2013/11/29

イタリアンなサンマ缶

  食事のメニューに関する発想には限りがある。「今日は何が食べたい?何でもいいよ」の会話に隠された、「君の創作性だけが頼りだよ」の願いに代表されるように、頭の中には色々あるとしても、毎日のことなので、最初から考えることが「面倒」なのである。しかも、その為の食材の調達、味の調整、彩りなど、全体として食欲をそそり、家族で満足できる結果を共有することは、素晴らしいことなのだが、既に現代人は疲れているのである。やはり、頭脳、行動力、味覚へのこだわり、色彩感覚、など食卓を飾るには、いささか多彩な能力とパワーが要求されるためである。また、定型的な会社の仕事に比べれば、「食事の支度は難度の高い作業」なのに評価されることもない。出来て当たり前なのである。さらに、前回評判が良かったからといって、それを再現すると言う一辺倒な取り組みでも許されない。そこで、バリエーションを豊かにすることが出来て、手間の掛からず、少し頭を使えば何とかなる「ベースになる食材」が求められている。

  そんな要求に応えるかのように、最近の食材ニーズは、ピンポイントでターゲットを絞る傾向が強くなっている。つまり、メニューごとに用意される半加工食材である。お肉を入れてすぐ出来るという「○○の素」と言うものだが、若干味が濃い目にもかかわらず、種類が多いので飽きが来ず、意外に「いいね」と言われるものが多くなっている。他方で、それでも、食材の産地情報、あるいは加工地など、安全性のことも考慮すると、素性の分からないものより、改めて日本近海で取れた、昔ながらの魚の缶詰の良さが見直されつつあり、そこに、何か新たな提案を付け加える動きも始まっている。様々な用途に使える料理専門家向けの水煮缶だと、あまりにも使い方が多様すぎて迷うし、もっと、早く食べたいのに、どうやって味付けすればよいか分からないという消費者も少なくない。そんな一見簡単そうに見えるものでも、「こうやって食べてください」とメッセージ性の高いベース食材になる缶詰が、今、人気を得ているのである。

  「いったい逸れは何なんだ!サンマの缶詰なら蒲焼だろう」と思われるかもしれないが、今日紹介するサンマの缶詰は、意表を突かれた美味しさで重宝している。しばらく、「侘び寂の気持ち」を忘れて、「イタリアンな気分になりたい日」には、この缶詰をパカッと開けて、生野菜をあしらったサラダにポコッと乗せたり、茹でただけのパスタへドサッと乗せて、そのまま合えたりするだけで、サンマの贅沢感と満足感が一緒に押し寄せる。もう気分は南イタリアなのである。なんと150円そこそこの商品で、何時でも何処でも気分が変わる。しょうゆ味の蒲焼に飽きてしまった人もサンマの美味しさを見直すに違いない。オリーブオイルもたっぷり入っているし、味付けもなかなか宜しいようで、ぜひ常備しておきたい缶詰なのである。 

  このサンマの缶詰めには、1.トマト&バジル、2.オリーブオイル&ガーリック、3.香草焼きの3種類用意されているが、今だ香草焼きは入手できていない。トマト&バジルは、香味油やトマトペーストがたっぷり入っているので、そのままでも美味しいが、さらに生のトマトやバジルの葉を組み合わせることで、爽やかな酸味と香ばしいサンマが豪華さと贅沢感を演出してくれる。サラダやピザにも合うが、やはりパスタとの相性も良い。オリーブオイル&ガーリックは、明らかにサラダ向きで温野菜を炒めたところにパカッと組み合わせて楽しめる。いずれも、質の良いオリーブオイルと香ばしく焼き上げられたサンマが利いていて、充実したメニューの1つになり、食事がより楽しくなる。
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2013/11/26

カレ・ド・ショコラ4種

  「好きこそ物の上手なれ」と言う言葉がある。好きな事には自ら積極的に取り組むことによって、上達が早いと言う意味だが、人によって、色々幅広く拡張した使い方をすることがある。これも、正しい使い方かどうか分からないが、例えば、京都で「美味しい和食のお店」を探すのに、そのお店の「下ごしらえしている昼中に出ている匂いによって、そこのお店の料理が美味しいかどうか、分かる」という人に対しても使う事がある。いや、そんな嗅覚で美味しさを知ることぐらい、あたりまえだと言う人も少なくないが、これも、一種の経験則によって「基本となる出汁の美味しさと、換気扇から放出される匂いとの相関」が図れているということなのだろう。

