作品の中に「自分との共通性を観る」と感じてしまうことがあるのだろう。一流の演者によると、自分にしか演じることが出来ないと直感する作品があるらしい。そのような話をよく耳にする。今日は、まさにその言葉がピッタリの2作品である。それは、マレフィセントとパガニーニ「愛と狂気のヴァイオリニスト」になる。これらには、さらに共通する要素がある。それは、自ら主演し、超がつく程の「はまり役」とされながら、行き着くところ「映画製作の総指揮も執っている」という。つまり、主演が映画全体を自分のイメージ通りに仕上げてしまう、ということになる。その結果として、主演の魂が乗り移るがごとく「ひょっとしたら、これって本物、事実?」と思わせる程に重なって観え、観客も素直に感動の渦に巻き込まれてしまうという、誰もが認める芸術性の高い作品となっているようだ。
いずれの作品も、そこに隠された背景を考察できるように、前もって知識を集めて外堀を埋めておくことで、より大きな感動を得ることが出来るかもしれない。その為の、準備としては、例えばマレフィセントでは、かつての「眠れる森の美女」の物語をしっかり理解していること、またチャイコフスキーの「眠れる森の美女」を聴いておくこと、そして主演のアンジェリーナ・ジョリーその人の生き方や心情を良く理解していること、等が挙げられる。パガニーニでは、幾つかの彼の作品「カプリース 第5番、第24番、ヴァイオリン協奏曲第4番、ヴァイオリンとギターのためのソナタ、ラ・カンパネラ・・・」などを聴いておくこと(CD販売中)、そして、常々バイオリンの奏でる音に興味を持っておくこと(オーディオマニアは必須条件)、もちろん主演のデイヴィッド・ギャレットその人の音楽活動のことも知っておきたい。
もちろん全くの準備なしでも、何の知識がなくても十分満喫できる構成なので、それも楽しい。単純なところでは、アンジェリーナ・ジョリーって、「何て綺麗で素敵な人」なんだろう(特殊メイクをしても美しい)、とか、妖精の翼は簡単に獲られてしまってよいのか?。あるいは、掛けた呪いは、自ら解くことが出来ないのか(呪いは、一度掛けると、取り消しが効かず修正のみとされ、それが魔法使いの呪いの掟とされる)とか、ストーリーが理解しやすいこともあって、単純に童心に帰ればよい。また、他方では、冒頭から超絶技巧で奏でるストラディヴァリウスの響きに圧倒されてしまい、映画でよくここまできめ細かく「演奏場の響きや音の違い」を再現できたものだと、感心すればよい。観る音楽と言うより、聴く映画にしたい。デイヴィッド・ギャレットの力強くもデリケートな演奏に、ストレートにパガニーニの情熱的な音楽への取り組みを垣間見ることが出来る筈だ。
物語は、2つ共あっという間に観終わってしまった。「食い入るように観る」とは、このような状態を言うが、常に何か見逃したり、聴き逃さないように、細部にまで神経を使う気持ちが継続している。そこには、意表を突く迫力の映像や巨大な音響などの、押しつけがましい要素はない。むしろ、持ち合わせた知識と照合しながら、やや遅れ気味に沸き上がってくる感動の方が多いかもしれない。そこにこそ、心の潤いともいうべき「短かく僅かな映像や音響によるヒント」がふんだんに盛り込まれていて、人それぞれ持ち合わせた教養によって、内容の奥深さを感じられるように構成されている。さらに、映画を観終わった後にも、そこに存在したかもしれない「感動要素の取りこぼし」があるのではないかと、さらに探求するような行為、例えばサントラ盤のCDを購入したいとか、デイヴィッド・ギャレットの来日には必ず見に行きたいとか、そんなことで尾を引くかもしれないが、それも、この映画の魅力といえる。
参考1:マレフィセントのサイト
http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/maleficent/
参考2:パガニーニ「愛と狂気のヴァイオリニスト」のサイト
http://paganini-movie.com/