毎年毎年、年末年始をせわしなく過ごす人は多いはずだ。確かに、田舎へ帰省していた若かりし頃は、切羽詰まった仕事を年内に片付けなければならないとか、往復の切符の手配やら、親戚縁者へのお土産げやら、体だけ動かすってわけにもいかず、色々面倒で仕方なかった。しかし、今は、その様な時期があったことを懐かしく思い出す。帰省しても、もう、父もいないし、正月料理を作ってくれる母もいない。幾つになっても、人は親元へ帰る気持ちだけは残っているのだろう。確かに、墓参りもしなければならないし・・・、今時、新幹線をみるだけでそんな気持ちが蘇ってくる。
またまた、「何か食べたいものがあれば送るけど、でも今日、牡蠣が行くよ!」って、一昨日大量の牡蠣が送られてきた。我が家は満席でも2名なので、そんなに一度に大量は食べられない。だから牡蠣飯にして、コツコツ食べることにした。そういえば、わざわざ牡蠣の美味しい2月頃にも帰省して、腹が割れるほど食べた記憶もある。そうやって、新年を迎えた実感を得ていたのかもしれない。「何か食べたいもの?・・・」 うーむ、と思い出したのが、幼い頃(半世紀ほど前)、母の実家でよく食べた雑煮である。広島県の福山の方では、お雑煮の上に「ブリの照焼き」をのせる習慣がある。「とりたててそんな食べ方をする必要はない」と思われるかもしれないが、ブリの旨みが徐々に雑煮の出汁に溶け出し、雑煮が美味しくなるのである。
それだけの事なので、どうのこうのと屁理屈をこねまわすつもりもないが、ブリの照焼きを作るには、一般的に七輪を使う。炭の赤外線を使ってブリの内部まで火を通し脂を落とす。しかし、ブリから出た脂が燃え、大量の煙が台所に充満して往生する。一方のフライパンで作るには、ブリから出る脂を丁寧にペーパータオルなどで取り除きながら作業を進めていく必要がある。まず、最初は、強い火力で焦げ目を付けて焼く。気をつけながらひっくり返す。次に、火力を小さくして内部にじっくり火を通し、常に脂を取り除く。その時、タレには浸し煮つめて濃くなるようフライパンに放置するだけでもよい。火から降ろして温度が下がるときにタレが浸透する。火力をしばしば適正に管理することで脂の少ない仕上がりが可能になる。
お餅は、杵つきの滑らかな舌触りが得られ、コシと粘りが昔ながらの「南魚沼産のこがねもち」を用意した。出汁は、先週紹介した「ほめられ香りだし」に日本酒と創味のつゆを加えた。後は彩りに蒲鉾、人参、椎茸、ほうれん草などを載せただけである。手前味噌になるが、材料もそこそこなので美味しい。手前味噌で思い出したが、鳥取で味噌ベースの松葉ガニにもちを入れた雑煮があった。それもなかなか美味しいので、簡単に渡り蟹で代用してみたい。これも、蟹の表面をよく荒い、一度沸騰したお湯を通して、くさみを十分洗い流してから使うのがポイントで、蟹の味が強すぎると返って美味しくない。雑煮の下に敷く円形の大根も一緒に火を通したい。こちらも簡単な割には美味しいのでお勧めできる。
ついでに、箸やすめに「かぶの漬けもの」でも用意したい。さて、それぞれの食材は手近な物で、作り方も気まま勝手にやっているので、もはや昔に食べたものとは違うが、何故か「やった」と想う満足感がひとしおで、気分的に嬉しい一杯になった。
今日のPDFは、初詣へ行くまでの間の雰囲気作りに、深大寺の元三大師堂の正面を選んでみた。
ではこちら
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