歳を重ねてくると、食事もたくさんは食べられなくなるし、美食をすれば体に良くない、そんなことから、昔に比べると品疎に見えるものを並べることが増える。そこには、日本人本来の生活観から生まれた質素な精神に遡り、素材の持つ美味しさとか、伝統的で長く愛されたものを好む気持ちが目を覚ますのである。そして、それは、人生観に裏打ちされた一種の美学として、格調高い言葉で表現すれば、侘(わび)とか寂(さび)を自己中心的な食の世界に取り込むことなのである。そこで、家族に対する一種の精神力の優位性を見せ付けることが出来るというものである。うーむ、それが大人か。
そうはいっても、今となっては、少々汚染された食材が混じりこんでいても、先に寿命が尽きてしまう関係上それほど気にすることも無いのに、最近は輸入品にもめっぽう気になることも増えてきた。物事を疑う目だけが肥えてしまっているので、やはり国産に拘り、老舗の商品を信じ、それでも、同じものを続けて食べないようにしようとか、やはり考えることは多くなる。とは言いながらも、老舗の職人は、そこはかとなく信頼出来ると考えている。それは、素材の源泉を管理し、かつ製品工程に積み重ねた知識や経験が活かされ、仕事に対する誇りと伝統的な厳しい拘りとが共存しているからである。もちろん、仕入先の公表や製造工程の公開、あるいは、最新の製造設備の導入などは言うまでもない。
さて、今日の話は昆布である。これは、鰹や椎茸と並んで日本人の最も敏感な食材である。これこそ、まやかしの効かない食材といえる。出汁で使うには、そこそこ生産地さえ把握しておけばよいのだが、ご飯のお供となる佃煮となると話が違ってくる。もちろん、昆布を加工する会社は全国にたくさんあり、その製品の種類や用途も整備されている。このような語りつくされた食材にも、我々が知らないだけで、長く愛せる本物の美味しさが潜んでいることを認識させられたのである。そんな伝統的な製造に拘り、独創的な美味しさを守る会社が尾道にあった。その商品が、今日の「特上 しそ昆布」である。そう、「特上」なのである。誰でも「これは美味しそうだ!」と思うに違いない。
ある「高級食材のお店=色々珍しい商品が並んだお店」での話である。そこの、商品の1つのおにぎりの中にこの「特上しそ昆布」は使われてきた。その、おにぎりのあまりの美味しさに、中の具だけを分けて欲しいという依頼が殺到したそうである。そこで、そのお店では、「その昆布の佃煮は、この尾道の会社の商品を使っている」と案内を出し、その小分け商品も取り扱うようにしたのである。それが人気を次々と呼んで、おにぎりも、佃煮も両方売り上げを伸ばすことが出来たという。今でもウハウハの売れ筋の商品なのである。この「特上しそ昆布」を作る会社は、尾道では知る人ぞ知る会社だが、今、東京でもブレイクしようとしている。しその酸味と、昆布の旨みに、甘みがついていて、この3つの味覚がバランスよく口の中に広がり、ご飯のお供には最高の佃煮となっている。これこそ、俺の趣味に合った侘(わび)とか寂(さび)に適した食材の1つとして確保しておきたい。
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補足:侘(わび)/寂(さび)→侘(わび)とは、無駄が無く実質を重んじ、単純なもの、普遍なもの、自然のまま、純粋なもの、それらを評価する概念。寂(さび)とは、静かで動きおそく、長い時間の流れを僅かな変化で感じさせるさまを美しいと評価する概念。