2013/03/29

時代を追う 1

  今、日本の防衛に不安を感じる年配が増えている。そういう人達の不安は、意外にも当たっているかもしれない。中国の軍備拡張に伴う他国への侵略に対して、米国がどのように関与するかによっても評価は変わるが、米国は中東での苦い経験から、恐らく自国の犠牲者を出さない範囲に限定し、かつ火気投入は日本の費用負担に基づく事を限度とするであろう。その費用負担は、おそらく日本経済に大きく圧し掛かるはずだ。決して枕を高くして寝ていられる状況ではない。そして長引く有事は見捨てられ、いずれ孤立する。戦後68年も経過して、今、安全保障の枠組みが大きく様変わりしようとしているのである。中国は、今、核弾頭を4,000発という世界を震撼させるだけの膨大な数を配備している。北朝鮮の核に対する脅威とは、まるで桁違いの状況なのである。そして、周辺諸国へは金銭をちらつかせる外交も怠らない。もちろん、北朝鮮と韓国は中国の出先機関と化している。すべて背後で中国が糸を引いていると考えて差し支えない。いずれ沖縄県も中国の自治区になると呟く年配は多い。

  四川の大地震は、中国の地下核実験によるものという信憑性の高い報告もある。4,000発もの核弾頭は、米国を初めとする先進国に向けられており、日本も例外ではない。これは、一種の脅しの材料である。そんな中国は、裏で米国へふしだらに関係を迫っているが、米国もあからさまに嫌な顔をしにくいのである。その様な材料を背景に、米国は日本へ遠まわしにTPP参加を迫ったと推察されるのである。勿論、他にも合理的な理由をつけていたのだろう。米国の日焼けした男は、安倍総理を当初甘く見ていたに違いない。安全保障をちらつかせて少し脅せば、昔のように日本は「現金自動支払機」になり下がると考えていた筈だ。しかし、安倍総理はTPP参加についてTPP以外での多くの条件を突きつけた気配があり、これが、世界を巻き込んだ経済競争に繋がる可能性があると思われる。記者会見での日焼けした男の顔は、不愉快そのものであった。しかし、安倍総理の「強固な信頼関係を取り戻そう」という口先外交は、中国の米国に対する「靴を履いてみよう作戦」の前には、結構もろい様相を呈していたのである。

  さて、話は戻って、年配者は自衛隊の戦力分析にも時間を費やしている。海上自衛隊はイージス艦を初めとし世界第二位の戦力を持ち、隊員は世界一の船乗りで構成されている。海の中から睨みを効かすのが潜水艦。こちらは、現在世界一の探索能力を誇り、また探知されにくい建造技術を誇る。呉出身の私が言うのだから間違いは無いと先輩を説得する。原子力潜水艦は熱を出すので探知されやすい。この海上自衛隊には、中国をはじめアジア諸国は全く刃が立たないのである。しかし、不安なのが、航空自衛隊である。次世代ステルス戦闘機F35の導入は随分先なので、相変わらず35年前のF15Jと、13年前のF2が主力となっている。おまけに、ベトナム戦争で活躍したF4ファントムまでも今だ現役と、やや博物館の様相を呈している。そこに、沖縄にいる米軍のF22Aステルス戦闘機がそれを補う形になるという。因みに、2006年の模擬演習では、F22A 1機で144機のF15を撃墜し圧勝したことが報告されている。驚愕の破壊力ではあるが、レーダーに写らないF22Aへは攻撃する術が無いし、どこからミサイルが飛んでくるか分からなければ逃げ場もない、と言うのがステルスの理屈である。しかし、あくまでもF22Aは米軍の戦闘機である。自力で国を護る為には、いくら優れたパイロットでも探索能力の足りない無防備でおまけに火力不足のF15J、F2では、心もとないし、彼等自身の命を護ることすらままならないのである。

  そこで何とかF15とF2をアップグレードしなければならない。既に電子機器などは改良が加えられてきてはいるものの、これから必要とされるのが「赤外線探索追尾装置(IRST)」とされている。これは、既にユーロファイターEF2000、ミグ29/スホーイ27に実装されており、近距離での空中戦に有効に機能するという。アラスカで行われた模擬戦では、50Kmの近距離で、ユーロファイターのIRSTは発熱の大きいF22Aを素早く発見してしまい、ここではEF2000が圧勝したそうである。もちろん遠距離ではF22Aが有利とされるが、現時点での実戦では、はるかに近距離での空中戦が多いようだ。そのIRST技術は、既に国産で開発・実証済みで、予算次第でF15に実装・配備できるらしい。そして、その次に有効性が高いとされるのは、相手のレーダーから出る電波を主翼端のアンテナと垂直尾翼のアンテナで受け、三次元で相手の位置を算出するという「高精度方探システム(ESM)」である。この開発には、F2を使って既に昨年中に実証済である。いずれも、全機に搭載されるべき装置だが、予算が回らないようだ。しかし、研究は次々と続けられている。国産ステルス実証機(開発中)に搭載予定の「先進統合センサ・システム」の研究を141億円の予算を投入し、3年先までの完成を目指している。