  さらに特化して、好きな食材ならば、全てとまではいかないが、ある程度の原産地まで分かるという人もいる。殆どの料理人は、そのくらいの高いレベルの感性を持たないと、自分の調理技術を生かすことは出来ないが、それこそ人の感性の奥深さを物語ることとして興味深い。一方、それを逆説的に活かし、一般人が知らない食材の原産地を提示し、その食材のベールに包まれた美味しさを提案するということもある。「真冬の○○産」だから、「渦潮のおきる○○で採れた○○」だから美味しいというのも、その良い例である。我々は、そういう裏付けや、食感による経験を積み重ねることで、その美味しさを知ったり、その本物と偽物を嗅ぎ分ける感性を得ることになる。

  また、食べ慣れた食材は、ほんの僅かな違いであっても、「どちらでも良い」という判断よりも「こちらの方が美味しい」という判断になることが多い。料理人あるいは製造者からすれば、その判定を1つの喜びとして、そうやって、自らの判断と顧客の感性が一致し、それが正しいことを確認することで創作意欲を高めたり、競争力を磨いたりするのだろう。原産地が日本にない食材に関しては、まるで方向感はつかめないが、「知る人ぞ知る」ということで、専門筋の製造者から多くの美味しさの背景説明を得て、少しずつ理解を深めることになる。つまり、生まれ育った成長時の経験からくる感性は、その人の味覚として大変重要な根拠と言えるが、美味しさの判断力は、さらに経験を増やすことで磨かれる部分も多いと思われる。

  今日紹介するチョコレート4種は、そのような原産地の風味や薫りを知らない顧客にも、納得感のある美味しさを提供してくれた商品といえる。製品としては、ずいぶん前から存在していたが、最近さらに、新鮮味に加えて、パッケージの色に深みを持たせたり、文字の書体を変えたりするなど、ラインナップを一新している。そういう、「細かい改良とか改善でも、時として消費者を引き付けたり、感動させることがある」と言う良い例である。むしろ、その方が自信の表れとして好感されるのである。そんな、日本のチョコレートは、派手さを控えた本物志向で、上品な風味が生かされて美味しいが、この シリーズは、その中でも格別と言える。恐らくこの価格帯で右に出るものは無いはずだ。チョコレートは開封すると日々品質が低下するので早めに消費したい。
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2013/11/22

つつじヶ丘駅の蕎麦屋

    意外なところに、その蕎麦屋はあった。京王線のつつじヶ丘駅の建屋北側の1階で、いわゆる一般的な呼び方だと「駅そば」ということになる。元々駅そばの歴史は古く、全国の主要駅の構内、あるいはホーム上にあるファーストフードとして、その店舗が存在していた。電車の僅かな待ち時間を利用して「即効性と低価格」を売りにしてきた。しかし、時代と共に、蕎麦の上に乗せる天ぷらなどの種類にも工夫はあったが、煮詰まった出汁や、のびのびの麺などに代表される、取り残された昭和の薫りといった「時代遅れ感」も漂っていて、売り上げに陰りが見え隠れしているのが現実である。それに対して、他方を見ると、蕎麦も、ラーメンも、うどんも先進的なお店が流行している。そこには、ハイテクマシンが様々な仕様の麺品質を自動で実現しているのである。もはや、規模にこだわらず、そのハイテクマシンさえ使いこなせれば、様々な麺を製造できるし、今日から誰にでも寸分たがわず美味しい「老舗の蕎麦屋と同じ蕎麦」が提供できる時代になったのである。

  蕎麦が好きな人は、せっかちな性格で、優れた精神力を備え、割合細身の体系で、高血圧や糖尿病からも縁遠い。つまり、蕎麦を積極的に食べると、最近の食生活からすれば、特別に元気は出ないかもしれないが、長い目で見ると健康を維持するのに役立つと思われる。まあ、そんなことは、誰でも知っていることなので、改めて申し上げることもないが、実は、歳を重ねると誰でもそのような気分が頭をもたげ、他人に習って蕎麦を好む傾向になる。しかし、年配の人にとって、胃腸に負担のかかってしまう蕎麦は嫌いである。例えば、「老舗の神田の藪そば」は、客の年齢層が高いため柔らかい蕎麦が出されている。そうなると、昔の印象のまま、わざわざ老舗と言われる蕎麦屋まで出向くことも減ってくるのである。しかし、お寺参りなどをした後に、蕎麦屋に寄って「もり」でも一枚戴きながら時を過ごす風景は、粋な感じに見えるのである。

