogspot.com/2009/08/jazz.html

2012/05/12

ダニサ・バタークッキー

   昔ながらの著名なクッキーを紹介するのは初めてである。きっかけは何かと言うと、1箱が98円で売られていたからである。目を疑うほどの価格、あるいは偽物を疑う価格である。いや、いくら円高であろうとも、また、デフレが進んでいると言われても、あるいは、「持ってけ泥棒」と書いてあったとしても、せめて1箱売りなら125円ぐらいではないかと思うのである。その根拠として、この同じ商品が、その同じ駅ビルの2階の売店で250円で売られていたからである。誰も「おばちゃん!このクッキー1階の薬局で98円で売ってるよ」と声を掛けることもなく、いつものように時間は過ぎて、薬局では山の様な在庫をすぐに売り切ったようだ。それでも、2階の250円の在庫は、通りがけの中高年女子にぽつぽつと売れているらしい。

  輸入品をインターネットで販売している会社では、この程度の価格バリューがないとお客は振り向いてくれない。ただ、扱う量として、10箱まとめてとか、20箱入り大箱とか、単価の安いものは運送料などの関係もあり、下限が「店舗の仕入れ」と同様のボリュームになってしまうのである。さすがにそんな大量は欲しくない。ここでコンスーマにおけるインターネット販売の限界が見えてしまう。将来は、コンビニやインターネット、あるいはスーパーや量販店舗などが明確なセグメンテーションがなされるにしても、高齢化社会では、消費者が古い概念に沿ってきているので、何が気持ちを左右しているか明確ではないが、必ずしも価格だけでは片付けられない側面もあるようだ。

  だから、分かりやすいコストダウンに神経を使っているのかもしれないが、バリューとは何かを問い直す必要性は高い。そこに市場分析の、ニーズの変化であったり、トレンドであったりするわけで、こういう時期だからこそ、社内で揉まれて検討しつくされるべきである。やはり、商品の原価を触ったり、製造コストを下げるのは限界まで来ていて、仕組みの改革というか、つまり人件費でコスト削減するケースも少なくない。しかし、それらは品質低下を招きかねないし、いつまでたっても、その単純な値引きループから抜け出せないのである。ならば、常日頃からお客の話に耳を傾けて、価値観、コスト感覚を共有し、あるべき方向を素早く見出してイメージを明確にしたり、検証しながら具体化を進める必要があると思われる。

 瞬間風速的ではあるものの、もう落ち着いていると思っていた価格が、再びそげ落ちる怖さを目の当たりにして、少々興奮気味になってしまった。かつて常に警戒を怠らないように努めた、「競合他社の介入」の一端のような錯覚に襲われてしまったようだ。今の自分としては敏感になる必要は全くないのだが、習慣性が残っているのであろう。そういう反射にも似た感性と言うのは、体が勝手に反応してしまうので、良いことはない。・・・・と言う、背景にさらされながら、今、まさにそのバタークッキーを眺めて、知らず知らずのうちに口にしながら、そういう過去を思い出しているのであった。やはり有名なクッキーだけの事はあり98円だと、それまで以上に美味しく感じる。つい4箱も買ってしまった。
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2012/05/08

オーディオマニア26


      国内の放送用のモニター・スピーカというと、古くは三菱電機の2S-305 が有名で、ラジオ放送の調整室には、どこにでも置いてあった。また、レコーディング・スタジオで使われる モニター・スピーカ というと、JBL-4320/4331か、あるいは、その3ウエイ版の4333等が多かった記憶がある。モニター・スピーカは、音の専門筋が使うので、必ずしも我々が重視するところの性能が優れた製品が選択されているとは限らない。ただ、音を収録する場所で使われるために、何処の調整室でも、生々しい音がしているので勘違いすることも多い。また、現場で音を扱う人たちは、音量を上げてモニターするために、我々一般人に比べて難聴が進みやすい。そして、その悪循環は、ベテランになればなるほど顕著に現れ、巨大な音でモニターするようになる。したがって、大方のモニター・スピーカは、周波数特性やひずみ率より、はるかに耐入力や最大出力音圧が問題にされることが多いのである。