  これらの背景にあるものは、F22Aのダウングレード版であるF35Aでは、戦力として心もとないと判断されているからに他ならない。航空自衛隊のパイロットは世界的にも優秀と評価は高く、同じ戦闘機で戦えば負ける事は無いが、しかし、戦闘機の不備による機能や性能までもカバーできるものではない。それにしても、命にかかわる装置は、早く必要な予算をつけて万全を期してもらいたいものだ。そんな話から、今日はF15Jイーグルの模型を用意した。これには、IRSTもESMも搭載されていないタイプ。
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補足1:ここで言う年配者は、78~82歳ぐらい。大東亜戦争当時6~10歳ぐらいの人。彼等にとって、米国も中国も同じ敵国なのである。
補足2:「靴を履いてみよう作戦」とは=靴は履いてみないと分からないと言う屁理屈。何処へ行っても外交の場で話される。中国と共存共栄してみましょうよ、きっといいことありますよと言う例え。日焼けした男もなるほどと思ったらしく、自分も他の国で使ったようだ。


  

2013/03/26

春の餅

  切り通しへ写真を撮りに行って、もちろん他にも色々散策しながら歩き回ったのだが、途中からやっぱり、目の周りのかゆみや、突如襲われるくしゃみに往生した。そのお陰で大きく体力を奪われてしまい、風邪をひいたような症状に見舞われた。なぜ年々症状が悪化するのか疑って考えてみるに、様々に悪い方へ想像が巡っていく。その中でも、毎年福島原発が放出した放射能がスギ花粉に混じって関東を襲うとも報道されてきた。そのせいかもしれない。うーっ、それでも、今だに放射能を放出し続けている4号機は、これからどうするのか不安に思っている人も少なくないはずだ。もう、風の強い日には、外で活動することを控えるべきだろう。広島大学の知り合いの放射線科のドクターに言わせると、いかに低放射線でも自然界に存在しないレベルで継続して浴びることがよくないらしい。「癌になるよ」と言われた。

  今日は、朝から少し雲行きも怪しく、路が湿っているので、新宿で何か季節物でも買ってそれで春を満喫したいと思う。以前に、ぜんざいを買って「豆の薫りと美味しさ」にふるさとを思い出した「たねや」に寄ってみることにしたのである。この季節、やはり人気の商品は、どう考えても「草もち」と「さくら餅」のようで、注文している声もそればかりであった。草もちは、たねやの永源寺農園で育ったよもぎを搗きこんだ餅のこと。よもぎ餅が粒餡を包んであり、上部には焼を入れて芳ばしさをかもし出している。このあたりが何ともいえない一種独特の美味しさを演出しているのである。一方のさくら餅は、白餡を薄紅色に染め、道明寺で包み、桜の花を添え、塩漬けしてあったさくらの葉で周囲を覆ってある。まったく手が込んで繊細な仕事を眺める事ができる。販売期間は、いずれも4月初旬まで。今の季節の和菓子ゆえ、スギ花粉が飛び回る今時とは、少し趣の違った「懐かしい春の薫り」に包まれる。そんな、ひと時を過ごせるはずである。

  和菓子とか餅に無縁な人に、僭越ながら文面を補足をすると、「たねやの永源寺農園」→滋賀県東近江市山上町にある自社農園のことである。よもぎを搗きこんだ餅→「よもぎ」は菊科の植物で春先に新しい芽が出る。薫りがよく「心を癒す効果」もあると言われている薬草の一種。その芽を野原や公園で摘んで来て、お湯で茹でて細かく刻んでおく。一方、上新粉(→うるち米を精白し、粉砕したのち乾燥したもの。)にお水を加えて、よく練り合わせ15分程度蒸仕上げる。それに刻んだよもぎを加えてさらに練り上げる。この作業は、大量だと機械で行われるが、少量なら手作業でも可能。それで、餡子を包んである。その「よもぎ」は、幼い頃祖母と一緒に近所の二河公園で摘んだのを覚えている。確かに、自家製の方が出来上がってから早く口に入るので、よもぎは薫り高く優れていたと思う。しかし、たねやの商品は、上部には焼を入れてあるので、自家製に比べて少しよもぎの芳ばしさが漂う。