  寺参りと言えばこの辺りでは深大寺だが、調布と並び深大寺へのバスが発着する場所がつつじヶ丘である。休日のバス停には、年配の人たちによる長い行列が出来る。バスが深大寺へ到着すると、参道の蕎麦屋が手ぐすね引いて客を待ち受けている。しかし、どこも混み合っていてお店が決まらず、口惜しい思いをすることも多い。そういう時こそ、帰りに、つつじヶ丘駅北口にある、この「万葉そば」に寄ってみるとよい。ここの蕎麦は二八蕎麦である。お店に入ると、まず、食券を購入してカウンターに提出し、番号札を受け取る。お茶、蕎麦湯、薄い出汁を茶碗に入れて席に着く。番号が呼ばれたら交換に行く。まさに駅そばの手順そのものである。今時は、冷たい蕎麦を戴くにも、暖かいのを戴くにも適した季節感である。珍しく、いずれもそれに適した麺品質で作られている。あと、天ぷら付き、あるいはご飯もの付きの蕎麦も組み合わせることが出来る。

  この美味しい「万葉そば」品質で、この価格なら、誰でも満足できるはずである。当初、このお店の噂を小耳に挟んだ時は、「どうせ、駅そばでしょ?」と首を傾げる程度であったが、実際口にしてみると、「おおっ、そこそこいけて 旨い!」と意外な思いをしたのである。実はそういう人達は巷に溢れていたようで、夕方は混み合っている。それ以来、つつじヶ丘へ行く度に、足が自然にそちらに向いてしまう。夏場は週2回のペースで訪れてしまった。腰が強く、喉越しの良い蕎麦で、腹持ちも良い。ただ、蕎麦つゆは、神田や日本橋の蕎麦屋のような江戸前風とは異なる。そこが真似の出来ない老舗の味と諦めなければならない。ここのそれは、ごく普通のやや薄めのつゆで、どちらかと言えば昆布だしの香りが際立つ。メニューは、ぐっと価格が抑えられている割には、それなりに色々揃っている。あと、マイ薬味として「山葵、山椒、一味」等を携帯して行くとよいかもしれない。美味しいけれど、期待しすぎは小吉。風まかせなら大吉といったところ。
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2013/11/19

尾道 特上しそ昆布

  歳を重ねてくると、食事もたくさんは食べられなくなるし、美食をすれば体に良くない、そんなことから、昔に比べると品疎に見えるものを並べることが増える。そこには、日本人本来の生活観から生まれた質素な精神に遡り、素材の持つ美味しさとか、伝統的で長く愛されたものを好む気持ちが目を覚ますのである。そして、それは、人生観に裏打ちされた一種の美学として、格調高い言葉で表現すれば、侘(わび)とか寂(さび)を自己中心的な食の世界に取り込むことなのである。そこで、家族に対する一種の精神力の優位性を見せ付けることが出来るというものである。うーむ、それが大人か。

 そうはいっても、今となっては、少々汚染された食材が混じりこんでいても、先に寿命が尽きてしまう関係上それほど気にすることも無いのに、最近は輸入品にもめっぽう気になることも増えてきた。物事を疑う目だけが肥えてしまっているので、やはり国産に拘り、老舗の商品を信じ、それでも、同じものを続けて食べないようにしようとか、やはり考えることは多くなる。とは言いながらも、老舗の職人は、そこはかとなく信頼出来ると考えている。それは、素材の源泉を管理し、かつ製品工程に積み重ねた知識や経験が活かされ、仕事に対する誇りと伝統的な厳しい拘りとが共存しているからである。もちろん、仕入先の公表や製造工程の公開、あるいは、最新の製造設備の導入などは言うまでもない。

  さて、今日の話は昆布である。これは、鰹や椎茸と並んで日本人の最も敏感な食材である。これこそ、まやかしの効かない食材といえる。出汁で使うには、そこそこ生産地さえ把握しておけばよいのだが、ご飯のお供となる佃煮となると話が違ってくる。もちろん、昆布を加工する会社は全国にたくさんあり、その製品の種類や用途も整備されている。このような語りつくされた食材にも、我々が知らないだけで、長く愛せる本物の美味しさが潜んでいることを認識させられたのである。そんな伝統的な製造に拘り、独創的な美味しさを守る会社が尾道にあった。その商品が、今日の「特上 しそ昆布」である。そう、「特上」なのである。誰でも「これは美味しそうだ!」と思うに違いない。

