何の前触れもなく、突如、お菓子や名物を送ってくれる奴がいる。いい奴だ。ただ、お礼の電話を掛けても繋がらない。親しい者に対しては、本人はいたって無口で、「今更に言葉にしなくても解るだろ」という侍のような感覚の持ち主である。彼の行動に特別な言葉は織り込まれていないが、一瞬それらを強要する顔をすることがある。そこに隠された意味や協調感を持たなければならない。普通それを見過ごしてしまうため、難しい男と思ってしまうのである。そんな彼から今日のように時たま、荷物が届く。中は無造作に「お菓子や名物?」が謎掛けのように詰めてある。
今年も荷物が届いた。難解だが、その2つぐらいの謎が解けそうなので、紹介しておきたい。きっと、本人は単に美味しさの共通点程度と考えているに違いない。つまり、分かるだろと言った感じなのである。しかし、これは、決して一般的なものではなかった。仙台の和菓子2点である。まず、1つは、「青まる」と書かれた「丸い生菓子」である。他方は「支倉焼」という、やや洋菓子風な和菓子である。いずれも、独特の餡子が使われていた。それが、妙に田舎風の懐かしい香りがして、つい顔を見合わせてしまう。そんな長い歴史に秘められた時間を感じる。
いずれの和菓子も味わい深い特徴を残しながら何か新たなものを加えようと、工夫した様子を窺い知ることが出来る。よく観ると「青まる」は、表面に羊羹が貼ってあり、これが印象を奇異なるものにする。次に抹茶の香りが立つ。うーむ難しい味わいだ。「支倉焼」は、歴史ある和菓子の風情を漂わせながら、バター、牛乳、くるみ、バニラといった洋風の香りが最初に飛び込んでくる。しかし、彼はいずれもそんな額面どおりの食感を伝えてきたわけではない。どこかに「古臭い風味」が老舗感を漂わせているのである。きっと、何処となく美味しく、それでいて、自分の知っている和菓子の認識より、「奥深い懐かしさ」を感じたのではないだろうか。
彼は長崎出身で、今でも好評でヒットしまくっている「ノスドールのお菓子」を贈ってくれた本人である。彼にとっての美味しいお菓子は、カステラのような垢抜けした洋菓子である筈である。仙台へ転勤して「珍しく美味しい和菓子を見つけたと」伝えたかったに違いないが、おおよそ、その珍しい美味しさの背景にあるのは、土地柄や歴史的背景の違いとか、四季を通じた季節感の違いなどに起因する筈で、どこでも原材料の使い方の違いがあると考えるべきである。「青まる」の餡の原材料は「青えんどう」で、支倉焼の餡は、「白いんげん」だった。これは、かなり難解な餡子といえよう。・・・「でも、旨いすよねぇ」と囁かれているようだ。
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