  さくら餅には、道明寺餅(関西風)と長命寺餅(関東風)の2種類がある。したがって、たねやとしては、区別する為に「道明寺」で包むという表現になるようだ。道明寺は武将の携帯食を作っていたことで、糒(ほしいい)の事すなわち「道明寺」と呼ぶようになったらしい。そして、もち米を細かく砕いた物まで「道明寺製」のことを「道明寺」と言うようだ。何か職人(プロフェッショナル)的な言い訳を用意したと思われるかもしれないが、関西人にとって、伝統的で結構重要な懐かしい美味しさに繋がるのである。もちろん、器用なおばあちゃんのいるお宅では、もち米を少し硬めに炊いた物で代用して、簡単にさくら餅を作られるかもしれないが、残念ながら私としては、和菓子屋で買ってくるものという楽しみしか想い出は残っていない。そこで、昔から1つ気になっている事があって、癇性病みと思われるかもしれないが、さくら餅の周囲を取り囲むさくらの塩漬けの葉は、どうしても食べなければならないのだろうか。そこで、調べてみた。本来はその独特の薫りを楽しむらしい。ほんの僅かに毒性があり、食べすぎはやはりよくないそうだ。
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2013/03/22

切り通しの用水路

  京王線が地下化してから、地上の風景も徐々に変化して、もう昔の線路のある風景など思い出せない気分である。あれほど撮ってきたのに、もっと写真を撮っておけばよかったと後悔してしまいそうだ。振り返ると、昔フイルムで撮った写真は、今や自分にとって掛替えのない、とても大切なものになってしまった。時たま、上京した42年前を思い起こすことがある。当時と比べては、確かに風景は綺麗になってきたけれど、大切な自然や畑が減っていくし、記憶を封鎖されるような気分が漂ってしまい少々寂しい。年齢とともに、そういう価値観に変化していくのであろうか、もう少し早くから写真を撮っておけばよかったと切実に思うのである。時折、写真を撮っている年配の人を見かけると、自慢そうに昔の様子を説明してくれることがある。その姿を見て「分かるな」と思うのである。

  特に、昔は川だったところに上から蓋をして、遊歩道にしてあったりするのを見ると、中はどうなってしまったんだろうかと不思議に思うことがある。実は、幼い頃の話になるが、実家の前にも、道路を隔てて幅2m、深さ3m程度の川があって、その向こう側が小学校の壁だった。その壁の前に立つと覗ける高さであった。もちろん、その小学校に通っていて、冗談で「始業のチャイムが鳴り始めてから、走っても間に合う距離だね」とよくからかわれた。そんな時、川がなければねと言い返したのを覚えている。そこはちょうど「切り通し」のような格好をした川で、子供の頃だから川は大きく見えた。もちろん、怖くて飛び越えるなんて事は出来なかった。それが知らないうちにコンクリートで蓋がされ、歩道になってしまった。小学校の壁も、その上にフェンスが張られた。何か、「臭い物には蓋をする」ではないが、綺麗な水が流れていた頃を忘れてしまった。

   そんな懐かしさもあって、何年も前から、ここの「切り通し」を撮っておきたいと考えていた。「切り通し」とは、一般的に道路や鉄道のために、山などを切り開いて通したような格好をしていて、左右の鋭い立ち上がりの壁が特徴である。そういう意味で、ここも全く同じ作り方なので、勝手に「切り通し」と呼んでいる。はっきりとした源流は分からないが、どうも府中市の方から流れてきて、フローラルガーデンを堂々と横断して、多摩川へ放出する用水路ということのようである。この用水路は、ちょうど日活撮影所の前を通っていて、撮影所と用水路の間に市の道路があり、それに遊歩道が併設されている。その遊歩道に桜が植わっているのである。桜の木は、遊歩道と「切り通した用水路」の間にあり、用水路に少しづつ枝を落としている。

   特別に、桜を中心に撮影するつもりはなかったのだが、いざ写真にしようと思ったら、実物の「切り通し」は余りにも無機質な感じでややグロテスクであった。そこで、ついでに桜が一緒に写り込んだものを用意した。昨日の時点で都内はもっと開花しているようだけれど、こちらは、まだこの程度の三分咲きである。桜は500mぐらい続いているが、他は殆んどまだつぼみのままであった。このような写真は、橋のあるところ数箇所しか撮影できないが、どこも風が強かった。場所は、ちょうど日活撮影所の入口あたりである。思ったとおりの写真にはならなかったが、まあ、こんなものかなといったところである。普通の写真であるが、調布にもこんなところがあるってブログに追加したおきたかったのである。
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2013/03/19