  ある「高級食材のお店=色々珍しい商品が並んだお店」での話である。そこの、商品の1つのおにぎりの中にこの「特上しそ昆布」は使われてきた。その、おにぎりのあまりの美味しさに、中の具だけを分けて欲しいという依頼が殺到したそうである。そこで、そのお店では、「その昆布の佃煮は、この尾道の会社の商品を使っている」と案内を出し、その小分け商品も取り扱うようにしたのである。それが人気を次々と呼んで、おにぎりも、佃煮も両方売り上げを伸ばすことが出来たという。今でもウハウハの売れ筋の商品なのである。この「特上しそ昆布」を作る会社は、尾道では知る人ぞ知る会社だが、今、東京でもブレイクしようとしている。しその酸味と、昆布の旨みに、甘みがついていて、この3つの味覚がバランスよく口の中に広がり、ご飯のお供には最高の佃煮となっている。これこそ、俺の趣味に合った侘(わび)とか寂(さび)に適した食材の1つとして確保しておきたい。
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補足:侘(わび)/寂(さび)→侘(わび)とは、無駄が無く実質を重んじ、単純なもの、普遍なもの、自然のまま、純粋なもの、それらを評価する概念。寂(さび)とは、静かで動きおそく、長い時間の流れを僅かな変化で感じさせるさまを美しいと評価する概念。


2013/11/15

冬季限定チョコレート

   チョコレートの美味しい季節がやってきた。チョコレートは高い外気温を嫌う。ひと夏過ごしたチョコレートには、必ずと言ってよいほど脂肪分が解け出して、表面が白くなる「ファットブルーム」という現象が現れて、風味が損なわれている。それだけではない、時間が経過すればするほど中に封じ込められているイチゴ、レーズン、オレンジ、あるいは洋酒などの成分もその品質を失う。それを嫌って、チョコレート好きは冬でも「購入したらすぐに口にする癖」がついている。もちろん、それが一番美味しいからだ。メーカーは、古くから徹底してそれを顧客に吹聴し、習慣化するよう植え付けてきた。それが功を奏して、今や冬季限定して、普段よりさらに食感に磨きをかけ、美味しい生チョコに近づけた商品を提供できるようになった。

  冬季限定と言えば、古くから人気の高い商品として、ロッテのバッカスとラムレーズン・チョコレートがある。この商品は、発売以来40数年になる筈で、中高年の方々から愛されている。だから、店頭に並ぶや否や、すぐに手に入れるという人も少なくない。そのパッケージは懐かしいままだが、チョコレートの風味は少しづつ改良されており、より美味しさを極めてきた。今日は、そんな色々取り揃えてある冬季限定商品のバスケットの中から、一口商品として人気の高い「明治のMeltyKissとロッテのGhanaCube」合計7種を集めてみた。紫パッケージのMeltyKissの「口どけラム&レーズン」を除き、6種は、全て同じ形の15~17mm程度キュービックスタイルで仕上げられている。この大きさが、子供達から御婦人方まで、口の中で暖めながら、上品にチョコレートが溶け出す食感を楽しむには丁度良い大きさのようだ。

  ロッテのGhanaのパッケージには、「ホットチョコレート」と書かれてある商品が2品種あり、これは、口解けを楽しむ意外に、外出から戻った寒さを癒すため、ホットチョコレートとして温まることが出来る。それにはまず、カップにミルク120ccを用意し、電子レンジで1分ほど暖め、その中ににチョコレート7粒を投入し、1~2分してからスプーンでゆっくりかき混ぜる。それで「ホットチョコレートが出来上がる」というものである。赤いパッケージが「ミルク&キャラメル」風味で、黒いパッケージが「ブラック&ラム」風味となっている。GhanaCubeは、生クリームを使ったミルクチョコレートで、かつてのGhanaの懐かしい美味しさの中にも、新しく洗練された独自の食感と風味を加えている。