  一般的には、モニター・スピーカと言うと、無色透明でひずみが少なく、周波数特性もフラットでジャンルを問わず「良い音がする」というように考えられている。そういうイメージに近いのが、YAMAHAのNS-1000Mである(最後のMはモニターの略)。日本楽器製造㈱のような会社では、いたるところで統一的にリファレンスといえるスピーカが必要になる事が多い。楽器メーカーが作るスピーカだから、楽器演奏者も使えて忠実度の高い音を出さなくてはならない。そういう意味で、単にオーディオ好きの家電メーカーが作るスピーカとは違った責任があったわけである。このNS-1000Mは、発売後スウェーデンの国営放送でモニター・スピーカとして採用されるなど、にわかにモニター・スピーカとしての地位を確立していったのである。

    そのNS-1000Mは、その後何度も改良が加えられてきた。しかし、スコーカとトゥイータは、製造上の改良はあるにしても、振動板材料、実口径、磁気回路などは完成しており、進化は見当たらない。目に見えて改良されているのはウーファで、確かに、誰が鳴らしてもウーファの再生帯域から中高域への音的なつながりに課題を抱えていたことは明らかだったと思う。今となっては、そのくらいスコーカとトゥイータの出来が良かったのかもしれない。そこにあった課題とは、ウーファの振動板の材質の音速、密度ρ、弾性係数E、そしてE/ρに関する物理特性であったり、33cm と 8.8cm のウーファとスコーカの実口径比からくる指向性の繋がりによるものであったことは明白である。後に発売されたNS-2000では、カーボンファイバー(ベリリウムとの物性的な相性が良い)を使ったウーファに改良されている。

  そのスコーカとトゥイータの単品ユニット版が発売されたのを契機に、それらをそのままアルミサンドイッチ・コーンL-205と組み合わせることにしたのである。トゥイータは、NS-1000Mのそれに対して、高能率化の為に磁気回路には内磁型を組み合わせてあるJA-0572で、強力なアルニコマグネットによって一段と過渡特性が優れている。したがって、NS-1000Mのそれとは別物と言えるかもしれない。スコーカは、ほぼNS-1000Mのものと同じである。このベリリウム振動板の音速、密度ρ、弾性係数E、そしてE/ρなどの物性的な相性では、アルミなどの金属が優れているし、口径比と言う点では、20cm 径のウーファとの繋がりは良い筈である。
  
  ただ、どのスピーカ・ユニットもかなりの曲者で、上手く繋げるためには、幾つかの工夫が必要になる。そのために、実際に無響室での音圧周波数特性や、インピーダンス特性など、幾つかの実測データ収集とカットアンドトライ的な作業が必要になるのである。
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2012/05/04

落花生


   人間だけかと思っていたら、「外見で判断してはならない」ものがここにもあった。というより、その言葉は、落花生の為にあったのかもしれない。先日、スーパーで袋詰めの落花生が並んでいるのをみながら、チョッとだけ食べたいなと思った。殻を割って、中から実を取り出して、薄皮を取り除いて口に運ぶ。この手順に一種の懐かしさを感じ、ほんのわずかな時間かもしれないが、殻割に浸ってみたいと想像したのである。この時点では、まだ殻割作業が楽しみの中心にあったように思う。その皮を取り除いた実は、どんなものでも、殻に収まっている状態では同じだという印象を漠然と持っていた。もし違うとしたら、それを「柿の種」に混入させたりすることで、異なる味に仕上げるのだろうと勝手に考えていたのである。

 400gが1,400円程度する国産と、同じ400gで400円の中国産があり、国産は、殻の色もまばらで汚れたままの様であったが、中国産は殻が綺麗だった。どう見ても、安い中国産の方が丁寧に作業されていて美味しそうに思えたのである。「そうか、そんなに人件費や土地の広さに差があるのか、どうせ、全部食べることもなく途中で飽きてしまうのだし、あえて汚れた国産を買う必要は無い」と考えたのである。ということで、中国産を買って帰り、殻を割って実を食べてみると、広大で肥沃な大地で育った自然な感じのはずが、広大でも肥沃でもない土地で、自然と言うより野生で採れたかのような印象であった。不味くは無いが、こういう落花生もあるのか、「野生味があっていいかも」とまで考えたのである。