イタリアのクロワッサン

  何故か舶来品の様な装いをした物には、どことなく懐かしさが漂って見えたり、一種独特の魅力を感じる。そんな古い世代なのだろう。幼い頃は、ま、今から半世紀以上前になるが、周囲には、舶来の品物が今より多かったような気がする。当然、子供の頃だから横文字は読めないので、箱に印刷された姿や形を見て、何をするものか、あるいは、どうやって食べる物かなど、様々に考えを巡らした記憶がある。特にドイツ製のおもちゃは精巧にできていて、国産のおもちゃを3台買うより魅力を感じたぐらいで、大好きであった。そうそう、昔のヨーロッパの映画などには、それに似た自動車や列車が出てくる。

 そんな先入観があるせいか、今でも食べ物は横文字の記述があると、つい手にとって裏返して眺めてしまう。こういう自分の思い入れに、幼少時に対するノスタルジーを感じることが多いのである。もっとも、現実的な話としては、実家が呉なので、街中では当時横文字が溢れていたし、父が街角で英語で話す姿を見たり、舶来品を店頭で眺めたり、あるいは、英語の看板を観てその意味合いを教えてもらったりしたことが、父との思い出としても強く印象が残っているのかもしれない。

 前置きが長くなってしまったが、そんな背景があって、こんなものまで手を伸ばして買ってきたというのが正直なところである。いやいや、そうみえるかもしれないが、「イタリアの小型潜水艦のおもちゃ」ではない。潜水艦ならドイツ製か日本製がよいに決まっている。実は、日持ちのするクロワッサンが8個入ったパッケージである。やっぱり賢い人種は、朝から甘いクロワッサンを食べて頭から元気を出そうとしている。それはまったくもって体の生理を良く理解している証拠である。この歳になって、朝から味噌汁と焼き魚という塩分起動はもう無理なのである。それにしても、個人的に何が興味を引いたかと言えば、消費期限が先行き半年間と長期に設定されていることである。

 最近、特に巷で流行っていて売り上げを伸ばしているのが、「美味しい非常食、とか保存食」である。それにも匹敵する商品かもしれない。元々クロワッサンと言うとバターが大量に使われている高カロリー食品で、しかも、このクロワッサンの絵には、ココアクリームが溢れるぐらい入っているように描かれている。これにはやや抵抗を感じたのだが、価格をみると598円ということ、あるいは長期保存が効くということもあって、そんなに高カロリーで、溢れるほどココアクリームが入っている筈は無いと直感したのである。

 パッケージを開くと、厚紙の中に包装したクロワッサンが8個入っていた。さらに袋を開いてみると、やはり近所のパン屋にあるようなクロワッサンではない。6カ月も保存できるような「節度のある菓子パン」になっていた。もちろんココアクリームは僅かしか入っていない。量は少ないが2か所に入っているために、口寂しさや甘味が足りない感じは無い。経験は無いのだが、エスプレッソと一緒に戴くと、「まるでイタリアのカフェグレコで菓子パンを食べているような気分」が味わえるのである。戴く前に、電子レンジで15~20秒程度温めるとよい。意外に、見た目より美味しくて、保存が効くのがうれしい。また見つけたら追加しておきたい好商品である。
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2013/03/15

OGGI のお菓子 3

   最近は、このブログの閲覧されたページが日間、週間、月間別にランキングされるようになっている。そこで、はるか昔に紹介したOGGI のチョコレートが最近上位にランクされていたのを発見した。ほーっ、といった感じで、人生60周年記念に酔いしれていたせいか、全く思いも寄らない現象に違和感さえ覚えたが、恐らくバレンタインだとかホワイトデー(昨日)の影響があったものと思われる。確かに、このOGGIのお菓子は上品でたいへん美味しい。上品というのは、お菓子そのものが洗練されていて、「食べ慣れた人はもちろんだが、甘いものを滅多に食べない人にも、美味しく感じていただける」 という意味である。特に、年配でOGGIのファン(=本物の甘いもの好き)にとっては、紅茶と一緒に3時のおやつに1~2個口にするとか、人生の楽しみの1つになっているようだ。

