2012/10/12

続 天下鯛へい

 秋は、歌会や俳句、あるいは短歌など、自らを表現する文芸や文化と関わり合いが深い季節である。暑さから解放された安堵感によって、感性がすこしづつ湧きあがり、一種の言語手法を通して想いを巧妙に表現してみたくなるのである。俳句や短歌は、季節の移り変わりの美しさを言葉として表現することが多いが、そのイマジネーションをさらに際立たせるために、それを背後で操っているのが季節を感じさせる和菓子なのである。つまり、自然の風景の変化や、漂う冷たい空気感のみならず、喉越しから得られる幸福感も、それには重要な役割を果たしているのである。

 喉越しから伝わってくる季節の薫りは、時折、古くて遠い記憶を呼び起こすことがある。年配の人たちが、毎年季節の変化を感じさせる果物やお菓子を好んだり、それに同世代の人たちと会話を通して協調性や共感を求めるのは、そういった、かつての古い記憶と自己の抱えた感性や感受性を再認識し、一種の安心感や歳を重ねた充実感に浸ろうとする行為そのものである。そこに、季節の美味しいものが重なって、ついつい感動を呼び起こす源泉になっているのではないだろうか。逆に、年中、同世代に共感を求める年配者も多い。ま、それは季節とは関係なく、一種の老化にほかならない。

 人は徐々に歳を重ねて、季節を感じさせる僅かな趣向でも感動できる感性が備わり、その心地よさが少しづつ分かってくるらしい。特に秋は、周囲にあるものは何でも美味しく見えたりするし、事実美味しい季節だが、私のように、何か取り違いをして、食卓を前にして「秋こそビーフカツだとか、アウトレイジ ビヨンドだ」とか馬鹿な事を言っているようだと、いつまでたっても大人になりきれないと思うのである。一方で、仕事か何かに没頭し、忙しなく日々が過ぎてしまったりすると、いつのまにか季節の移り変わりさえも見逃してしまったという、何か美味しい物を食べ忘れて損をしたような気になることもある。やはり、日本人の季節感には、食欲に通じた強い欲求があるに違いない。え、俺だけ?

 今日は、日本橋屋の和菓子「天下鯛へい」を再び登場させるが、同社の商品は今回で4度目になる。意外にも「柿乃木坂」が人気があるようだが、今頃は季節感のある「天下鯛へい栗餡仕様」が販売されているようで、これを手土産で頂戴したのである。戴き物で恐縮だが、私も栗系は大好物で、一度に沢山はいただけないが、何気なく季節感を感じるお菓子なので、やはり嬉しい。お味の方は、普通の「こし餡の天下鯛へい」と比べると、栗餡の方が塩分が控え目で上品な甘みに仕上げてあり、やはり、今頃はとても美味しく感じられる。
ではこちら
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