  明治のMiltyKissは、4種とも「口どけの美味しさと香り、豊かなカカオの気品ある味わい」に美味しさの重点が置かれ、パッケージ別にクリーミーショコラ、濃抹茶、濃いちごを閉じ込めてある。「MeltyKiss 口どけラム&レーズン」は、ラム酒漬けのレーズンが洋酒(アルコール分3.7%)入りの生クリーム入りガナッシュの中に封じ込め、それをチョコレートで包んであり、程よく口どけも楽しめて、おまけに芳醇なラム酒とラムレーズンの味わいが口から鼻に抜けるように広がって、素晴らしい。いずれの商品にしても、販売実績の高い商品を横目に見ながら、生風のチョコレートの口どけを加え、少量でも質の高い美味しさを楽しみながら、より低価格で提供出来るとする方向性は、時代のニーズを取り込む姿と言えよう。
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2013/11/12

ウォーキング7

    炎天下の日差しや、熱中症の危険と背中合わせだった夏場が嘘の様に思えて、噴出す汗が既に懐かしい。日差しに暖かさを感じながらも、外気温が低いと、これなら早足で歩いたって「いくらでも歩けるわい!」と思う今日この頃である。体調が良くなり、ついつい歩き過ぎたり、走りすぎてしまうと言う人も少なくないだろう。追い越して行くジョギング・クルーも増えた。先日は、野川の遊歩道で100m程度の距離を何度も繰り返して全力疾走する人を見かけた。私より年上にお見受けしたが、さすがに心の中で「そんな走り方は無理」と思いながら、つい、「凄いすね、足下に気をつけてください」と声をかけたら、息を切らしながら「短距離走大会」に出るとのことだった。どうも「若いものに負けたくない」様子が見てとれる。その彼が走る遊歩道には、たくさんのどんぐりが転がっている場所がある。そこで足をとられなければ良いがと思いながら先を急いだ。

  無理な運動をしても平気なくらい「気分の良い季節だ」と言ってしまえばそれまでだが、調子に乗ってしまうと、そのときは楽しいが、後で酷く疲れが出てしまうこともある。おまけに、翌日になって、足を痛めていることに気付くこともある。体のリアクションは年齢と共に先で発症するようになってしまった。そういう経験を幾度となく繰り返すと、案外無理な冒険はしなくなる。いつも「時間を決めて活動したり、同じコースを歩く」という消極策に留まってしまう。しかし、何か心の拠り所があると、調子に乗ってついついオーバーロードする傾向が目を覚ますことがある。それもこれも、無意識のうちに、自分の体力のマージンが増えているのではないかと、その余力を把握したい気持ちが沸くからだろう。つまり、ある程度無理をしても、疲れ具合が変わらないとすれば、それはそれで気分もよく、次の励みになるからだ。

  実は、最近アミノバイタルを補給してからウォーキングに出るようにした。4~5日目ぐらいから少しづつ効果が出ていて、歩いた後の疲れが意外に少ないことを実感し、自信に繋がっている。数年前、夏場にアミノバリューを飲んでいた時期があったが、その時もよく効いた記憶があった。あの頃は、いくつかの酸素水も比較のために飲んでいて、即効性には酸素水が有効だった。ただ、いずれにしても、取り扱い店が少なく入手が困難、おまけに500mlボトルなので、纏め買いは荷物になるなど何かと面倒で、いつしか入手しやすい飲料に変わってしまった。ところが最近、薬局で「必須アミノ酸BCAA」の広告を見かけて、つい思い出し、あたかも、ドーピング剤を購入する時のような興奮でアミノバイタルに手を出してしまったのである。顆粒で小さなスティックに入っているので、飲み方も自由で意外に重宝する。これを飲んでいるだけで、妙な自信が沸き上がってくるが、ただ、やる気のある時とか、調子が良いとかに限って故障することがあるので、そういう時こそ慎重に行動しなければならない。

 このアミノバイタルが、精神的な余裕となって活力の素というか、一種の精神的爆発力が生まれ、軽く走り出しながらコースを回っている。いつもの所でUターンして、さっきのおじさんのいた手前まで90分程度で戻ってきた。さすがに、もう居る筈も無いとあたりを見ながら進むと、ベンチに座って何か炭酸飲料を飲みながら、くつろいでいる様子であった。手招きされたので、声をかけないのも無礼かと思い、「何回ぐらい走りました?と尋ねながら近づくと、「14回」だという、何かしらないが硬いものを踏みつけたらしく、それ以降ここに座っている」とのことだった。彼が飲んでいたのは、酸素水であった。「それ効きますよね、疲れ知らずでしょう」というと、途中で話を遮る様に「いや、そこの階段のクランクした所で痛めたらしい」と彼は漏らしながら、悔しさをにじませながら足首を摩っていた。うーん、やっぱり。
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補足:アミノバイタルは味の素の商品。アミノバリューは大塚製薬の商品。いずれも必須アミノ酸BCAAを主体としたアミノ酸含有食品。