  OGGI のチョコレートがブログの上位にランクされて、「見る人がいるんだ」と思うと、何故かそれから連鎖が始まり、「控えているのに無性に食べたくなる」という気持ちが徐々に湧いてくる。結局、その刺激に負けてしまい、前回のショコラトランシュや前々回に紹介したメープルケーキを買ってきたのである。そこでは、今回も、これだなと思う商品は、やっぱりそれなりに人気もあって、売れ筋の商品で 「ホワイトデー専用品」に指定されて店頭に並んでいたのである。そんなことから、今日の商品は、「甘いものは太るから嫌だ」という向きにも、掛け値なしで気に入ってもらえるはずである。それでも、メープルケーキに注意すべき事があるとしたら、それは食べ方だけである。洋酒の入ったものは、少々行儀が悪く思われるかもしれないが、パッケージの封を開けた瞬間に、口に運びたい。

  勿論、パッケージの中には、メープルの薫りの染みたケーキが入っているが、このスポンジ部分にブランデーや香料が染み込んでいて、今日のPDF写真のようにパッケージから取り出した状態で5分も放置すると、すぐさま乾燥して薫りが抜けてしまうのである。だから、行儀が悪くても 「封を切った瞬間に口に運ぶ作法」が生まれるのである。もう1つの、ショコラトランシュの美味しさは、周囲のチョコレートもさることながら、それに包まれたチョコヌガーにもコニャックの生々しさが薫り、なかなかの美味しさなのである。暖かい部屋に置かれると、僅かな力で形が崩れたり、中身が壊れてしまうので、持ち帰るとすぐに冷蔵庫などに仕舞っておき、食べる前に取り出して5分ぐらいテーブルの上に放置してから戴くと、口当たりのよさに薫りが引き立って美味しい。

  やはり、どのように「美味しいお菓子」であっても、それにもまして、必ず「美味しい食べ方」というのがあり、それによって微妙な美味しさの違いが感じられるようでなければ、その商品の価値は下がってしまうのである。だから、このような微妙な商品を「初めて買い求めるとき、あるいは、どちらにしようか困ったとき、さらには贈答品にしようと決めたとき」などには、商品の性質とか素材とか、あるいは、短い時間といえども、保存の仕方や戴き方まで、お店の人から指南を受けるのが良い。こだわりの商品は、必ずやその取り扱いについて、ちょっとしたアドバイスがあるからである。
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2013/03/12

ディスカバリー9

  テレビ放送開始60年とかのスポットが流れて、そんなことを「うーむ、あっという間だった」と実感できるのは黒柳徹子さんぐらいではないかと思うのである。勿論、今でも毎日のようにスタジオでライトを浴びている(継続56年ぐらい)と言う事実が背景である。制作側にいた関係者は、35年も経てば現役を退いているはずだし、当時を懐かしむ人は殆どいないに違いない。そんなわけで、私が生まれたちょうど2日後に放送が始まった(昭和28年2月1日)という説もあって、画面に「60」と表示が出る度に、まんざらでもない喜びに浸るわけである。もちろん自宅にテレビが来たのは7歳ぐらいで、それまでは、当時官舎住まいということで、隣の所長の家で見せてもらっていた。黒柳さんがアダブラ~カダブラ~と「魔法のじゅうたん」に乗って都内を飛びまわる姿が思い出される。それにしても、当時から黒柳さんは、あの様に「空を飛びまわるほど快活で、おまけに早口だった」と思うのだが、「今だ衰えを感じさせないどころか、益々早口でパワフル」なのが凄い!と関心するわけである。観ているこっちの方が先に逝っちまいそうだ。少なくとも、私より20年ぐらいは先輩である筈なのだが。その後、テレビが昭和37年にカラー化されて、「あたり前田のクラッカー」で登場した藤田まことさんは、必殺シリーズでも長い間活躍されたが、黒柳さんと同じ年の生まれにもかかわらず、残念ながらさっさと逝ってしまわれた。

  そういえば、これが将来のテレビですと「1125ハイビジョンTV」をNHK技研へ取材に行った時、ついでに、私が生まれる前の昔話を聞いたことがある。今となっては、その取材自体も相当昔の話になってしまったが、手帳が出てきたのでそれを見ながら当時を思い起こしてみると、日本国内の放送に関する研究は、日本放送協会の技術研究所の開所(昭和 5年)に始まると考えられる。それは、ラジオ放送の研究で始まり、戦時中は海軍や陸軍からのレーダー装置の共同開発や、潜水艦の電波吸収体の研究などが行われていた。戦後はそれらをマイクロ波中継技術に応用している。戦前から進められていたテレビ・カメラと受像機の研究は、GHQの理解もあって昭和21年から再開されている。実験的な放送を始めたのは昭和25年である。当時の機材や設備は、全て手作りだったと「苦労なのか自慢なのか、手に汗握る様な話」を聴いた。最も重要なデバイスなのに寿命が短かったのがカメラの撮像管で、当初は輸入品であったイメージオルシコン撮像管(RCA)も、昭和27年には国産化に成功し、海外製カメラと一緒に現場で運用されている。その撮像管は、撮像部が2インチの巨大な真空管であった。この撮像管の製造には、当時の化学、物理、機械、電気、真空、防塵などの総合力が問われ、専門筋でも国産化は難しいとささやかれていた物である。

