イミテーションとは、「見習って模倣する」ことである。しかし、実態を把握していれば苦労はないが、暗号化する装置では、いかなるケースでも模倣が成立するような仕組みを考えて、それと同じ機能を実現することは難しい。この映画に登場する「エニグマ(enigma)」とは=「中身が理解できず、仕組みを説明できないもの」と訳すべきである。つまり、それは暗号機のことになる。「戦時中英国を悩ませた、ドイツの最高傑作と言われるそのエニグマを見習って模倣する戦いを描いた映画がイミテーション・ゲームになる。暗号機は、暗号(隠された)符号を数学的な手法によって組み替える機械を指す。
数学的な手法とくれば、コンピュータが得意の分野である。現在では、絶対と言って良いほどに解読できない暗号化技術が日常的に使われているが、コンピュータが無かった戦時中では、時間のかかる数学的手法には限度があり、暗号化には設計者、あるいは発案者の趣味的な要素が多分に含まれていたようだ。ちなみに、日本海軍の歴史に残る暗号として「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」は有名で、開戦を昭和16年12月8日 午前0時とする」と言う相互理解の暗号で、その電信を受け真珠湾攻撃を開始した。また、「我 奇襲二成功セリ」と自慢げに「トラ、トラ、トラ」と電信する。しかし、いずれも米国に傍受解読されていた。
そんな約束事程度の暗号から、数学的手法を駆使することで、より汎用的に短い時間で複雑な機能を持ち、日常の電信にもそのまま応用できる暗号機が作られるようになる。映画の粗筋としては、その精巧に作られた難攻不落のエニグマを駆使した情報戦によって、英国が窮地に立たされてゆく。また、この暗号を解き明かすには、159x10の18条の設定の可能性があり、「10人が24時間それに費やしたとして2000万年ほど掛かる」と説明し、そのエニグマが備えた機能の優秀性と、この解明作業が天文学的な数字になること、これらによって、この作業の重要性と難かしさを象徴して描いている。かといって、ストーリは決して難解ではなく、むしろその手の知的好奇心からすると物足りないかもしれない。
過去には、ドイツ軍の所有するエニグマ本体を潜水艦から略奪する映画はあったが、仮に、そのエニグマを所有したとしても、それをどう使うか、つまり「モードの切替え」とも言うべき「宣言文」を入手しなければ、機能を果たさない。そこが、挑戦するものにとってより複雑に見えるところで、この天才数学者アラン・チューリングが正面からエニグマの謎に挑み、苦しみ抜きながらも約束の期限ギリギリで、わずかな言葉にヒントを得て、謎を解き明かす事に成功する。それにしても、このような話を、当初「英国政府が50年間隠し続けた意味」がどこにあるのかも、想像は出来なかったが、映画の中で、アラン・チューリングの幼少時代と大学教授時代の現在(1950年代)を同時進行で描くことで、その「筋金入りの事情」を知ることが出来る。そこに、アラン・チューリングが時代に翻弄され数奇な人生をおくったとされる所以があるようだ。
では、彼が本当に「数奇な人生」を送ったかと問いかけられると、「いいや、クリストファー2号と毎日会話をして幸せだったに違いない」と思ってしまうところに、この映画の「切ない魅力」が映像で表現されている。そこには、機械と人間の係わり合いを端的に表現し、彼の目指す実像が見え隠れする。そして、もう1つ、印象に残るメッセージが「誰も想像しなかった人物が、誰も想像しなかった仕事をやってのける」と言う、励ましのかかり結びのように、映画の中で3度も連なって発せられる言葉だ。最初、同級生のクリストファーからその言葉で進むべき道を薦められ、その言葉を胸に秘めて青春時代を過ごし、その同じ言葉で婚約者ジョーン・クラークの背中を押す。そして最後に、そのジョーン・クラークから再びアラン・チューリングがその言葉を受け取る。この言葉にこそ「時代に翻弄され数奇な人生」と言われた本質が隠されているようだ。
それでは、興味のある人は、映画の中で机上の戦いを体感してもらいたい。
予告編はこちら
http://imitationgame.gaga.ne.jp/