2013/11/08

鉄分、繊維入りのヨーグルト

  一般的に商品のラインナップは、様々なお客のニーズを先取りして揃えられる。しかし、ヨーグルトは、好き嫌いが口先だけでは決まらず、腹部にも好き嫌いがあるため、なかなか商品展開は慎重だ。実は、腹部の方が重要なのである。生きて乳酸菌が腸へ届くことは無いといわれているが、腸に元々住み着いている腸内細菌が、それを好んで食べるかどうかも重要で、自覚はないかもしれないが、生簀で自分だけの金魚を飼っているようなもので、金魚を生かすも殺すも自分次第ということになる。金魚にも好きな餌があるに違いない。

  経験的な話で恐縮だが、腸に住み着いている腸内細菌は割とわがままで、1種類のヨーグルトだけでは満足しない。そこは、何か相性があるのかもしれない。時たま異なるヨーグルトを食べることで、腸内ストレスを緩和したり、免疫力を活性化させると言われている。その実証体験には、食事の代わりにいつもと違うヨーグルトを用意し 1.ヨーグルトの大量投与を行う。2.食べた2時間後から腹筋や、3.軽いジョギングを行い、腹部に届いたヨーグルトがより広がるような動作を繰り返す。そうして、食べたヨーグルトと腸に住み着いている腸内細菌を早く遭遇させる。2~3日継続することで、除々に腹部の調子が顕になる。時には、腹痛に襲われるかもしれないが、便通などのローテーションが改善したり、活力が漲り、湧き上がるようなやる気が増すこともある。そうやって、数日後には体調が改善されるかどうか判断できる筈である。
 
  さて、10年ほど遡るが、腹部を手術した時に、教授の回診からこのような教訓を得た。それは、教授からの問いかけ「なぜ、お腹は骨でカバーされていないか、知っていますか」に始まった。それは、ベッドに横たわった私だけではなく、周囲にいた大勢の先生方へも問いかけるようであった。内容を要約すると、それは、四足の動物が常におなかをゆすって歩いたり、走ったりすることで、食べた物とお腹の腸内細菌をいつでも攪拌しやすくしているからであり、それによって健康を維持しているという説明であった。また、人間もそれによって免疫力が上がる事がわかっているらしい。続けて教授は「あなたも今日(手術の翌日)から、早く治すために病室の前の廊下を何度も往復しなさい。点滴や採血タンクは外せないが、疲れたら横になるとかして休み、痛みがあるようだと痛止めを入れますから、とにかく毎日歩きなさい」と言われたのである。その話を聞いて、周囲の先生方は口をそろえて「御意」とは言わなかったが、首を立てに振ったり、メモを取る若手先生も多かった。教授の話には、妙に説得力があってそれがいつまでも深く印象に残った。そして5日後の病院の最初の食事には、おかゆとヨーグルトが用意された。

  それまでは、ヨーグルトは好きでも、主食に代わるほどではなく、デザート程度の認識しかなかったが、実は、その後の経験で、ヨーグルトをある程度の量を食べるか、あるいは、やや重点的に腹部の運動を繰り返すか、いずれかの方法、あるいは両方で効果が挙がる事がわかってきた。いわば「お腹によいから程度の」単なる先入観で口にする程度では、目に見える効果は出ない。やはり、朝、昼、夜それぞれ乳酸菌発酵食品を戴くことがよいと思えるのである。そうすることで、特に強い腹部の運動をしなくても、腸内も騒がしくなってきたり、目覚めが爽快になったり、人によって認識できる効果に違いはあっても、体調管理が楽になる筈である。かといって、食べるヨーグルトによっては、食べ過ぎると太るので、カロリーの低いものを選びたい。最近は、ヨーグルトの中には、「鉄分や食物繊維の入ったヨーグルト」というのもあって、ちょっと腹部にはいいのではないかと勝手に好感している。このタイプのヨーグルトは反応が穏やかで価格も手ごろ、毎朝大量に戴くには適している。また、少し甘味と薫りが入っていて食べやすい。ヨーグルトと食物繊維の組み合わせは、今後の主流になるかもしれない。 
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2013/11/05