  撮像管とは、テレビカメラの画像を電気信号に変換する光電変換のための真空管のことで、光の入る先端部の光電変換膜に映像が映ると、それに比例して一面電荷が蓄積される。そこに背後から電子ビームで走査すると、その走査の順に電荷が放電して微小な電気信号として得られる。NTSC方式だと、525本の電子ビームで走査して画像を取り出す仕組みになる。昭和30年代には、イメージオルシコンは様々な改良を施され、将来のカラー化に伴い2管式、3管式、あるいは4管式などに伴う画質、寿命なども検討されたが、昭和40年代にはプランビコン(1+1/4インチ)が主流の座に着く。プランビコンは、光電変換膜の材料に酸化鉛(PbO)を使い、色再現、S/N、ダイナミックレンジが良いとされていた。その後の昭和47年に、NHK技研は独自技術で新撮像膜材料を使ったサチコン撮像管を完成させる。

  昭和53年頃からは、リアルタイムの自分の記憶になる。この2種の撮像管は、固体撮像素子が主流になるまで何度も々改良が加えられる。ピン出しによるLOC化、ダイオードガンによる高解像度化、自動のビーム量の制御回路によるワイドダイナミックレンジ化、さらにはMS化を進めて図形歪の改善や画像周辺の解像力の改善など、プランビコンとサチコンは互いにしのぎを削ってきた。


  上の写真は、昭和59年頃信頼性の高いと言われた2/3インチ型プランビコン3管式カメラの代表的な内部の構造である。緑色の基板の奥に高屈折率の3色分解プリズムがある。それに放射状に配置された撮像管のシールドが見える。プランビコンはオランダのフィリップスが開発した撮像管で、多くの製造特許に縛られており、国内では松下電子工業㈱だけがライセンス生産をしていた。一方、サチコンの量産は日立製作所で行われた。放送用カメラに、固体撮像素子が使われるようになるまでは、どこの民放も殆どプランビコン3管式カメラが使用されている。しかし、夜景などの撮影時、カメラを振り回すと明るい部分が赤い尾(コメットテール)を引いて見苦しかった。サチコンは、NHKでは綺麗な画像を提供したが、東京のローカル局で使ったメーカーのMSサチコン3管式カメラは、野球のニュース取材で飛んでゆくボールの残像が目立ってしまい不評だった。

  話が横路に逸れてしまったが、戦後、このような映像技術への憧れと旺盛な開発力によって、世界屈指の映像機器メーカーが育ったと言われている。現在は、そのようなメーカーも時代と共に姿を薄くしてしまい、今やコアな話になってしまった。そこで、もっとコアな写真を用意した。この手はもう殆ど観るチャンスはないと思う。
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補足1:戦時中=一般的に大東亜戦争中のこと。アメリカ、イギリス、中華民国の連合軍と戦った昭和16年12月~昭和20年8月のこと。
補足2:RCA=Radio Corp. of America アメリカの当時最先端の電子機器メーカーのこと。
補足3:GHQ=General Headquarters 日本を占領して駐留していた連合軍の総司令部のこと。
補足4:ライセンス=認可のこと。認可を得るには、応じた数に合わせて奉納金を支払う契約が多い。
補足5:上の写真は池上通信機HL-95。後部にVTRやハードディスクなど記録装置が装着された。この写真は、当時MOVEのカメラテストに試用した時のもの。こちらの方が綺麗なカット。

2013/03/08

魔法のお皿


 我々は、大昔から魚を戴くために火や熱を加える調理方法を継承してきた。基本的には、焼く、煮付ける、蒸す等しかないが、現在では、狭い住宅環境の中で人との係わり合いを重視した調理方法に集約されている。ガスのレンジやオーブンを使って魚を焼く場合は、多少なりとも匂いや煙が部屋に充満する。これが評判が悪い原因である。勿論、片付けにも大変手間がかかる。だから、魚は煮付けが良いという人も多い。しかし、特に冬場の魚には、七輪で焼くことで脂を落せて、ふっくら仕上がるのが良いと、懐かしがる人もいる。

