2013/07/23

乾麺 讃岐うどん

   だいたい、この手の戴き物と言うのは、案外杓子定規で、きっと古くからの伝統的な楽しみ方がある筈だ。しかし、それを知らずして、現代を生きる我々のような粗雑な人間は、ストレートに美味しいとか、そうでないとか、つい率直に口にしてしまうことも多い。しかし、そういう固定概念で何でも戴き物を処理するのは、如何なものかという気持ちで揺れ動いている。それは、先週、「島一の鯛めしの素」を紹介した時に、「たいへん美味しかった」という印象が残ってしまったからに他ならない。それは、少しだけ、自分の知らない世界を垣間見たような気持ちで、しばらく尾を引いていると言うことなのだろう。

  そういう気持ちは、当然、残されたうどんにも及んでいて、ひょっとしたら、この乾麺もなにやらそのような作法に縛られることでもなく、自由に思いついた手順で戴けば、何か新たな発見に遭遇するかもしれない、と考えるようになったのである。こういう気分と言うのは、意外に世の中にたくさんあって、もっと他にも美味しい物があるかもしれないと、気に入った洋食屋に通い詰めるのに似ていて、そんな、「深く捜し求める気持ちのような精神活動」が心の奥底で蠢いているらしいのである。簡単に申し上げると、あの、さりげないパッケージに収まった「株式会社 島一」の詰め合わせコンセプトを、「鯛めしを戴くこと」で少なくとも半分は気に入って、その同梱され残ったままの「うどん」にも、いたく心が惹かれてしまったということなのである。うーむ。

  さて、どうしても、香川の讃岐うどんというのは、極太で腰の強さが暴れまくって喉を通過する時に、「喉の巣を落とす」と言うことわざを現実にしたような印象がある。そういう視点でこの乾麺を眺めると、「そうめんの太いやつ」?と言われるような姿をしていて、どうにも腰の強さを想像するには及ばないのである。そこで、幾つか薬味というか、今風に申し上げればトッピングなのだろうが、どちらの印象が良いかを考えると、たとえば、トッピング風に、牛肉とねぎを甘辛いすき焼きの出汁で炒めてのせる。それも悪くは無いが、口にすると麺に力強さが足りない。次に、小海老のかき揚げ天ぷらをのせる。これも、2度ほど実際にやってみた。やはり、麺の腰の弱さで印象が良くない。少し中途半端な感じがあって物足りない。

  いずれも、出汁はあご入りの「ほめられ香り出汁」を使用。今度は、そうめんのようなイメージで同封の乾麺を使ってみることにした。暑くなった時期にいけるように、出汁は冷蔵庫で冷やしておく、薬味風に構成するには梅干を使って爽やかに、そして少し甘い油揚げを用意する。ここが買い求める時のポイントで、甘辛い出汁で煮付けてあると麺とのマッチングがよい。これでどうだ!と満足している構成が、今回のPDFである。小安く、誰でも簡単に出来てそれでいて麺の食感と喉越しのバランスが生かされる。そして酸味が爽やかとくれば、そうめんを凌ぐ満足感が得られるはずである。もちろん、お揚げもたくさん入れておく。
https://onedrive.live.com/view.aspx?cid=CFBF77DB9040165A&resid=CFBF77DB9040165A%211338&app=WordPdf

補足:「喉の巣を落とす」→大変美味しい物を口にした時の印象を象徴した表現で、これ以上の誉め言葉は無い。「うどん」でその表現を使ったのは、今回はじめて。明治、大正、昭和30年代までは良く使われたが、現在使われることは少ない。当時は、メロンや高級果物を口にして、何時も使わない喉の細かい部位までも「美味しい」と感じることを比喩して表現したと思われる。