ディスカバリー12

   既に、何の役にも立たない部品達が、書棚に残されている。今度の不燃物の日には、必ず出そうと思っていても、つい「今でなくてもいい、いつでも捨てられる」と思って、そのまま棚に戻すことがある。時代を一緒にすごした品物は、なかなか捨てられない。だから、せめてその懐かしい品物の写真を撮ってから捨てようと思うのである。先輩方は、もっとそう感じることがあるに違いない。それが昭和を駆け抜けた男達の宿命なのであろう。

  以前「プランビコン撮像管の紹介時」にも書いたことがあるが、ビデオカメラに興味を持ったのは、社内で古い記事を探していた時に、たまたま見つけた「フィリップス4管式カメラのグラビア記事」だった。そこに載った写真と数行の文章を、何度も何度も読み返し「おー凄っごいな~」としみじみ心を揺さぶられたのである。その後、取材したJさんにその話をしたら、古い話(43年ほど前)なので、良く覚えていないと言いながら、そう誉めてもらって嬉しいと話してくれた。それが(36年前)きっかけである。そして、その気持ちに少しずつ油を注いでいたのが、同じ印刷所で作られていた「テレビジョン学会誌」である。それを毎月もらって読み漁り、「ほー、へー」とため息をつきながら少しづつ理解を深めていったのである。

    おおよそ静止画、動画を問わず撮像管を使ったビデオ・カメラと言うのは、搭載技術と画質との相関関係が直感的に理解できるようになるまでには、誰しも時間がかかる。一方、長年の経験のある会社の製品は、バランスに優れた画質を提供することがある。逆に、高いスペックが出ていても、新技術だけでは必ずしも思ったような「いい絵」が出るとは限らない、やはり、その違いにこそ経験に裏付けられたノウハウが存在する。撮影者も含めて、一般視聴者の多くはテレビの放送を漠然と見ていて、テレビと言うものはそういうものだと認識している。つまり、放送局で使われている標準スタジオ、ハンディー等、いずれのビデオカメラの画質をよく知っているのである。だからそれを下回る絵にしかならなければ、大いに不満が残ることになる。当時、業務用のビデオカメラを使うブライダル・プロダクションあるいは地方プロダクションでは、優れた画像を求める機運が高まっていて、それに適うビデオカメラを各社競って発売しようとする時期だった。その流行に肖かり、それらの画質を比較検討してもらうための紙面づくりに奮闘した思い出がある。この撮像管を観ながら、そんなことを思い出すことがある。

     それは、画面に現れる現象を、そのまま紙面で伝える、これがテーマだった。もっとも、波形で示せるような、1.振幅変調度、2.ガンマ特性、3.カラーベクトルなどは、パターン・ボックスに刺した透過型チャートを撮像し、そのまま波形モニターの管面を撮影すればよい。また、残像、ハイライト焼付けの違いは、ウインドウボックス撮像後、レンズにキャップをして僅かな出力を時間経過を追って多重露光してその違いを示した。また、サーキュラーゾーンプレートの撮像画面やスメア画像、ITE(カラーの楔)やレトマのパターン(白黒の楔)は、シバソク放送局用モニターCMM20-11(HR CRT 仕様)の画面を撮影した。その画面撮影には、6x6のボディーに4x5のレンズを装着し、垂直同期信号に合わせてレンズ・シャッターを駆動する回路を取り付けてシャッターのスタートのタイミングを統一して撮影した。この撮影技術を確立したことで、短い時間で発生するビートやモアレを正確に撮影でき、画面での比較が鮮明になった。もちろん、それを色分解したり忠実に印刷するために、印刷エンジニアにも細かい指示をした事は言うまでもない。このあたりは、テレビジョン学会誌はもとより、他誌で同様の撮影に成功している例を見ることはなかった。そして、それが MOVEment が好感された要素の1つだと思う。