 道具としては、様々な利用方法がある方が価値が高いとされるが、七輪で焼きあげた美味しさは、他の追従を許さない価値がある。七輪の特徴は、肉や魚を焼くのに適した遠赤外線を炭から発生していることだが、遠赤外線を発生させるものは、他の方法でも可能であり、数多く商品化されてきた。しかし、それらは、どうしても、煙と匂いを十分に抑え、おまけに後片付けを簡単にするように考えられていなかった。

 今日紹介する「魔法のお皿」は、電子レンジが発生するマイクロ波を受けてお皿自体が「熱と遠赤外線」を発生する機能を持たせてある。そのことによって、原理的には、お皿の上に乗った食材は、裏面から遠赤外線で加熱されながら、内部がふっくらと焼き上げられるということになる。しかし、同じ時間マイクロ波が直接照射されているために、内部の水分加熱も進む。これら3つの作用で加熱を促すため、食材の量によっては、電子レンジの出力とか、加熱時間などの微妙な調整が必要になる。また、加熱中は内部から「ポッ、ポッ、ポッ、ポッ」と鈍い音を発する。

 同種の商品は、かつては高額商品ではあったが、最近は低価格化が進んだ。それによって、電子レンジの活用範囲を大きく広げたのも事実だが、電磁波を使用する時間が長いことから嫌気する人も少なくない。この「魔法のお皿」は、皿は耐熱陶器、蓋は耐熱ガラスなので、電子レンジのみならず、オーブンに入れての調理にも応用できるので、用途や時間に合わせて使い分けられるのが良い。実際に使ってみると、最初は何度か時間を再調整するが、おおむね上手く行く。しかし、これからコツをつかんで、表面パリパリ、内部がジューシーに焼けるようになれば、もっと面白いと思う。ポイントは、食材の表面に水滴などがない方が上手くいくことだ。
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補足:携帯電話や電子レンジの電磁波は、体に良くないと言われ続けている。近くで使用しなければ、影響は少ないとされるが、電子レンジで加工した食材も体に良くないことが分かり、使用を禁止したケースもあることを念頭に置いておきたい。

2013/03/05

広島辛豚骨醤油ラーメン

      故郷には、ずっと変わらない味があった方がよい。でも、それだけではつまらない、どこかで誰かが、何かにこだわり続け、新たな味の開発をしてほしいと漠然と期待することがある。活気に満ち溢れた若者達が、寄って集って美味しいものを模索する姿こそ、まさにエネルギーなのである。いつしか、そういうエネルギーの有り余った故郷であってほしいと願うことがある。もちろん、名産や特産と称されるものはたくさんあるが、何か、若者らしい挑戦的な食い物を創作して欲しいのである。どうかな・・・。

 それにしても、何と贅沢な期待なのであろうか。故郷には故郷の味があり、記憶にある昔の味が蘇れば、それはそれで楽しいはずなのに、それだけでも満足せず、新たな味を期待する。それは、一体どういう事なのであろうか。自分でも、何か苛立ちを覚えるような気分で、それが地域の独自性であったり、文化の発展の足跡として期待を顕わにすることがある。広島には全国展開できるほどの、「何か、そういう物がないんかのう~」といった気分である。牡蠣を使ったカレーはいくつか販売されている。しっとるで!。牡蠣を使った出汁醤油もある。だから何!。そういう牡蠣の美味さを継承してきた在り来たりで地味な組合せでは、今一つ盛り上がらないのである。

  今日は、そんな私が見つけた、今そこそこ美味しい即席ラーメンを紹介したい。この商品は、明星食品の「明星 美味しさ新発見!」シリーズの広島編である(昨年の5月7日発売190円)。全国の隠れたご当地ラーメンの美味しさを、手軽に味わ得るよう企画されているもので、広島ラーメンの豚骨醤油のベースに、唐辛子で程よい辛味のアクセントを効かせ、明星独自の製法による中細麺で仕上げてある。まあ、この時期に温まる絶好の商品と言える。もちろん辛さだけではない、広島ラーメンに新たな魅力を加えたパンチのある即席ラーメンに仕上げてあり、中味のかやくは、定番のチャーシュ、もやしなどを無難に採り込んである。

  いきなり、遠くから来て広島ラーメンを味わうこともないと思うが、昔から瀬戸内海側では素朴で美味しいラーメンがその地域ごとに存在していて、強い独自性を誇ってきた。福山ラーメン、尾道ラーメン、三原ラーメンと地元では有名無比ではあるが、何故か広島ラーメンだけは、今一つ名声に陰りがあると言うか、オーソドックスでつまらなかったのである。そこに、この唐辛子の辛みは、パンチのある味わいで、一歩抜け出した感がある。懐かしい味わいを残しながらも、辛味が加わることで活き返るような新鮮さと創造性が加わったのである。このような商品が起爆剤となって本格的な広島ラーメンに広がってほしいものだ。
ではこちら
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補足:明星と言えば「チャルメラか一平ちゃん」であるが、惜しいことに、明星食品は2006年に日清製粉グループに参入している。