  そんな話をしていたら、先日土産に千葉ピーナッツを2種類買ってきてくれた。ナカテユタカ190gが680円、千葉半立400gが1,655円だったようだ。この千葉半立を口にして分かった。「ああ、全然違う、柿の種に入っているピーナッツより美味しい」と思ったのである。ピーナツが噛み砕かれる食感は、まるでマカデミアナッツより少し硬い感じで、歯が砕くときにきしむ感じがする。あと、味わい深い香ばしさ、これは特別美味しい品種なのではないかと思ったほどである。確かに千葉の落花生は、上記の2種類が主な品種で、それが全国シェアの70%を占めていると言われている。それでも、消費に対して生産量が減って来て、中国、南アフリカ、アメリカ等から輸入されているそうだ。

  落花生にはビタミンE、ビタミンB1,B2,ナイアシン、オレイン酸、リノール酸等が大量に含まれていて栄養のバランスが優れている。自然の大地が育んだものと言うこともあり、時たま落花生を無性に食べたくなることもある。ただ、1日10~20粒が適当とされていて、食べ過ぎには注意が必要である。
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2012/05/01

マーガレットサッチャー

   1つ1つの格調高いシーンに込められた過去への想いと、人が老いることの切なさを高いコントラストで表現してあり、映像は際立って美しい。冒頭から、こんな始まりとは思わなかったので、どのように受け止めたらよいのか戸惑っていた。ただ、しばらくすると眼から涙が溢れ、胸が締め付けられるような息苦しさが押し寄せてくる。痴呆という病気に蝕まれながらも、まだ「強い信念を持って生きようとする」ことが、果たして本人にとって幸せなのだろうか。この映像の中には、母と重なる「過ぎて来た長い孤独」が映し出され、一方で、自分がこれから「立ち向かう時間が再現されている」かのように思える。それまで十分時間はありそうなので、これから「終末への脚本」を書いておきたいと思う。

  老いたマーガレット・サッチャーは、クリニックで病状の検査を受けるシーンがある。その時、彼女は、人生のあり方というか、我々が日々の取り組み方として漠然と認識していることを、いとも簡単に言葉に直してドクターに訴えかける。やはり、それが彼女の歩んできた「フィロソフィー オブ ライフ」であったのだと思える。その言葉自体は、「何だそんなことか」と思う人も、「やっぱりそうか」、あるいは、「ああ、そういうことか」と様々な反応があるに違いないが、私にとって「そう、そう、そう、そう、そう、そう」と、そのシーンがとても誇りに思えて嬉しかった。明言には属さないかもしれないが、若い人達には、ぜひ覗いてみてほしいシーンの1つといえる。

  マーガレット・サッチャー役のメリル・ストリープはとても魅力的な人だった。まったくもってエレガントで気品があり美しい。サッチャー首相の事は、当時のテレビニュースでしか知らないが、こんなに「厳しくも優しい人」だったとは想像していなかった。映画では、どのシーンも実物のサッチャー首相より、やや「鋭さと強さ」が強調されているように見える。そして、メリル・ストリーブは、全てにおいて実物よりも、明らかにより美しく知的に塗り替えていると思う。これが英国の誇りの高さを反映しているかのようである。

 これほど自然に涙がこぼれたこともないし、明言に共感できるシーンが多く、間違いなくお薦めしたい映画である。配布資料は一切の転載を許していないので、専用のホームページの作品情報を参照されたい。ただ、ホームページでは、包括的な視点で映画の見どころを伝えていて、一般的なサクセスストーリと誤解されそうなので、観る前は何の先入観もない方がよい。様々に情報を集めるくらいなら、2度観た方が有意義だと思う。人によって見どころは様々に違い、感銘を受ける内容も違う、そして共感できるシーンも違う。それほど凝った内容で、心を揺さぶられる映像作りだし、細かい拘りにも配慮が行き届いている。当時のニュース映像もインサートされてリアリティーが増していて、できれば、1975年から1995年までの英国の歩みだけは整理しておくと、より分かりやすい。

  全体のシーンの切り替えのテンポも速いので、そういう意味で、ほぼ世界の同時期を見て来た60歳以上の人にとっては小気味良い映画なのだが、若い人には返って新鮮に映る部分があるかもしれないし、参考になることが多いかもしれない。未熟な人生観しか持ち合わせのなかった私には、今後、歳を重ねてあと2~3回は観たい。それほど、理解しきれていない部分があるかもしれない不安が残り、奥深さを感じる映画である。
http://ironlady.gaga.ne.jp/