  そういう時代に存在感を顕にし、業務用ビデオカメラ業界を牽引したのが「サチコン3管式ビデオカメラ DXC-M3」である。当時、業務用3管式ビデオカメラの主流がSMサチコンであったにも関わらず、MSサチコンを使い図形ひずみの低減や周辺解像力を改善した、画期的な仕様だったこともあって、多くのカメラマンから注目を浴びた。しかし、逆に「初期のサチコン膜」ありがちな残像という課題が残っていて、それが誌面上のデータでも他のカメラとの差となって現れた。上の写真は、そのMF(ミックスフィールド型=ソニーの呼び名)サチコン管S-2332である。偏向コイルが無い分コンパクトと言える(全長70mm)。
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補足1:シバソク放送用マスターモニターCMM20-11は、IQ復調回路搭載である。特注のHR CRTによって中心650TV本、周辺600TV本の仕様。
補足2:撮影用6x6カメラ→ローライフレックスSL66SE こちらはフォーカルプレーン・シャッターだが、撮影レンズ→カールツアイス大判用135mmレンズは、レンズシャッターを装備している。これを光学的に連結するアダプタを専業メーカーに作ってもらって使用した。
補足3:ビームの収束・偏向方式の略称 SM→静電収束・電磁偏向、MS→電磁収束・静電偏向を指す。
補足4:ディスカバリーのPDFに使用している昔の製品写真は、4x5のフイルムをフイルム・スキャンしてそのまま使用している。

2013/11/01

さばの缶詰

 人は誰でも、辛い思いをしないで、今より少し痩せたいと考えている。それもこれもスーパーのような人の集まるところで、「豊かな体を揺らして、子供を追い掛け回すお母さま方」を見てのリアクションらしい。「人の振りではなく、人の体型を見て、我が体型を直せ」と言うことなのだろう。しかし、何かしら、「とてつもない努力をしてまでは、頑張りたくはない」とも考えているようだ。やはり「如何に楽をして痩せられる」かが重要なのである。特に、「食べても痩せられる」という言葉に意外に弱い。既に、人目を気にする気力を失った体型は、いつか科学が発展して、「食べても食べても痩せられる」そのような美味しい食品が現れることを待ち望んでいる。

  数ヶ月前、「家庭の医学」というテレビ番組から「食べれば食べるほど痩せられる物質」があるという話題が提供された。そこには、東京医科大学の先生が登場し「痩せるホルモン」が存在することを示したのである。その「ホルモン」の名はGLP-1といい、糖尿病の患者の薬としてにも使われている(糖の吸収が抑えられ、インスリンの分泌を促す)とのこと。もちろんホルモンだから、我々の体の中でも分泌されている。しかし、どうも人によってその体内量に個人差があるようで、そのホルモンを増やすには、一般的な食材からは「鯖に多く含まれるEPA」と「食物繊維」を取り込むのが良いそうだ。それらによって、体内でGLP-1を効果的に増やせるという。鯖の缶詰を製造する会社の周辺地域で、それを食べている人達を集めて、血液中のGLP-1ホルモンの量を調べてその裏づけとしたのである。

  個人的には、日常的に1.5%程度の体重変動は、あるのが普通だがその程度では、外見上太ったとか、痩せたとかは分からない。無理をすれば3%程度の体重なら下げられる。しかし、経験的にも一番難しいのは、前より「やつれた」ではなく、「痩せた」と言われることである。これには、コストと時間X努力が必要なのである。だから、このGLP-1の話はちょっと「眉唾のような」気分だったのだが、物は試しで、その現象を捉えたい気分もあって、鯖の缶詰を集めに走ったのである。さすがに、その放送の翌日には、スーパーの売り場から鯖の水煮缶は消えていた。もっとも、鯖の水煮缶に醤油をかけて食べるだけでは味気ないので、消化の良い大根にさばの水煮缶と生姜、味噌やネギを加え、「大根とさばの具沢山味噌煮風」にして、週2回ほど食べ続けてみた。

  既に、食べ始めて2ヶ月以上経過したが、残念ながら逆に体重が少しずつ増えている様子で、困ってしまった。なぜなのか調べ直してみた。すると、誤解していた事がわかったのである。どうも、GLP-1の機能の(糖の吸収が抑えられ、インスリンの分泌を促す)という言葉の解釈に違いがあった。実は、その働きによって、満腹中枢を刺激し、満腹感を素早く感じ取り、「食欲がなくなる効果」があると言うことのようだ。つまり、「食べて痩せられる」のではなく、「食べると食欲が無くなって」結果的に痩せられるということなのである。私のように、決められた時間にほぼ決めた量を食べたり、通常の食事に追加して、「大根とさばの具沢山味噌煮風」を追加することで、逆に体重を増やしてしまったようだ。「食欲は無くならなかったのか?」と問いかけられるかもしれないが、全くそれはなかった。よく話の裏付けを取ればよかったと反省している。理屈が分かったところで試してみたい方はどうぞ。材料はこの程度。ではこちら
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