2012/09/04

ディスカバリー6

  京王線とは、東京へ来てからずっとお世話になり、すでに41年が過ぎた。いつまでお世話になるか分からないが、今回は地下化に伴い、1つの区切りとして「国領→調布」間の地上を走る電車をいくつか撮影した。炎天下で線路の脇をポツポツと歩いていると、ふと「前にも歩いたことがある、写真も撮ったかもしれない」という妄想のような記憶が呼び戻されてきた。「こういう事ってあるんだよな、来たこともないところでも、前に一度来た事があるような錯覚、前世の記憶なのか・・・・あー、やだやだ。頭が熱暴走しているのか」。いや、それとは少し違うようだ。ただ、歩いたのはいつ頃だったか、あるいは場所はどこだったかはっきりしない。もしそれが過去の事実なら、フイルムが残っているはずだが、「うーむ」と首を傾げてしまった。

 日に日に、記憶の曖昧さでフィルムが残っているという自信を希薄にしていくが、あるとしたら、どうしてもこのブログに1ページとして加えておきたいのである。とりあえず、地下化切換工事の写真をアップした後なので、ゆっくり探すことにしたのだが、見当がつかない。探すついでに、関係のないビデオやオーディオ関連のフイルムばかり出てきてしまった。それらは、いずれ「このディスカバリー」で紹介していきたいが、あの、昔撮影したと思っている京王線の写真は、妄想だったかもしれない。本当に撮影していたのだろうか、だったら何故見付からないのだろうか?。そうやって、探すきっかけと言うか、何の手掛かりもないことが不安だったのである。

 そんなある日、つつじヶ丘で各駅停車に乗り換えようと車両の最後部で降りた。向かい側のそこには、各停がホームいっぱいに停車していたのである。ホームが細くなって互いの車両の距離が2m弱ぐらいまで接近しているのを眺めながら、将来は車両の編成がもっと増えるのではないかと余計な心配をしたのである。その瞬間、昔の「大型7両編成で電車が来ます」というアナウンスを思い出した。現在はステンレスカーの10両(一部8両)で運行されているが、当時は大型7両は画期的で、京王線自慢の車両だったのである。あの時は、あちこちでホームの延長工事をしていた。そのことが記憶の引き金になったのか、霧が晴れるように記憶がはっきりしてきた。当時の大型7両編成は確かに車体が大きかった。その編成の特急も急行も快速も国領駅には停車しないが、国領の駅を出たところで急激に右カーブをするため、その手前で必ずスピードを落とす。そうだ、その同じ手前で写真を撮ったのだ。

 今でこそ、速いスピードで近づいてくる被写体を撮影するのは、カメラの動体予測モードを使う事が出来る。しかし、当時はそのような機能のカメラはなかった。ただ、単に露出計がついているだけだった。だから、車両がスピードを落とす場所こそが、最適な撮影ポイントになったわけである。仕事ではフイルムをF、SSまたはエクタクロームを使っていたが、個人的な撮影には全てコダクローム64で、もし残っているとしたら家族を撮影したフィルムの後ろにあるかもしれない。そんな可能性が出て来た。まさかとは思ったが、丹念にフイルムを調べると、どれもフイルムの最後部に、調布市内の風景や畑、等にまぎれて京王線の電車が数点写っていたのだ。家族の写真と一緒に残っているなんて想像もしていなかったが、やっぱり撮影していた。
こちらが残っていたその1枚。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211187&app=WordPdf

補足:コダクローム64=コダックのスライドフィルムの1種。フイルム感度=ASA64。
現像は、約一週間かかったが、このフイルムは、映画などにも使われるため、長期保存に適していると思い、あえて家族の写真は全てこれを使って撮影していた。