2013/03/01

オーディオマニア30

  前からちょっと気になっているお店があった。時たま、そのお店の前を通るうちに、気になる物を見かけるようになったからだ。お店と言うからには、手を翳して見ると、少し暗めの内部がわかるような、スモークのガラス張りになっていて、入口のドアの内側にはJBLと書かれた段ボールが半分入口をふさいでいたり、アキュフェーズ、TEAC等のロゴも見かけられた。そのお店には、年配の人が2~3人いるが、いつも忙しそうにオーディオ装置を丁寧に分解したり、磨いたり、組み立て直したりしている。最近、JBLのスピーカのエッジの張り替えをしていたのを覘いたこともある。当然、室内はフロアー型の大きなスピーカが何組か置いてあるが、鳴っているのを聴いたこともなく。ただ、時々訪れても、店長の能書きに耳を傾けるぐらいである。年配のオーディオマニアはこういう能書きに弱いのかもしれない。

  昔のオーディオのショールームのように、音の比較が出来るようにスピーカを聴かせてくれる状況にはなっていないが、お店の商品には、値札が付いているので、気に入った品物があれば販売してくれるようだ。懐かしいJBLのユニットも置いてあるが、少々値付けが高い様な気がする。店長は、最初は舶来の超高級オーディオを並べて、かつてのオーディオサロンの様な優雅な商売を目指していたようだが、お客のニーズに耳を傾けていくうちに、だんだん忙しくなってきたという。特に、舶来の中古オーディオ装置の扱いが多いようだ。最近になって、昔憧れていたオーディオ装置を買い揃える年配の人が増えたということのようだ。20~30年前に比べてまだ円高と言う背景もあって、カリフォルニアの会社と提携していて、JBLなどの大型スピーカは、直接客先へ配送することも請け負っているようだ。

  そんなある日、何気なく覗くと珍しくオープンデッキを調整しているのを見かけた。つい「おーっ」と声を挙げてしまった。TEACとTechnics のデッキが数台並んでいて、再生のキャリブレーション・テープが掛けられていた。覗きこむのも変だと思ったのだが、テープは何とかエンジニアリングと書いてあった。今や精密に調整は出来ないが、だいたいで良いので、周波数特性をチェックしているとのことであった。そういえば、私も高価なTEACのオープンリールのキャリブレーション・テープを2セット保管してある事を思い出した。私としては、当時の編集部の中で珍しく「誇り高きテープ党」だったので、そういう事(再生系は正しく調整されている)は、批判を受けないように人一倍気を使ってきた。オープンでもカセットでも、校正されていないテープ装置は、やっぱり存在意義はないし、互換性としては「不明瞭な点があるとして」議論にならないとか、突っ込まれることが多かったからだ。

  もう、数年前になるけれど、TC-R7のRchの再生系の調子が悪くなったことがある。もうデッキ自体を処分しようかと思ったが、まだ多くの4TR19cm 、2TR38cm のミュージックテープがあったり、TC-9000F2 もやや調子が悪かったので気が引けて、何とかしようと内部を触り始めたが、難の事もなく再生イコライザ基板の可変抵抗器を交換することで直った。その時も、左右の周波数特性を合わせるのにキャリブレーションテープが大いに役に立った。

  経時変化による故障やヘッドの摩耗など、極めて特殊な状況下で必要になることはあっても、デッキメカ自体も時間が経ってしまえば全体にガタが来るので、キャリブレーションテープなどは役に立たないかとも思っていたが、案外そうでもなかった。むしろ大いに役に立ったわけで、CBSソニー、フィリップス、ロンドン、グラムフォンなどの各社のミュージックテープが、いまだに残ってしまっているので、いまだデッキも、キャリブレーションテープも保管せざる負えない状況にある。しかし、磁気テープは環境の影響を受けるので、さらに6本1組づつ場所を変えて保管せざる終えない。たいへん厄介な代物といえる。
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補足:ミュージックテープ=1965年~1978年頃まで販売された、音楽の入っているオープンリールの19cm/sec 4TR2chのテープ。当時、2,800~4,500円程度で、クラシックのレコード会社各社は競って販売していた。また、ジャズなどは38cm/sec 2TR2chのテープで15,000~23,000円程度で販売されていた。